- 著者
-
酒井 正樹
- 出版者
- 日本比較生理生化学会
- 雑誌
- 比較生理生化学 (ISSN:09163786)
- 巻号頁・発行日
- vol.29, no.4, pp.243-261, 2012-12-20 (Released:2013-01-22)
- 参考文献数
- 19
今回はシナプス伝達をとりあげる。シナプスとは,簡単に言うとニューロンとニューロン,あるいはニューロンと筋細胞や腺細胞とのつなぎ目のことであり,シナプス伝達とは,つなぎ目を越える信号の受け渡しである。これまで,本シリーズ3回の講義を受けた学生にとって,シナプス伝達はとくにむずかしいとは思われない。事象の説明には,活動電位伝導のときのようなモデルや比喩は必要なさそうである。それに高校で生物を学んでおれば,細胞や蛋白質の一般知識が役に立つ。たとえば,シナプス小胞からの伝達物質の放出は,ホルモン分泌で見られる小胞や膜状嚢の開口放出として,また伝達物質が受容体に結合してイオンチャネルが開く機構は,低分子物質と酵素の結合で生じるアロステリックな反応として理解できる。 とはいえ,シナプス伝達のしくみを,個々の実験事実にもとづいて理解しようとするとそれほど容易ではない。まず,第1に実験材料がある。材料にはそれぞれに特徴があり,結果も異なってくる。第2に実験条件がある。シナプスの研究においては,しばしば伝達を減弱させたり,増強させたりする処置がとられる。そのことをよく知っておかねばならない。第3に伝達にかかる時間がある。シナプスでは,きめて短時間に一連の事象が進行するが,それぞれの反応には開始とピークと終了がある。第4に記録部位の問題がある。シナプスで発生した電位は,ニューロンのどこで記録するかによって,その大きさや時間的変化の様子が大きく異なってくる。このことも知っておく必要がある。第5には伝達物質と受容体である。これらは複雑かつ多様であり,正しく覚えておくことはむずかしい。いきおい学ぶ側も教える側も材料や条件は脇へ置いて,結果だけを単純な模式図ですましてしまう。そうすると,シナプスは,たんなるニューロンとニューロンの接続部分で,シナプス伝達は信号の中継にすぎなくなってしまう。しかし,シナプスは,信号の連絡と同時に統合の場であり,学習・記憶の要であり,毒物・薬物の作用部位であり,精神疾患や遺伝病とも深く関わっている。だから,シナプスは正しく理解しておかねばならない。では,講義をはじめよう。