著者
鈴木 宏節
出版者
東洋文庫
雑誌
東洋学報 = The Toyo Gakuho (ISSN:03869067)
巻号頁・発行日
vol.87, no.1, pp.37-68, 2005-06

This article attempts to prove that a royal member of the Türks (Tujue 突厥), Ashina Simo 阿史那思摩 [583-647], was the great-grandchild of Yili 伊利 (Yili 伊力; O1d Türkic. Illig) Qaγan (Kehan 可汗) and the grandchild of Tabo 他鉢 (Daba 達抜; Sogdian. Tatpar) Qaγan, according to his epitaph and some Chinese sources. Moreover, it is shown that Ashina Simo in fact did succeed to the throne as Julu 倶陸 (Old Türkic. Küllüg) Qaγan [reg. 603-?]. The genealogical table of the first Turkic Qaγanate [552-630] is based on the following conclusions.At the end of the first Türks, the royal family of Ashina was divided to two main lines, namely Yixiji’s and Tabo’s, which politically opposed each other. Because of this conflict, the last three Qaγans from the dominant Yixiji line created the rumor that Simo was not a member of the royal clan in order to deprive him of a chance at re-enthronement. This controversy is what lay in the background of the well-known episode of his not being bestowed with the title of Sad (She 設), giving him military powers.His life history after the collapse of the Türks (630-) is said to have been strongly influenced by the ethnic situation between the Ordos and the Yinshan 陰山 region during the 7th century, because he had played an important role around Xiazhou 夏州, in the south central Ordos region, controlling not only a part of the abandoned Türkic people there, but also a part of Sogdians, who had been originally resided throughout Türks. The author considers such a condition to constitute a characteristic feature of the whole periphery of Central Eurasia, where a nomadic pastoral system and agricultural civilization had come into contact and coexisted.
著者
平尾 哲二 手束 聡子 鈴木 真綾 木村 美沙季 山下 裕司
出版者
千葉科学大学
雑誌
千葉科学大学紀要 (ISSN:18823505)
巻号頁・発行日
no.10, pp.15-22, 2017-02

犬吠埼温泉は銚子市の観光資源の一つである。本研究では、犬吠埼温泉の有用性について科学的データ取得を目的として、3種類の源泉について成分分析するとともに、保湿効果について検討した。各源泉に含まれる主要元素についてICP発光分光法により調べたところ、いずれもClとNaを多く含むものの、それらの濃度やその他の元素濃度に差異が認められた。また、浮遊物質濃度の挙動などの特性値についても各源泉により違いが認められた。皮膚保湿試験は、実際の入浴シーンに近い足湯への入浴試験と、前腕に温泉試料を塗布する2種類の試験を実施した。皮膚保湿試験においては、千葉科学大学倫理委員会による承認を得た上で、被験者の同意を得て試験を実施した。犬吠埼ホテル足湯入浴後の角層水分量を足甲と下腿部で経時的に測定したところ、足湯入浴後は徐々に角層水分量は低下するが、その低下は対照であるお湯に比較して緩やかで、有意な保湿効果が認められた。また、前腕に3種類の源泉あるいは水を塗布して角層水分量を経時的に測定したところ、対照である水塗布に比較して、犬吠埼ホテルおよび犬吠埼観光ホテルの源泉では角層水分量が高く維持され、保湿効果が検証されたが、太陽の里の源泉では、今回の試験条件では、保湿効果は検証できなかった。これらの挙動は、各温泉に含まれるミネラル成分の多寡と比較的よく一致していた。源泉成分の特性解析や保湿効果の作用機序については未解明であり、今後の研究発展によりさらに犬吠埼温泉の有用性に関するエビデンス蓄積が期待される。
著者
鈴木 しおり
出版者
北翔大学
雑誌
生涯学習研究と実践 (ISSN:13463535)
巻号頁・発行日
no.1, pp.169-184, 2001

The International Music Council (IMC) in cooperation with UNESCO established 1977 "TheInternational Music Day" as music festival for the understanding each other and the peaceful prosperityof the human races making "the link of hearts which ties up the people in the world by music" itsmotto. In our country we are still more concerned with the art and culture as an amusement and comfortfor the life. With thisd omestic and foreign situation for the background the Agency for CulturalAffair established in November 1994 "The law for the promotion of the music education" inorder togo ahead in "The promotion of art" especially "The promotion of regional music culture" organizingthe institutions and facilities which the Agency is managing systematically. II Concerto dei Giovani(The Concert of Youth") was organized 1974 on purpose to introduce and foster the new talents inAsahikawa and has performed periodically in many regions as well as schools. In Heisei - 12it performed for the first time under the subtheme "Japanese Words, Japanese Melody" as a link in thechain of 47 events of "The International Music Day". They outh that are rather familiar with the occidental music participated in this concert intending to break new ground of "I above all" as Japan inAsia.「国際音楽の日・10月1日」は、ユネスコと協議・共同関係にある国際音楽評議会(非政府組織・IMC)が、1977年に「世界中の人々と音楽でつなぐ心の輪」をモットーとして、民族の相互理解と平和共存を願う音楽の祭典にしようと制定された。また、わが国では、近年、心の豊かさを求める国民の意識が高まるなかで、人生に愉しみと潤いをもたらすものとして、芸術や文化に対する関心がますます高まっている。こうした国内外の気運を背景として、文化庁では、「芸術文化の振興」の中でも、とりわけ『地域の音楽文化の振興』に力を入れようと、1994年11月に「音楽振興法Jを制定し、施設や機関を整え、組織立てて運営を進めている。IlConcerto dei Giovani (イルコンチェルトデイジョーバニ 若者の音楽会)は、1974年に、旭川市の新人紹介・育成のための演奏団体として設立し、今日まで定期公演・地方公演・学校公演を継続してきた。このたび、全国47ヶ所で行われた文化庁の平成12年度「国際音楽の日」記念事業の一環として、初めて「日本の言葉、日本のメロディ」という副タイトルを付け、公演を開催した。これまで、どちらかといえば、西洋音楽に親しんできた若者たちであったが、アジアの中の日本として、独自の新しい境地を開発したいという気持ちで臨んだ音楽会であった。
著者
鈴木 賢一
雑誌
芸術工学への誘い (ISSN:21850429)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.17-27, 2015-03-31

欧米の学校建築には、日本にはない多様な計画設計の実例がある。1)学校規模と南面教室配置、2)教える教室と学ぶ教室、3)魅力的な廊下、4)学習リソースの未来、5)学校の管理運営、6)場所から生まれる形、7)歴史を刻む学校、という7つの観点から、日本と欧米を比較しながら学校建築の計画条件と実際に構築された学習環境の違いを記述した。多様な姿かたちを表わす海外の学校建築を知ることは、建築技術以上に、前提となる考え方の違いに触れることである。ひいては、日本における学校の計画設計の選択肢を増やすことにもつながる
著者
鈴木 篤
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.88, no.1, pp.1-13, 2021

<p> 近年、非対面型授業の可能性に注目が集まっているが、どの程度まで従来の対面型学校教育に代替可能なのかについて研究の蓄積は十分でない。実際には、非対面型授業は従来の学級が有していた機能を何らかの形で確保しない限り、対面型学校教育には代替しえないだろう。生徒の社会化には学級制度が大きな役割を果たしており、たとえ短期的には非対面型授業が「うまくいっている」ように見えても、実際には参加者自身の過去の(対面型の)学級を通した被教育経験によって支えられている可能性も存在するためである。</p>
著者
鈴木 かの子 松井 孝典 川久保 俊 増原 直樹 岩見 麻子 町村 尚
出版者
一般社団法人 人工知能学会
雑誌
人工知能学会全国大会論文集 第35回 (2021)
巻号頁・発行日
pp.4H3GS11d01, 2021 (Released:2021-06-14)

幅広いステークホルダーがSDGs(持続可能な開発目標)に取り組み,成功事例を共有することは重要である.そこで本研究は深層学習型の自然言語処理モデルBERTで,①活動事例や課題をSDGsに写像する分類器を構築すること,② SDGs間の連環関係 (nexus) を可視化すること,③地域課題とそれを解決しうる取り組み事例とのマッチングシステムを構築することを目的とした.まず,国連関連文書,日本の政府関連文書,内閣府が収集するSDGsの課題解決等に関する提案文書を収集し,各文書とそれに対応する複数のSDGsが対になったマルチラベルデータフレームを構築し,WordNetを用いたデータオーグメンテーションを行った.次に,訓練済み日本語BERTモデルをマルチラベルテキスト分類タスクでファインチューニングし,nested cross-validationでハイパーパラメータの最適化と交差検証精度の推定を行った.最後に,学習後のBERTモデルでSDGs間の共起ネットワークを可視化するとともに,地域課題と取り組み事例のベクトル埋め込みを行ってコサイン類似度を取得することで,マッチングシステムの開発を行った.
著者
西山 彰子 立本 圭吾 土井 玲子 中尾 美穂 鈴木 敏弘 志多 真理子 小宮 精一
出版者
Japan Audiological Society
雑誌
AUDIOLOGY JAPAN (ISSN:03038106)
巻号頁・発行日
vol.42, no.4, pp.229-236, 1999-08-31 (Released:2010-04-30)
参考文献数
13

高音急墜型難聴の場合, 会話域の音に反応が得られることから難聴を疑われず診断が遅れ, その後の対応に苦慮することが少なくない。 そこで今回我々は, 小児の両側高音急墜型難聴28例に対して, 本症の現状を把握する目的で, 診断までの経過, 聴力像, 既往歴, 構音障害, 補聴器装用などについて調査し検討した。 確定診断の平均年齢は7.1歳であった。 構音障害は約3分の2に認められた。 補聴器は半数の症例で装用開始した。 難聴に関連するリスク因子については, 新生児仮死などの周産期異常と遺伝性因子の頻度が高かった。
著者
寺西 眞 藤原 直 白神 万祐子 北條 賢 山岡 亮平 鈴木 信彦 湯本 貴和
出版者
日本生態学会
雑誌
日本生態学会大会講演要旨集 第51回日本生態学会大会 釧路大会
巻号頁・発行日
pp.482, 2004 (Released:2004-07-30)

ホトケノザは、主に他花受粉をおこなう開放花と自家受粉のみをおこなう閉鎖花を同時につける一年草で、種子にエライオソームを付着する典型的なアリ散布植物である。一般的に、自殖種子は親と同じ遺伝子セットを持つため、発芽個体は親と同じ環境での生育に適していると考えられ、他殖種子は親と異なる遺伝子セットを持つため、親の生育環境と異なる新しい環境へ分散・定着するのに適していると考えられる。したがって、自殖種子は親元近くへ散布され、他殖種子は親元から離れた環境へ散布されるのが生存に有利であると考えられている。 開放花由来種子は閉鎖花由来種子より種子重・エライオソーム重・エライオソーム/種子(_%_)が有意に大きく、トビイロシワアリによる持ち去り速度が大きいことが明らかとなった。エライオソームを取り除いたホトケノザの種子は、エライオソームが付いたままの種子よりトビイロシワアリに持ち去られる割合・速度が低かった。また、エライオソームを接触させたろ紙片はほとんど巣に持ち去られたが、エライオソーム以外の種子表面を接触させたろ紙片はほとんど持ち去られなかった。 このようなアリの行動の違いがなぜ生じるのかを検討するため、アリの反応に関わる物質・アリの資源となる物質に着目して種子表面の化学的特性を調べた。その結果、遊離脂肪酸(オレイン酸、リノール酸など)、糖(フルクトース、グルコース)、アミノ酸(アラニン、ロイシンなど)が含まれていることが分かった。 これらのことから、ホトケノザは種子表面、特にエライオソームに含まれる化学物質の量・質を繁殖様式によって変えることで、アリによる持ち去り速度をコントロールしている可能性があることが示唆された。
著者
今井 友也 石水 毅 中島 啓介 鈴木 史朗
出版者
京都大学
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2015-04-01

真核生物の細胞膜はホスファチジルコリン(PC)を主成分として含む。一方で異種発現系によく使われる大腸菌の細胞膜の主成分はホスファチジルエタノールアミン(PE)であり、PCを全く含まない。膜タンパク質の機能や構造は、周囲の脂質分子に影響を受けることが報告されていることから、大腸菌のPEをPCへ変換して膜脂質環境を真核生物的にすることで、真核生物の膜タンパク質を大腸菌で発現できる可能性を調査した。NMT(N-メチル基転移酵素)遺伝子を導入することで、大腸菌の脂質をPCリッチに成功することには成功したが、用いた真核生物由来の膜タンパク質の細胞膜への発現には至らなかった。
著者
三島 雅博 鈴木 潤
出版者
独立行政法人 国立高等専門学校機構豊田工業高等専門学校
雑誌
豊田工業高等専門学校研究紀要 (ISSN:02862603)
巻号頁・発行日
vol.54, pp.54-5, 2022 (Released:2022-02-03)

In the Chicago World's Fair 1933, a full-scale Japanese pavilion was built in the historical Japanese architectural style. The Japanese pavilion is in the style of the Kamakura period, which is rare. This study seeks to clarify the historical significance of the Japanese Pavilion in Chicago World's Fair 1933 by exploring the background and considering the form of the Japanese Pavilion.
著者
山本 誠子 鈴木 和歌子 鈴木 香緒里 山岸 冨美江 谷口 沙奈絵 小林 三智子
出版者
一般社団法人 日本調理科学会
雑誌
日本調理科学会誌 (ISSN:13411535)
巻号頁・発行日
vol.35, no.3, pp.242-249, 2002-08-20 (Released:2013-04-26)
参考文献数
16
被引用文献数
1

The physical properties were investigated and a sensory evaluation was carried out on imo-mochi containing various starches and starch gels.Textural and tensile rupture measurements were made with a Rheoner, and the sensory evaluation was rated by the scoring method.The physical properties of Imo-mochi containing a starch gel vary according to the kind of starch. Imo-mochi is considered to have a texture like rice cake because of its higher elasticity than that of a starch gel.The results of physical measurements showed that imo-mochi containing different starches could be classified into two groups: it had higher cohesiveness and extension when mixed with potato, tapioca, sweet potato or kuzu starch than with corn or wheat starch.The former group of imo-mochi is considered to be preferable.The sensory evaluation clarified that imo-mochi containing potato starch was the most preferable among four in the first group, having high transparency, extension, a texture like rice cake and low stickiness.
著者
鈴木 篤 飯田 展久
出版者
日経BP社
雑誌
日経ビジネス (ISSN:00290491)
巻号頁・発行日
no.1878, pp.76-79, 2017-02-13

阪急阪神百貨店を中軸にして、主に関西で事業展開する、エイチ・ツー・オーリテイリング。昨秋以降、そごう・西武からの3店舗取得や関西スーパーへの出資を相次ぎ発表した。脱・百貨店依存を掲げ、業界再編の台風の目になりつつある。
著者
鈴木 隆弘
出版者
東洋文庫
雑誌
東洋学報 = The Toyo Gakuho (ISSN:03869067)
巻号頁・発行日
vol.103, no.2, pp.29-59, 2021-09-16

The propaganda bureau of the Chinese Nationalist Party (KMT) has the role of “induction of the public opinion,” “regulation of the public opinion,” outside the party, and “opinion agreement” to unify the opinion within the party. This paper demonstrates that the propaganda bureau of the KMT strengthened control by unifying the opinion within the party in the early days of the tutelage period. Two methods of unifying the opinion were employed. First, the KMT created a vertical leadership system for the local party propaganda bureau by the central party, and second, the party members were instructed by the content of the propaganda to homogenize political ideas. After the reorganization of the KMT in January 1924, the necessity of both methods was recognized; however, the system was not sufficiently established, and the opinion was not unified. Therefore, it was extremely vulnerable as an organization. Hence, the KMT proceeded with developing the propaganda organization in 1928. First, the organizational rules of the central-local propaganda bureau were formulated, and the hierarchical relationship between the propaganda bureau of local propaganda organization was established with the central propaganda bureau at the top. An “propaganda system” based on orders and obedience was institutionalized. In addition, in the “propaganda strategy” established by the central propaganda bureau, the propaganda was divided into “inside the party” and “outside the party.” The “inside of the party” propaganda refers to unifying the intentions of the party members. After establishing such an institutional framework, the central propaganda bureau increased its effectiveness in various ways. First, it thoroughly carried out a “propaganda work report” to the upper party bureau from the lower party bureau. The central propaganda bureau gave instructions based on these reports, rigorously assessing and evaluating the reports to control the lower party. Furthermore, to promote the unification of the content of propaganda, a national propaganda conference was held to unify the content of propaganda and to exchange people. By supplying a large amount of propaganda items throughout the region, they tried to unify the propaganda and promote the unification of the party members’ opinions.
著者
鈴木 明美
出版者
名古屋市立大学
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.13-24, 2008-06

本稿は、明治期に渡豪した初期移民、柏木坦の半世紀にわたる足跡を考察し、オーストラリアにおける日本人移民史の一端を明らかにすることを目的とする。オーストラリアにおける日本人移民は、北部のトレス海峡に位置する木曜島で真珠貝採取業に従事した自由・契約労働移民とクィーンズランド州のサトウキビ農園で契約労働に従事した人々に大別できる。移民のなかには、オーストラリアに定住し、実業家となったり、契約労働期間終了後に別の事業に従事した人々がいる。これらの人々は、連邦結成後、白豪主義が導入されたオーストラリアで、外国人登録をして生活していたが、第二次世界大戦開戦と同時に、「日本人」であることを理由に、「敵性外国人」として強制収容された経験を持つ。終戦後、ほとんどの「日本人」が本国送還されたが、木稿で取り上げる柏木坦は、オーストラリア人の妻とオーストラリア生まれの娘がいたことなどを理由に、残留を許可された少数の「日本人」のうちの一人である。和歌山県出身の柏木は、木曜島で日本人コミュニティーのリーダー的存在として活躍後、ブリスベンで実業家として成功した。オーストラリア連邦公文書館には、敵性外国人として強制収容された「日本人」の個人ファイルが保管されており、一部を除いて公開されている。木稿は、公文書館のファイルをもとに、オーストラリアにおける日本人移民史を個人の記録から読み解こうとするものである。
著者
高橋 裕史 梶 光一 吉田 光男 釣賀 一二三 車田 利夫 鈴木 正嗣 大沼 学
出版者
日本哺乳類学会
雑誌
哺乳類科学 (ISSN:0385437X)
巻号頁・発行日
vol.42, no.1, pp.45-51, 2002 (Released:2008-07-23)
参考文献数
13
被引用文献数
8

洞爺湖中島において移動式シカ用囲いワナの一種であるアルパインキャプチャーシステム(Alpine Deer Group Ltd., Dunedin, New Zealand)を用いたエゾシカ Cervus nippon yesoensis の生体捕獲を行った.1992年3月から2000年2月までに,59日間,49回の捕獲試行において143頭を捕獲した.この間,アルパインキャプチャーの作動を,1ヶ所のトリガーに直接結びつけたワイヤーを操作者が引く方法から,電動式のトリガーを2ヶ所に増設して遠隔操作する方法に改造した.その結果,シカの警戒心の低減およびワナの作動時間の短縮によってシカの逃走を防止し,捕獲効率(捕獲数/試行数)を約1.1頭/回から3.5頭/回に向上させることができた.
著者
北村 寿 三角 隆 扇田 哲男 浅野 和也 鈴木 則仁
出版者
横浜植物防疫所
雑誌
植物防疫所調査研究報告 (ISSN:03870707)
巻号頁・発行日
no.45, pp.37-40, 2009-03

検疫現場や農業現場における病害虫管理において、臭化メチルは有用なくん蒸剤として使用されてきた。しかしながら、臭化メチルはオゾン層破壊物質に指定されており、現在では検疫と不可欠用途以外での消費が禁止されている。一方リン化水素は、臭化メチルに代わるくん蒸剤として貯穀害虫管理のため広く使用されている。農薬を含む化学物質の食品中への残留については食品衛生法のもとで規制されており、基準値以上の量の農薬が残留する食品の流通が禁止されている。植物検疫くん蒸に使用されるリン化水素も同法により規制されており、その残留分析法については公定分析法として定められている。ヘッドスペースガスクロマトグラフを用いたリン化水素の残留分析は、小麦及び小豆において公定分析法よりも迅速・簡便な方法であるとの報告があり、その分析精度は公定分析法と同等であるとしている。また、この方法は、穀類、スパイス及びハーブの数種においても高感度でリン化水素の分析が可能であるが、大豆など粒が大きな品目ではばらつきの大きなデータとなり、ウコン等においてはくん蒸前に破砕することが残留値に影響を与えることが報告されている。この原因として、リン化水素の残留は一粒一粒の残留量がかなり異なることが考えられる。正確な残留量を評価するためには再現性のあるデータを得る必要があり、その方法の一つとして試料を破砕均一化することが考えられた。また、リン化水素は常圧条件下では揮発性の化合物であり(沸点:-87.7℃)、破砕により熱を発生し試料から揮散してしまう可能性がある。したがって破砕する際には揮散をできるだけ抑えるために低温条件下で実施する必要がある。以上から、低温条件下で穀類、スパイス及びハーブ類を破砕してヘッドスペースリン化水素残留分析を実施し、再現性のある前処理及び分析方法を検討した。