著者
福田 友子
出版者
千葉大学
雑誌
研究活動スタート支援
巻号頁・発行日
2010

本研究は、トランスナショナルな移住形態が顕著に、かつ継続的に見られる、在日/元在日パキスタン人移民とその家族を調査対象者として取り上げ、日本社会に一旦適応したはずのパキスタン人移民が日本社会を離れることを決断し、「第三国」や「最終目的国」に再移住して活動拠点を形成する過程を分析し、その背景にどのような要因があるのかを考察した。そして「間接移民システム」モデルとトランスナショナリズム論を組み合わせながら、独自の説明図式を提示した。
著者
川合 安
出版者
北海道大学
雑誌
奨励研究(A)
巻号頁・発行日
1993

六朝時代における官制改革論の中で一貫して提起され続けた重要な論点の一つが、地方分権の推進であることが明らかになった。地方分権の主張は、曹操政権の時代(三世紀初頭)、「封建論」として提起される。中央集権的な郡県制を採用した秦漢古代帝国が滅亡の危機に瀕していたこの時期、理想的な周代封建制回帰の志向が強まったのである。「封建論」を最初に提起した荀悦は、封建諸侯の政治は王と領民と双方の規制を受け、王の政治も諸侯の規制を受けて、極端な悪政の出現が防止される点をメリットとして強調する。当時の論者の中には、封建の立場をとらず、郡県制の枠内で地方長官に領兵権を与えることを主張する者もあった(司馬朗)が、権力の分散という方向性においては「封建論」と軌を一にしていたといえよう。三国・魏の後半には、司馬氏の台頭に対する危機感から、皇室曹氏擁護のための皇族封建が強く主張される(曹問等)。司馬氏による西晋王朝創業の際にも、魏滅亡の教訓から皇族封建が主張された(段灼)。これら皇族封建論にも分権という論点が欠落していたわけではないが、皇族重用の方に力点があった。西晋の皇族「封建」政策は、皇族重用ではあっても、地方分権ではなく、実質的には郡県制であった。この点に対する批判は、劉頌や陸機によって展開され、封建制採用による地方政治の活性化が唱えられた。が、四世紀初頭、西晋の皇族「封建」が無惨な失敗に終わると、封建の魅力は大きく後退し、四世紀後半の袁宏を最後に、「封建論」はみられなくなる。かわって登場してくるのが、郡県制の枠内で地方長官の任期を長期化する等の措置を講じて、地方分権を実現しようとする主張である。その嚆矢は、四世紀初頭の丁潭であり、六世紀初頭の南朝・梁の官制改革を主導した沈約の地方分権論へとつながっていくのである。
著者
藤井 律之
出版者
京都大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2003

今年度は、前二年度におけるデータをもとに論文を作成したので、その要旨を以て概要に代える。魏晋南北朝時代、とくに東晋から南朝では、官職の清濁が選挙の基準であり、官品が官人の地位を表象しなかった。そのため、官職の兼任によって、官僚の地位を昇進させる場合があった。官職の兼任は、従来注目されてこなかったが、侍中領衛(侍中が左右衛将軍を兼任すること)に代表される、侍中と内号将軍(西省ともよばれる)の兼任は、兼任によって地位が異動することを示す典型的な事例である。侍中は、尚書令へと続く最上級官僚の昇進経路のスタートにあたり、南朝では、侍中→列曹尚書→吏部尚書、中領軍・中護軍→尚書僕射、領軍・護軍将軍→尚書令という昇進経路が確立していた。それと並行して、侍中→侍中領五校尉→侍中領前軍・後軍・左軍・右軍将軍→侍中領驍騎・游撃将軍→侍中領左右衛将軍(→尚書令)という序列が形成されていた。これらのうち、侍中と驍騎・游撃将軍以下の内号将軍の兼任は、疾病による任命が多いことから、職掌は期待されておらず、官人の地位の上下を示すだけであった。それは、宋中期以後、驍騎・游撃将軍の定員が無くなり、必ずしも実兵力を統括しなくなったこと、また、侍中も才能ではなく、家柄や外見を基準に選ばれるようになっていたからである。侍中による序列が形成された理由は以下のように考えられる。1:東晋末から宋初に、侍中と左右衛将軍を兼任した人物が政局を左右し、そのため侍中領衛が高く評価されるポストとなった。2:侍中が昇進先にあたる列曹尚書よりも清とみなされ、当時の官人は昇進経路を逆行してでも侍中に任ぜられることを望んだため、侍中と他の官職を兼任させることによって官人の地位を昇進させることが行われ、侍中領衛へとつづく、侍中と内号将軍の序列が形成された。3:散騎常侍が濫発された当時において、代替として内号将軍を兼任することが当局に歓迎された。
著者
佐藤 大志 釜谷 武志 佐竹 保子 大形 徹 川合 安 柳川 順子 釜谷 武志 佐竹 保子 大形 徹 川合 安 柳川 順子 林 香奈 狩野 雄 山寺 三知 長谷部 剛
出版者
広島大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2006

本研究では、『隋書』音楽志上・中・下の本文校訂と訳注作成を行い、その訳注の検討を通して、南北朝末期から隋王朝へと各王朝の音楽及びその制度が整理・統合されていく過程を明らかにした。南朝では梁王朝によって雅楽が整備され、陳王朝を経て、隋王朝の雅楽改革へと影響すること、北朝では中原以外の楽が中原の楽と融合しつつ隋王朝の雅楽や燕楽に吸収されてゆく過程などを辿り、南北朝から隋へと至る宮廷音楽の変遷を解明することを試みた。
著者
石井 象二郎 井口 民夫 金沢 純 富沢 長次郎
出版者
日本応用動物昆虫学会
雑誌
日本応用動物昆虫学会誌 (ISSN:00214914)
巻号頁・発行日
vol.28, no.4, pp.269-273, 1984-11-25
被引用文献数
7

イラガ<i>Monema (Cnidocampa) flavescens</i> WALKERの幼虫は非常に硬い繭をつくる。その硬さは物理的な構造と化学的な組成に由来する。<br>繭層は異質の4あるいは5層からなる回転楕円体で,繭層率は20%を越えるものが多い。繭層には蛋白質が約34%含まれ,その蛋白質は絹糸蛋白と,吐出液に含まれる蛋白質である。後者は絹糸の網目に塗り込まれる。営繭の当初淡褐色であった繭は時間の経過に伴って濃褐色となり,硬化する。硬化した繭層の蛋白質にはβ-アラニンの含量が高い。繭の硬さは化学的には硬化された蛋白質がおもな要因で,それが絹糸の網目にきっちりと詰まっているのである。<br>繭層にはカルシウムが多く含まれるが,それはシュウ酸カルシウムとしてマルピーギ管で生成されたものであり,主として繭の白斑部に局在している。カルシウム含量が高いことは,繭の硬さに直接の関係はないであろう。
著者
野々村 美宗
出版者
山形大学
雑誌
若手研究(スタートアップ)
巻号頁・発行日
2007

皮膚の構造と機能を模倣した表面を持つマイクロカプセルおよび皮膚モデルを開発し、皮膚が外部刺激や乾燥から体内の臓器を保護する機構を物理化学的視点から解明することを日的として研究を行った。その結果、羊毛を粉砕して得たケラチンパウダーによって被覆されたエマルション及びマイクロカプセルの調製に成功した。このマイクロカプセルは皮膚のモデルとして有用なだけでなく、生体への安全性や皮膚親和性の高い化粧品1医薬品用製剤に有用であることが予想される。また、固体粒子とモデル細胞間脂質混合膜で寒天ゲルを被覆した皮膚モデルを調製し、寒天ゲルからの水分蒸散量を測定した。その結果、コレステロールと脂肪酸を適量添加することにより、寒天ゲルからの水分の蒸散が効果的に防止されることを見出した。この成果は角質層内における脂質の存在の重要性を示すものであり、化粧品などの開発に有川な知見である。
著者
薄井 俊二
出版者
埼玉大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1993

本研究の目的は、「華陽国志」等の魏晋南北朝期の地方志に見られる地理思想・地理的世界観を思想史的に考察することにある。しかしこの期の地方志は、実際にはほとんどが散逸してしまっているため、先ず「地方志」の本文の蒐集・確定という基礎的な作業を行う必要がある。こうした仕事は清朝の学者達によってある程度なされており、その集大成として王謨の「漢唐地理書鈔」があるが、残念なことにこの輯逸本は一部分が刊行されているに留まり、多くの部分が散逸してしまっている。そこで本研究の具体的な作業としては、この「漢唐地理書鈔」にならった地理書の輯本の作成に力を注いだ。即ち現存する「漢唐地理書鈔」の二つの目録に収録されている、500種あまりの書名を下敷きにして、地理書の目録、及び輯逸本の作成を進めた。その成果の一部は、「漢唐地理書目(稿)その1-「起漢至唐諸州地理書記」篇-」として、研究成果報告書にまとめた。今後継続して進める予定である。また、後漢から魏晋南北朝期の地理思想の展開の様を明らかにする目的で、「紀行文的文学作品」や「遊記的散文」の検討も行なった。具体的には、「曹操の楽府詩「歩出夏門行」について」において、この詩が軍旅を契機とした紀行文的な連作の詩であるという点では紀行文的辞賦作品の系譜の上にあるものの、詩全体の性格としてはむしろ泰の始皇帝の「泰山刻石」や漢の高祖の「大風の歌」に通ずるものであることを明らかにした。また、「封禅儀記訳注稿」においては、この資料が封禅の記録という儀注・起居注的部分と、山川遊歴的な部分とに色分けされ、後者は後に登場する「山川遊記」の先駆的性格を有するが、そこに見られる山川観はきわめて即物的であったことを指摘した。こちらの展開としては、東晋の慧遠の作とされる「遊石門詩並序」を次の対象とし、仏教思想の展開を視野に入れつつ考察を深めてゆきたいと考えている。
著者
安田 二郎 津田 芳郎 中村 圭爾 吉川 忠夫 山田 勝芳 寺田 隆信
出版者
東北大学
雑誌
総合研究(A)
巻号頁・発行日
1992

中国の知識人(士大夫)層の「歴史」との関わり方の諸相を、春秋時代から清末までにわたって幅広く発掘し、各々の時代性と関連づけて解明した。主要な成果の一部を紹介すれば、以下の如くである。(1).漢武帝が、季陵の家族や司馬遷に下した厳罰は純然たる司法処置であって、怒りにまかせた感情的行為とするのは、三国期に出現した新解釈であり、ここには古代的漢武帝像から中世的武帝像への展開を見出し得る。(2).『晋書』の日食記事には、実際には観測不可能な夜日食、わらには非日食さえもが数多く見出される。地上における政治的混乱は必ず天文現象に反映するという、編纂者たちがいだく天人相関理論に対する確信が、かかる虚偽記事を記さしめた理由の一として指摘できる。この事実は、中国中世における歴史叙述の特殊な性格をうかがわせる。(3).梟雄桓温の野望を抑えることを現実的な動機とした習鑿歯『漢晋春秋』が、魏をしりぞけて蜀を正統とした理由は、司馬氏一族が魏代に行った悪業を免罪することにあり、かかる視点の設定が、司馬昭の魏帝弑殺の事実を直書することをはじめて可能とさせ、鑒誠の実をあげしめた。(4).『新唐書』には、唐代の知識人が開陳した見解をそのまま利用しているケースがいくつも確認される。中国近世独裁体制下における修史事業の複雑微妙さを考えさせる。(5).司馬光『資治通鑑』刊行後、近世士大夫層の歴史理解が専らそれに依存したというばかりでなく、征服諸王朝下においても各々の国語に翻訳され、非漢民族支配層の好箇の教本として愛読され活用された。(6).金石資史料は、既存文献とは異なる情報を数多く与えてくれるが、特に墓誌銘の場合には、極度な虚飾を加えた記述も少くはなく、利用には慎重を要する。
著者
村上 哲見 渡辺 武秀 浅見 洋二 熊本 崇 川合 康三
出版者
東北大学
雑誌
一般研究(B)
巻号頁・発行日
1986

中国における文学芸術の最も洗練された部分は, 「文人」と呼ばれる人々によって支えられて来た. 人間類型としての「文人」は, 魏晋の頃に出現し宋代に至って完成したものと考えられる. そこで本研究は, 宋代を中心として, この「文人」なる人間類型の特色を解明し, 更にその現実の姿ならびに文学芸術との関係などを考究すべく計画された.「文人」と並ぶ中国特有の人間類型に「読書人」と「士大夫」がある. 本研究ではこれらを対比しつつ分析することによって, それぞれの特色を明らかにした. まず「読書人」の不可欠の必要条件を考えてみると, (1)儒教の古典に通ずること, (2)文言の韻文および散文が書けること, の二点に帰着する. この点は「文人」も「士大夫」も共通で, つまり「文人」も「士大夫」も「読書人」であることを前提として, 他の要素が加わったものである. 「士大夫」にとって必須のもうひとつの要素は, 国家社会の経営に対する使命感であり, 実践としては官僚となって政治に参与することになる.つぎに「雅俗観」すなわち「雅」と「俗」とを上下に対置して一切の評価の基準とする認識は, 中国の伝統的知識人に普遍的な価値観であるが, それを純粹につか徹底的に追求する精神が, 「文人」なる人間類型の核心である. そこで実践としては, 「読書人」としての必要条件を備えるのは当然のこととして, 書画音楽など, 更に高度な芸術に秀でることになる.「士大夫」と「文人」とは矛盾するものではなく, 双方の要件を兼ね備えた人を「官僚文人」という. 歴史的にみると, 北宋では欧陽修・蘇軾など, すぐれた官僚文人が輩出したが, 南宋になると姜〓・呉文英など, 純粋型の文人が輩出し, これが南宋の文化を特色づけている. またこれらの文人が江南地方と深く結びついていることも見逃せない. 本研究ではそうした具体的な情況についても考察を進めた.
著者
山田 利明 三浦 国雄 堀池 信夫 福井 文雅 舘野 正美 坂出 祥伸 前田 繁樹
出版者
東洋大学
雑誌
総合研究(A)
巻号頁・発行日
1991

平成3・4年度にわたる研究活動は、主に分担課題に対しての研究発表と、提出された資料の分折・カード化などを行い、分担者全員にそれらのコピーを送付して、更なる研究の深化を図った。それぞれの分担者による成果について記すと、山田は、フランスにおける道教研究の手法について、宗教研究と哲学研究の2方法とに分けて論じ、坂出は、フランスの外交官モーリス・クランの漠籍目録によって、フランスの中国宗教研究の歴史を論じ、舘野は、道家思想にあらわれた時空論のヨーロッパ的解釈を論じ、田中は、中国仏教思想のフランスにおける研究法を分折し、福井は、フランス所在の漠籍文献の蔵所とその内容を明らかにし、さらに、堀池は近安フランスの哲学者の中にある中国思想・宗教の解釈がいかなるものかを分折し、前田は、フランスの宗教学者による宗教研究の方法論を論じ、三浦は、フランスのインド学者フェリオザのヨーガ理解を分折し、宮沢は、フランス発行の『宗教大事典』によって、フランスにおける中国宗教研究の理解を論じた。以上の所論は『成果報告書』に詳しいが、総体的にいえば、フランスの東洋学が宗教に着目したのは、それを社会現象として捉えようとする学問方法から発している。二十世紀初頭からの科学的・論理的学設の展開の中で、多くの研究分野を総合化した形態で中国研究が発達したことが、こうした方法論の基盤となるが、それはまた中国研究の視野の拡大でもあった。本研究は、フランスの中国宗教研究を、以上のように位置づけてみた。つまり、フランスにおける中国宗教の研究についての観点が多岐にわたるのは、その研究法の多様性にあるが、しかしその基盤的な立脚点はいずれも、社会との接点を求めようとするところにある。
著者
柳川 順子
出版者
県立広島大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2008

本研究は、五言詩という詩型が、詠み人知らずの詩歌から、知識人の文学へと展開していった経緯を明らかにしたものである。特に、知識人による五言詩の祖と目される漢代の古詩について、この作品群の中に別格の一群が存在することを指摘し、このことを手がかりに、古詩が成立した場やその年代を推定し、この詩型が急速に知識人社会に伝播していった理由を解明した点で、これまでの研究史に新たな一視点を加え得たと言える。
著者
小林 敏男
出版者
大東文化大学
雑誌
人文科学 (ISSN:18830250)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.170-141, 2003-03-31
著者
沼田 倫征
出版者
独立行政法人産業技術総合研究所
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2006

tRNAアンチコドン一文字目の塩基修飾は,コドンの適正な縮重を制御しており,正確なタンパク質合成にとって重要である。グルタミン酸,リジン,グルタミンをコードするtRMのアンチコドン1文字目のウリジンは,全ての生物種において修飾を受け2-チオウリジンとなる。アンチコドン1文字目のウリジンに導入される硫黄はシステインに由来しており,反応性に富む過硫化硫黄中間体となって硫黄リレータンパク質(IscS,TusA,TusBCD,TusE)を移動し,tRNAチオ化修飾酵素であるMhmAに引き渡される。本研究では,tRMへの硫黄転移反応を解明するために,IscS-TusA複合体,TusA-TusBCD複合体,TusBCD-TusE-MnmA複合体,TusE-MnmA-tRNA複合体の結晶構造解析を目指している。これまでに,IscS,TusA,TusBCD,TusE,MnmAの大腸菌を用いた大量発現・精製系,およびT7 RNAポリメラーゼを用いたin vitroにおけるtRNAの大量調製系を構築し,それぞれの複合体の結晶化条件の初期スクリーニングを行った。現在までに,いくつかの複合体に関して予備的な結晶を得ており,現在,結晶化条件の最適化を行っているところである。TusE-MnmA-tRNAからなる三者複合体結晶については,大型放射光施設にて回折強度を測定し,分解能5Å程度の回折データを収集した。
著者
森山 秀二
出版者
立正大学
雑誌
経済学季報 (ISSN:02883457)
巻号頁・発行日
vol.54, no.3, pp.163-179, 2005-03-20

現存の王安石の詩歌には、詩の冒頭二文字を題辭に當てる作品が110首ほどあって、その多くは晩年の半山退去後の作品である。こうした題辭のあり方は『詩經』以来の伝統を受け継いで、近體詩においては杜甫が始めた作詞の手法であり、それは李商穏に継承され、無題とともに晩唐から宗初にかけて、一世を風靡する作風となった。従ってこうした王安石の詩の冒頭に文字を題辭に當てる作品も、恰も杜甫や李商穏の系譜を受け継いだ結果のように見える。しかしながら、王安石の現存の詩文集(『臨川先生文集』・『王文公文集』・李壁注『王荊公詩注』)における収録の状況をみると、異同甚だしいものがあり、題辭の多くが一致していないのである。殊に、最も版刻の古い「龍舒本」に名で知られる『王文公文集』では、その他二集が冒頭二文字を題辭にあてている作品の多くを連作として扱い、題辭自体を與えていないのである。そこで、本論文では、上記三詩文集の版本流伝状況から、より整備された印象のある四部叢本に代表される『臨川先生文集』(臨川本)や『李壁注本』よりも、未整備な印象の強い『龍舒本』に王安石自身の賓態がより多く反映されていることを論じた。つまり、王安石自身が箇々の作詩に際して、冒頭二文字を必ずしも表題としたわけではなく、むしろ後の王安石の詩文集を編集した人々が、杜甫や李商穏の手法を倣って命名したことが、三種の版本の差異に現れたものと思われ、このことは、王安石の半山退去後の、所謂「半山絶句」における文学的深化や成熟を考える上に、興味深い問題点を示唆しているように思われる。なお、本論文は2002年度の在外研修時に、北京大学において執筆・発表したため、中国語で書かれていることを了承されたい。
著者
田中 教照
出版者
武蔵野女子大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1985

パーソナルコンピュータに市販のデータベース用ソフトウェア『INFORMIX』(アスキー社)を用いて, パーリ語文献(今回はVibhangaとVibhangaatthakath#)の有効なデータベース化について研究した. 研究は主に, 入力方法と検索方法とINDEX作成方法について検討した.入力方法については, 現存のテキストをそのままの形式で入力保存することを原則とした. 従って, テキストの頁・行を単位として入力する方法を採り, パーリ語の文単位や単語単位の入力法にしなかった. これは, 現テキストのレファランスがデータベースにおいても可能とするためである. 入力文字については, パーリ語のローマ字表記が現存のJIS規格キーボードでは不足するので, その点を, 長音表記は単音二語に置換するなど工夫した. 外字作成法は入力タッチも複雑になるので採らないことにした.データの検索法については, 『INFORMIX』の出力形式を自由設定するプログラム, ACEを用いて, 指定する言名, 章名, 頁行, 本文を自由に検索するよう, エディタを用いて "KENSAKU"という構文を作成した. これによって, テキストの頁のレファランスも可能であるし, 同時に単語の用例検索, パラレルパッセジの検索も容易になった.INDEXの作成法については, 保存されたテキストをそのまま使ってINDEXを直ちに作る方法を考えたINDEX作成には, 一単語ごとの入力が一番よいが, それは, 入力データの再活用が出来ないので採らなかった. ワイルドカードを用いた, 単語の検索によって得られた単語と頁行を一時ファイルに納め, そのファイルから単語順に並べて取り出す方法と採ることにした. 但し, 単語順は, パーリ語の単語順に出来ないので, 単語を置換せねばならない. また, すべての単語の検索を自動化するところまで至っていない. これらの点は今後の課題である.
著者
澤村 明彦 二文字 俊哉 小林 寛道 佐藤 孝 大河 正志 丸山 武男 吉野 泰造 國森 裕生 細川 瑞彦 伊東 宏之 李 瑛 長野 重夫 川村 静児
出版者
一般社団法人電子情報通信学会
雑誌
電子情報通信学会技術研究報告. LQE, レーザ・量子エレクトロニクス (ISSN:09135685)
巻号頁・発行日
vol.103, no.526, pp.17-20, 2003-12-11

これまで我々はRb原子の吸収線に磁気光学効果を用いる安定化法に,我々が考案したPEAK方式を採用することで基準信号を得て,半導体レーザの発振周波数安定化を行ってきた.また近年,フェムト秒パルスモード同期レーザによる光周波数コムが光周波数の新たな基準として注目されている.そこで本研究ではPEAK方式を用いて安定化したレーザの周波数安定度を,光コムジェネレータを用いて測定した.さらに安定度の改善と発振スペクトル幅の狭窄化を目的として,1つの半導体レーザに2つの光フィードバック(ダブル光フィードバック)を施した状態で発振周波数を安定化することについて検討した.