著者
近藤 みゆき
出版者
名古屋文理大学短期大学部
雑誌
名古屋文理短期大学紀要 (ISSN:09146474)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.45-52, 2001-03-31

マクロビオティックとは英語で, 日本語訳は「禅式長寿法, 自然食の食事法」とある.ベジタリアニズムの一種で, その食事内容は, 玄米・菜食中心で, 時として魚介類や卵を食べることもある.人々がベジタリアンを選ぶ理由は, 思想・信条的理由, エコロジーへの配慮のため, あるいは, 社会的倫理的信念からなど, いろいろある.最近, アメリカでは, 疾病の予防や健康の向上のためにベジタリアン食が選択されることが多くなってきた.1970,80年代からベジタリアンに関する学術論文も増えてきており, ベジタリアン食を摂取している人たちは, ある種のガン, 虚血性心疾患, 高血圧症, 糖尿病の罹患率が明らかに低いということが知られている.本報では, ベジタリアンの全体像をとらえ, この中でマクロビオティックについて, 起源・内容などを紹介する.また, マクロビオティックに関する学術論文から栄養的側面もとらえる.
著者
近藤 祐未 板垣 順平 渡邉 誠介
出版者
一般社団法人 日本デザイン学会
雑誌
デザイン学研究 (ISSN:09108173)
巻号頁・発行日
vol.67, no.2, pp.2_49-2_56, 2020-09-30 (Released:2020-10-05)
参考文献数
23

大学による地域連携活動は、いまや自明の理となっている。とりわけ、学生が主体となった活動は、自治体や企業も注目しその成果も期待されている。一方で、活動の主体となる学生にとっては成果だけでなく、自身にとっての経験や達成感、自信、スキルなど、活動を通して何を得られたか、が重要となる。しかし、地域連携活動に関する既往研究の多くは、活動終了時に実施される単発的な振り返りやアンケートをもとにその学習効果について議論されたものが多く、長期的な視点による地域連携活動の学習効果について分析・検討されたものはみられない。筆者自身が取り組んだ長岡造形大学大学院の「地域特別プロジェクト演習」では活動を進める時々に、辛いやしんどいといった意見が多くあったが、活動が終了してからしばらく経ってからの何気ない会話では、その印象や捉え方に変化がみられた。そこで本研究では、「地域特別プロジェクト演習」を研究対象として、実施者である学生の視点から活動の記憶や印象を手掛かりに、省察の変化の過程について検討し、その変化の要因を明らかにすることを目的とする。
著者
本 秀紀 愛敬 浩二 森 英樹 小澤 隆一 植松 健一 村田 尚紀 木下 智史 中里見 博 小林 武 上脇 博之 奥野 恒久 近藤 真 植村 勝慶 倉持 孝司 小松 浩 岡田 章宏 足立 英郎 塚田 哲之 大河内 美紀 岡本 篤尚 前原 清隆 中富 公一 彼谷 環 清田 雄治 丹羽 徹 伊藤 雅康 高橋 利安 川畑 博昭
出版者
名古屋大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2009

比較憲法研究・憲法理論研究を通じて、(1)先進諸国が「ポスト・デモクラシー」という問題状況の中でさまざまな問題を抱えていること、(2)各国の政治状況・憲法制度の差異等が原因となって、その問題の現れ方には多様性があること、の2点が確認された。そして、「ポスト・デモクラシー」の状況の下で国内・国際の両面で進行する「格差社会」化の問題は、今日の憲法制度・憲法理論において有力な地位を占める「法的立憲主義Liberal Democracy」の考え方では、適切・正当な対応をすることが困難であることを明らかにした。以上の検討を踏まえて、民主主義をシリアスに受け止める憲法理論の構築の必要性が確認された一方、「政治的公共圏」論を抽象論としてではなく、(日本を含めた)実証的な比較憲法研究との関連において、その意義と問題点を検討するための理論的条件を整備した。
著者
近藤 伸彦 畠中 利治
出版者
日本教育工学会
雑誌
日本教育工学会論文誌 (ISSN:13498290)
巻号頁・発行日
vol.41, no.3, pp.271-281, 2018-01-31 (Released:2018-02-05)
参考文献数
33

ラーニングアナリティクスをはじめとした教育データ分析の関連分野が急速な発展を遂げる一方,大学における教育の質保証の観点から教学IR の重要性が認識されてきている.これらの分野が互いに統合され,個に応じた分析と支援が組織的に行われることは今後ますます重要性を増すものと考えられる.本論文ではこの観点から,ラーニングアナリティクス的手法を教学IR や修学支援に活用するフレームワークのひとつとして,学士課程における学生の修学状態の推移プロセスをベイジアンネットワークによりモデル化する手法についてまとめる.さらに,現実的な活用場面において実際の改善アクションへつなげることを想定した本手法の活用例を示し,ある大学の教学データによる数値実験の結果から本手法の適用可能性を検討する.
著者
近藤 祉秋
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.76, no.4, pp.463-474, 2012-03-31

This paper aims to discuss the human-animal continuity through theoretical and ethnographic perspectives on the relationship between humans and animals in Japan. Pamela Asquith and Arne Kalland proposed a nature continuum in which humans perceive and act upon nature in two opposite directions: on one hand, domesticated nature, whose beauty is cherished, and on the other, wild nature, that must be tamed by human interventions. However, the model of nature continuum proposed by Asquith and Kalland is not necessarily compatible with theories of the human-animal relationship in Japan. John Knight argued that Japanese people show enmity toward wild animals that feed on the crops they have grown, but also mentioned that interactions with pests give them an opportunity to realize a continuity between humans and animals. Kenichi Tanigawa likewise stressed the fact that the human-animal (-spirit) continuity is based on competitions among them. While Asquith and Kalland assumed the existence of two perceptions of "nature" among the Japanese, and stressed the human intervention that transforms wild nature into a domesticated one, Knight and Tanigawa's discussions called for a more sophisticated analysis on human-wildlife continuity that can even accommodate rivalry between the two. Moreover, as I try to demonstrate in the discussion to follow, the model of nature continuum proposed by Asquith and Kalland cannot explain the seemingly "cultural" characteristics that cats in Oki Islands were said to possess, leaving the impression that this model has limited applicability for studying the human-animal relationship. Based on the case study of the human-cat relationship in the Oki Islands, I argue that humans and cats share "one culture," in that both compete for fish, have a linguistic capacity, engage in dancing and singing with other fellows, formulate stable marital bonds with another individual of the same species, sometimes try to modify their environments through manipulation, and do "sumo wrestling" between the two species. It is then suggested that the human-cat relationship in the Oki Islands can be understood in terms of a human-animal continuity based not only on human-animal competition over the same food, but also on the sharing of "one culture" between the two species. I then argue that Amerindian "multinaturalism," a term proposed by Eduarudo Viveiros de Castro as a possible cosmological model of Amerindians, has an analogy with the human-cat relationship in the Oki Islands, in that humans and non-humans share "one culture" in both cases. Since Viveiros de Castro mentioned the sharing of "one culture" as "animism," it is suggested that the human-cat relationship in the Oki Islands can be characterized as "animism" in his sense. In spite of the abovementioned similarity, there exists an important contrast in those two examples: the "many natures" in Amerindian "multinaturalism," and the Japanese human-animal continuity that is revealed through human-animal competition over common staples, a point already mentioned by John Knight and Kenichi Tanigawa in their studies on human-animal relationship in Japan. Therefore, the tentative conclusion of this paper is that the human-animal relationship in Japan should be analyzed with the two interconnected dimensions of the human-animal continuity in mind, and that recent discussions on "animism" should offer valuable insights to an investigation of the topic.
著者
大橋 政仁 近藤 和貴
出版者
政治哲学研究会
雑誌
政治哲学 (ISSN:24324337)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.61-77, 2019 (Released:2019-04-10)

本訳は、2017年4月にNew England Political Science Association Annual Meetingで報告された、Susan M. Shell教授(ボストン・カレッジ)“Gerhard Krüger and Leo Strauss: the Kant motif”の全訳である。翻訳を許可してくださった、シェル教授に感謝したい。また日本語訳にあたっては、近藤が前半部の下訳を担当し、それ以外の個所の訳出、さらに最終的な訳語・文体の統一は大橋が担当した。
著者
近藤 宗平
出版者
一般社団法人 日本原子力学会
雑誌
日本原子力学会誌 (ISSN:00047120)
巻号頁・発行日
vol.40, no.7, pp.535-541, 1998-07-30 (Released:2009-03-31)
参考文献数
24
被引用文献数
1 1
著者
近藤 真
出版者
岐阜大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2000

2000年度より2002年度までの3年間、科研費補助金をうけ、「ニュージーランド行政革命と国立大学のエージェンシー化の憲法学的研究」を行った。その研究成果の一部として2001年9月に地域科学部の紀要に「国立大学の独立行政法人化?ニュージーランド国立大学のエージェンシー化から考える」を発表した。ニュージーランド国立大学のエージェンシー化の概観を行ったが、同時に資料としてニュージーランドビクトリア大学の政治学教授のスティーブン・レビン教授のニュージーランド国立大学のエージェンシー化に関する二つのきわめて重要な講演を翻訳し、付録として添付した。この研究の結果としてニュージーランドの大学改革が失敗であったことがわかった。なぜならば大学の研究者達がこの改革を全く支持していないからである。というのも、この改革が、研究者に利益の追求を求め、学生には授業料を払うように求めたからである。それはとても困難なことである。NZの大学は利益団体ではなく、学生達は1992年までは大学まで無償だったからである。レビン教授はNZがユネスコの宣言に逆行して学生から授業料を取っていることに危惧を示しており、ユネスコ(現在日本が事務局長を務めている)は、1998年の高等教育世界宣言で各国政府に大学教育の無償化を求めているからである。大学では弁護士でもあるロースクールの教授だけはこの改革を支持していたが、彼らは医学部教授と同じく学内でよりも学外で稼ぎが大きく、教授の肩書きを利用するために大学にも勤めているという側面もあろう。こういう人々を別とすれば大学の研究者はほとんどが研究で稼ぐなどということは不可能である。地震や天文学をふくむ地学、数学、生態学に稼げる道があるだろうか。これらの学間はニュージーランドの大学ではいまや消滅しつつある。この改革は改革ではなく、ニュージーランドの大学の破壊者であった。これがこの研究の傾向的結論であった。今後、さらにニュージーランド国立大学エージェンシー化の改革の意味を多面的に検討したい。新たな課題としては、大学改革がいかなる影響をNZの教育改革全体に及ぼしたのかについて検討が必要である。
著者
野尻湖哺乳類グループ 高桑 祐司 間島 信男 加藤 禎夫 近藤 洋一 杉田 正男 鈴木 俊之 関谷 友彦 名取 和香子
出版者
地学団体研究会
雑誌
地球科學 (ISSN:03666611)
巻号頁・発行日
vol.64, no.6, pp.219-233, 2010-11-25
被引用文献数
1

ヘラジカ Alces alcesは,ユーラシア大陸や北アメリカ大陸の冷温帯や寒帯において,主に高緯度針葉樹林に生息する,現生シカ類中最大の種類である.日本から報告されているMIS3末期からMIS2にかけての化石は,現生と化石を通じてもこのシカの分布の南限である.2008年,長野県北東部の野尻湖西岸に分布する上部更新統の野尻湖層立が鼻砂部層T3ユニット(44,000y.B.P.;MIS3)から,野尻湖層からは初となるヘラジカ化石が産出した.この標本(17N III F18-2)は左下顎骨の一部で,ほぼ完全なM3を伴う.さらにその近傍で採集されていた16N III F18-36(ほぼ完全な左下顎のM2)と10N III E17-88(左下顎骨の一部)が,17N III F18-2に接合した.野尻湖層の脊椎動物化石群は,ナウマンゾウとヤベオオツノジカが圧倒的に優勢であるが,より冷涼な気候を好む"マンモス動物群"の一要素とされるヘラジカがそれに加わることは,野尻湖地域の環境変遷を考察する上で重要である.このヘラジカは日本最古の化石記録で,MIS3以前の本州にヘラジカが生息したことを示す.そして後期更新世の古気候や海洋地形等から推測すると,ヘラジカが日本列島へ侵入したのはMIS4の寒冷期であった可能性が高い.
著者
近藤 武夫
出版者
一般社団法人 日本特殊教育学会
雑誌
特殊教育学研究 (ISSN:03873374)
巻号頁・発行日
vol.50, no.3, pp.247-256, 2012 (Released:2013-09-18)
参考文献数
33

米国の公立初等中等教育では、視覚障害、肢体不自由、学習障害などの多様な障害を原因として印刷物にアクセスすることが難しい児童生徒に対し、電子データ形式で作られた教科書を無償で入手できる環境が、連邦政府により整備されている。また、こうした電子教科書の利用においては、電子教科書データの提供だけではなく、支援技術製品の児童生徒への提供、および支援技術の専門家による利用支援の提供が、個別障害者教育法(IDEA)を背景として制度化されている。本論文では、障害のある児童生徒にとってアクセス可能な電子教科書の入手および学校場面での利用とその支援に関して、米国の現状を概観し、また、日米の現状比較を通じて日本国内で解決すべき電子教科書および支援技術利用上の課題について検討する。