著者
日野 晶也 角田 恒雄 釜野 徳明 野川 俊彦 小笠原 強 速水 格 松本 政哲 服部 明彦 西川 輝明 竹内 一郎 橋本 惇 三浦 知之 木津 治久 森田 博史 姚 揚貨 易 新生 小宮山 寛機 林 正彦 川村 将弘 張 恵平
出版者
神奈川大学
雑誌
年報 (ISSN:13420917)
巻号頁・発行日
vol.2001, pp.127-129, 2002-03

約100万種といわれる海洋生物は,地上における最も未知の世界である。この海洋生物から,医薬資源となりうる有用な生理活性物質を発見し,構造を明らかにし,生理活性を検討することを目的としている。NIHで臨床試験中のドラスタチン10(ウミウシ成分)とブリオスタチン1(フサコケムシ成分)は,釡野がその研究に携わったものである。平成元年以来,日野,西川等の協力を得て,平塚付近(相模湾)および岩手県大槌町付近(大槌湾)の海洋生物を検討し,特に青森,浅虫湾のフサコケムシからブリオスタチン10という強い抗癌性物質を見いだし,抗エイズ活性もあることが分かった。また,これらの物質には,ホルモン産生活性などの作用の存在も明らかになり,医薬品としての開発の可能性が考えられる。さらに,フロリダ産コケムシから10数種の新規アルカロイドを単離したが,このうちconvolutamydineが,ヒト急性骨髄性白血病細胞HL-60に対し,強力な分化誘導作用を示し,新たな抗癌剤発見の手がかりになる可能性もある。2000年度には,ほぼこれらのアルカロイドの全合成を完成した。これらの結果をふまえ,日本沿岸およびアジア各地の海洋生物について探索が計画されている。さらに,橋本,三浦等が「しんかい6500」,「しんかい2000」により採集した深海生物に対する検討も行い,今までに相模湾産シロウリガイとヘイトウシンカイヒバリガイおよびサツマハオリムシ,さらに巻き貝2種Alyinconcha cf. hesseleriおよびIfremeria nautileiの化学成分の検討を行っている。また,竹内等による南極付近の生物の入手も期待できる現状にある。さらに,新しく速水先生が加わり,洞窟生物の調査・採集が可能となっている。一方,生理活性,薬理作用検討に新たにそれぞれ小宮山博士,林博士,川村教授の協力が得られている。また,一昨年から中国でのフサコケムシの探索が姚新生教授と新たに参加した易楊貨教授によって開始され,かなり大量の生物が採集された。この生物からの活性物質の単離はこれからの大きな仕事であり,その結果が期待される。本年度は今までの生物成分のまとめを行った。特に,日本産ナマコ類成分,沖縄と真鶴で採集した日本産フサコケムシ成分,および深海巻貝2種の成分研究を完成した。
著者
松村 真宏 三浦 麻子 小森 政嗣 平石 界
出版者
一般社団法人 人工知能学会
雑誌
JSAI大会論文集
巻号頁・発行日
vol.2015, pp.2B4NFC02b1, 2018-07-30

<p>東日本大震災の際、情報を得るためのインフラとして活用されたツイッターは、他メディアに流れた情報を共有する「メタメディア」としても機能していた。震災関連情報の中には真偽の明確でない情報、悪質なデマ、賛否の分かれる事柄など、議論や論争を呼び起こすものが多かった。本稿では、ツイートログを対象として、メディアが誘発した投稿者の感情を分析し、メディアが投稿者の心理的な側面に及ぼした影響について探る。</p>
著者
三浦 健一郎 服部 元史
出版者
一般社団法人 日本小児腎臓病学会
雑誌
日本小児腎臓病学会雑誌 (ISSN:09152245)
巻号頁・発行日
vol.32, no.2, pp.77-85, 2019 (Released:2019-11-22)
参考文献数
31

体液量と水電解質異常の評価およびそれに基づいた輸液の選択は小児診療における日常的な課題である.低張液輸液による hospital-acquired hyponatremia (医原性低ナトリウム (Na) 血症) の危険性が指摘され,維持輸液として等張液を用いることが推奨されるようになった.しかし,その根拠となった文献において低張液輸液で症候性低 Na 血症や死亡などの重篤な有害事象の発生頻度が有意に増加することは示されておらず,現時点において維持輸液として画一的に等張液を選択するということについては疑問が残る.むしろ,実際の患者の状態を観察し,抗利尿ホルモンの分泌刺激となりうる病態の評価を行いつつ,維持輸液開始後に適切なモニタリングを行うことが重要である.このためにも,基本的な脱水,血清Na異常の病態理解と評価が重要であり,体液量と総陽イオン量で血清Na 値をとらえる概念が非常に有用である.
著者
三浦 於菟 松岡 尚則 河野 吉成 板倉 英俊 田中 耕一郎 植松 海雲 奈良 和彦 芹沢 敬子 中山 あすか 橋口 亮 福島 厚 小菅 孝明 斉藤 輝夫
出版者
一般社団法人 日本東洋医学会
雑誌
日本東洋医学雑誌 (ISSN:02874857)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.1-14, 2012 (Released:2012-08-24)
参考文献数
53

盗汗病態理論の史的変遷を中国医書に基づいて検討した。隋代まで,盗汗と自汗の病態は同様であり,主に体表の気虚によって出現すると考えられていた。唐代には,盗汗と自汗の病態の相違性が指摘され,盗汗は熱によって出現するとされた。宋金代には,血虚や陰虚の熱が盗汗を出現させるとされた。金代には,寒邪などの外邪によっても盗汗は起こるとの実証盗汗理論が提唱された。元代と明代の初期には,盗汗は陰虚,自汗は陽虚という学説の完成をみた。明代中期には,盗汗は陽虚でも出現する事があり,病態によって盗汗と自汗を把握すべきだという新学説が登場した。清代には,外邪のみならず湿熱,食積,瘀血によっても盗汗は出現するという実証の盗汗,部位別盗汗病態などの新しい学説が登場した。また温病盗汗は傷寒とは異なり陰虚によるとの学説もみられた。盗汗学説は古きに知恵を求めながら発展したといえる。
著者
小澤 俊文 三浦 恭資 白井 宏和 中川 貴之 齊藤 雅也
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.260-262, 2020-03-25

疾患の概念 食道乳頭腫は上皮性の食道良性腫瘍である.臨床的にしばしば遭遇し,悪性化することは極めてまれで病的な意義は薄い.ほとんどが無症状のため内視鏡検査時に偶然発見されることが多い.男女比は2:1と男性に多く,中高年者に多く認められる1).好発部位は食道下部とされ平均径7mmと小さく,頻度は0.07 2)〜0.44%1)と報告されている.逆流性食道炎や裂孔ヘルニアに合併することが多いことから,病因として酸逆流による慢性刺激が考えられている.また,1980年代以降HPV(human papilloma virus)の関与も報告されているが,現在では否定的とされる.
著者
三浦 雅史 川口 徹
出版者
JAPANESE PHYSICAL THERAPY ASSOCIATION
雑誌
日本理学療法学術大会
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.Cb1152-Cb1152, 2012

【目的】 シンスプリント(過労性脛部痛)は多くのスポーツ選手に出現する慢性スポーツ外傷の一つである。主な症状としては脛骨内側部の圧痛や運動痛が挙げられる。2004年、著者はこの脛骨内側部の疼痛軽減を目的に「シンスプリント用装具(以下、本装具)」を開発した(平成22年5月28日特許取得、特許第4520842号)。2005年~2008年、2010年~2011年(第40~43回、45~46回日本理学療法学術大会)には、本装具が疼痛軽減効果を有することを報告した。2005年の第40回大会では、本装具とテーピング療法について比較・検討し、同等の効果を有することを報告した。一方、テーピングは、一般にその効果の有効性は認識されてはいるが、コストがかかり過ぎるといった点を指摘されることも多い。本研究では治療コストに焦点を当てた。本研究の目的は、シンスプリントの治療として、本装具とテーピングをコスト面から比較・検討することである。【方法】 対象はA高校の男女バスケットボール部に所属する高校生とした。男子部員は32名、女子部員は36名であった。その内、シンスプリントと診断されている部員は6名(男子2名、女子4名)であり、本調査対象とした。この6名は薬物療法等の加療を受けておらず、多くが湿布やアイシングといったケアを実施している者であった。彼らに対し、シンスプリント用のテーピングの巻き方を事前に指導した。テーピングの方法は患部を非伸縮性テープで圧迫する方法とし、25mm、50mmのテープを使用した。また、ラッピングのために50mmの伸縮性テープも使用した。事前に一定量のテーピングを提供し、シンスプリント以外の目的で使用しないようお願いした。テーピングの管理は2名のマネージャーにお願いし、不足が生じた場合はすぐに補充できるようにした。調査期間は2011年5月~7月までの3か月間とした。練習日誌から、練習日数やテープの使用状況を1か月毎に調査した。なお、大会や練習試合については本調査から除外した。今回の調査はテープの使用状況から費用を算出し、本装具の価格と比較した。本装具の価格は5,800円であった。【説明と同意】 本研究を実施するためにA高校校長及びバスケットボール部顧問に対し、研究の趣旨を説明し理解を得た。また、調査対象とした6名の部員及び保護者に対し、文書にて研究の趣旨を説明し、同意を得た上で参加して頂いた。【結果】 調査開始1か月目の練習日数は17日でテーピングの費用は52,820円であった。2か月目の練習日数は20日でテーピング費用は51,200円であった。3か月目の練習日数は19日でテーピング費用は49,900円であった。3か月間の総練習日数は56日でテーピングの総費用は153,920円であった。テーピングの総費用を対象者数で除した場合、3か月間に使用した一人あたりのテーピング費用は25,653円となった。さらに、練習日数で除した場合、1回あたりの費用を算出すると458円であった。本装具の価格(5,800円)を1回あたりのテーピング費用で除した場合、12.6回分であった。【考察】 テーピングは多くのスポーツ現場や臨床現場において日常的に使用される。しかし、毎回、練習毎に使用されるため、常にランニングコストが問題となってくる。今回、3か月間の調査から、テーピングと本装具とを比較した場合、テーピングの使用が12.6回分(約3週間)を超えると、テーピングにかかる費用が装具の価格を上回ってしまう結果となった。すなわち、本調査のように仮に3か月間テーピングを使用した場合、約2万円近い費用が余計に支出することとなる。もちろん、テーピング、装具それぞれに利点・欠点があり、決してテーピングを否定するものではない。ただし、同程度の治療効果が期待できるのであれば、コストの低い治療法を選択することは当然である。特にシンスプリントの疼痛については慢性化によって難渋するケースも多く、治療の長期化や再発例が少なくない。よって、シンスプリントに対しては治療効果とコストの両者から鑑みると、本装具は有効な手段になるのではないかと考えている。【理学療法学研究としての意義】 これまで理学療法では「治療効果」に関する研究は多々存在するが「治療コスト」に着目した報告は少ない。今回調査したシンスプリントのように長期間の治療を要する疾患では、治療効果・コストの両者の面から検討することが重要である。本研究を通し、コスト面への意識を提言できた点は意義ある研究ではないかと考える。
著者
三浦 要
出版者
金沢大学人間科学系紀要編集委員会
雑誌
金沢大学人間科学系紀要 (ISSN:18835368)
巻号頁・発行日
no.1, pp.37-56, 2009-03-31

デモクリトスの倫理学説は,多くの著作断片が残っているにもかかわらず,その自然学説ほど顧みられない.だからといってそれが考察に値しないものであるわけではない.たしかに彼の倫理学的著作断片の多くは伝承の過程でアフォリズムの形へと縮約改変を受けており,一定の学説として再構成することには困難がともなうため,彼を,体系的な倫理学説をもたない,処世訓を与えてくれるだけのモラリストと見なす研究者も多い.しかし,それは彼の思想に対する過小評価と言わざるをえない. むしろ彼は,ソクラテスよりも前に,生の目的を魂の善としての「明朗闊達さ」と措定し,行為の普遍的な規範を規定しようとしており,そのかぎりで彼は体系的な倫理学説を志向した思想家と言える. Although the bulk of the extant fragments of his works deal primarily with ethical matters, Democritus has not received the attention he deserves in his ethics; some scholars merely take his ethical fragments to be a collection of wise saws, and others think of them as a pre-theoretical recipe for happiness; at any rate, such an interpretation places too low a value on his ethical view. My concern in this paper is with Democritus' ethical doctirne which can fully be described as a coherent ethical system. Indeed, it may safely be said that, in spite of the absence of the word telos in his fragments, Democritus offered euthymie or cheerfulness just as telos or the final goal of human life. Euthymie of the soul is identified with well-being and happiness. In Democritus' view, all human actions seek (or should seek) to fulfill a state of cheerfulness, tranquility of mind and self-sufficiency, and the rational choice of particular pleasures in terms of usefulness does produce this cheerfulness, which is itself a pleasure but a supreme one; in this sense, particular pleasures are the necessary condition of the attainment of the cheerfulness. Democritus clearly sets up a single ethical goal and shows the way to achieve it. His ethical theory thus can be called a moderate hedonistic eudaimonism.
著者
三浦 徹
出版者
公益財団法人 史学会
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.98, no.1, pp.1-47,141-142, 1989-01-20 (Released:2017-11-29)
被引用文献数
1

I.M.Lapidus, an American specialist of Middle Eastern history, argued that the ruling Mamluks' role of combining the 'ulama' (religious and legal scholars) and the common people into one political and social unity, was characteristic of the structure of urban society during the Mamluk dynasty. He called such a system of political and social relations the 'Mamluk regime' and insisted that it worked well even after the rise of the Ottoman dynasty. At the end of the Mamluk era, that is during the time from the accession of Sultan Qa'itbay to the decline of the dynasty (1468-1517), the state suffered from a severe financial crisis due to the decrease of iqta revenue and the increase in the payment of salaries for soldiers and civil officials. Also at that time, impoverished Mamluks often revolted against the Sultan for the fulfilment of these payments. These social instabilities forced the Mamluk state to reform its financial and military regime, which had solely depended on the iqta' system and the Mamluks. This article examines those reform policies and their influence over administration and control of cities in the Mamluk state, in an attempt to reinterpret Lapidus' thesis on the structure of urban society. First, concerning financial policy, Sultan Qa'itbay started taxation on property of citizen and waqf endowment. The state intended it to absorb the accumlated wealth in cities for the betterment of bugetary conditions. For the same purpose the state adopted a policy to take bribes at appointments of officials and to confiscate their property during their tenures of office. It accelerated both a plutocratic tendency among officials and the prevalence of bribary in the administration. This tendency was especially noticeable in the legal administration of cities. The chief judge (qadi al-qudat) appointed many legal officials such as deputy-judges (na'ib), notaries (shahid) and executors (naqib, rasul) and formed them into his own faction (jama'a). He and his party gained profits on the legal system by means of bribary, services charges and so on. In Damascus the governor (na'ib) often levied taxes on its quarters (hara). Especially on expeditions, he conscripted both the arquebusier infantries and their wages from each quarter. He adopted this policy to resolve at once the problems of the financial crisis and the defense of the city. Administrators of each quarter (arif) and the governor's subordinates, such as the majordomo (ustadar) and executive secretary (dawadar), were in charge of collecting taxes. The governor managed to rule the city by embracing these officials and private mercenaries in his faction. As for the commn people, inhabitants of each quarter took remarkable political actions. They almost overwhelmed the military power of the Mamluks in the rebellion of the year 903 / 1497 and in the revolt of 907 / 1501. It was a social group called the zu'r that set up these popular movements. They were outlaws who lived on plunder and assassination. They were employed as infantry and private merconary by the governors, while they dominated markets and stores in their quarters and prevented the governor from taxation in exchange for protection fees. In the cities at the end of the Mamluk era, both the governor, a military-executive, and the chief judge, himself a civil official, formed their own factions (jama'a) and strengthened their domains and exploitation of the people. The commom people coudn't seek shelter anywhere other than under the protection of the zu'r, who built their bases of power in each quarter. The urban society in this period was co structured that various factions and groups were struggling with each other forcibly. Lapidus began his thesis by assuming that the Mamluks, the 'ulama' and the common people were the major strata and actors in the cities.(View PDF for the rest of the abstract.)
著者
源馬 琢磨 三浦 秀穂 林 克昌
出版者
CROP SCIENCE SOCIETY OF JAPAN
雑誌
日本作物学会紀事 (ISSN:00111848)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.414-418, 1993-09-05 (Released:2008-02-14)
参考文献数
11
被引用文献数
2 4

わが国の水田利用再編対策のもとで, ワイルドライス (アメリカマコモ) のもつ水生植物としての特性や寒冷地での適応性は, 北日本での実用的な水田栽培の可能性に対する興味を刺激している. 本研究では, 幼植物体の生育に及ぼす水深と温度の影響を検討するため, ニつの実験を行った. 実験1はNetumを用いてガラス室で, 実験2はK2を用いて人工気象室で実施した. 移植後30日目の乾物重でみた生育は, 実験1では水深2cmで, 実験2では2~6cmで促進された. これらには葉と根の数とサイズの増加が貢献していた. 草丈は水深の違いによって大きく影響されないが, 8cm以上の水深で栽培したとき徒長気味の生育を示し, 幼植物体の乾物重は大きく低下した. 実験2でみた温度の影響は強く表れ, 12℃に比べ20℃での生育が優った. 温度と水深の間には相互作用がなく, これら二つの要因は独立して幼植物体の生育に影響を及ぼすとみられた.
著者
粂川 義雅 三浦 収 藤本 悠 伊藤 桂 荒川 良 横山 潤 福田 達哉
出版者
The Japanese Society of Soil Zoology
雑誌
Edaphologia (ISSN:03891445)
巻号頁・発行日
vol.104, pp.19-24, 2019 (Released:2020-03-29)

ニホンアカザトウムシPseudobiantes japonicus の2 つの異なる系統群(クレードA とクレードB) の分布域が接触する四国中央部において両系統群間の交雑や遺伝子移入の有無を明らかにするために, ミトコンドリアDNAと核DNAのPCR-RFLP解析を行った.両クレードの混棲が確認されたのは1地点のみであったが,その地点を含め,この地域内で,核DNAの遺伝子におけるヘテロ接合と判定される個体やミトコンドリアDNAと核DNA間における不一致は発見されなかった.これは,クレードA とクレードB が接触地域において交雑や遺伝子移入を経験していないことを示唆し,これらのニホンアカザトウムシは隠蔽種であると考えられた.
著者
佐々木 倫朗 山本 隆志 坂本 正仁 山田 雄司 山澤 学 古川 元也 三浦 龍昭 丸島 和洋
出版者
大正大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2011-04-01

本研究は、金剛三昧院・桜池院等の史料を調査することにより、高野山の宿坊史料の全体像を提示し、地方大名家の供養帳の史料的性格を明らかにし、大名家供養帳の成立と大名権力の確立との密接な関連性を考察することを目的とした。上記の研究のため、金剛三昧院については、平成23年度より経蔵内及び本堂に所在する史・資料の調査を行い、519点の供養帳を確認し、今まで存在が知られていなかった中・近世の多数の史料を確認した。桜池院については、諏訪・武田氏との関わりを中心としながら、調査を行い、中・近世の供養帳・新出文書を確認し、貴重な戦国期の供養帳に関しては、翻刻を行い、その史料的性格を明らかにした。
著者
三浦 裕子
出版者
九州大学大学院地球社会統合科学府
雑誌
地球社会統合科学研究
巻号頁・発行日
no.3, pp.77-86, 2015-09-25

Schwalzwälderkirschtorte or Blackforest Cake is the most popular cake in Germany. Seemingly a traditional cake, its actual history is somewhat more complicated, as its origin and development are not clear. This paper attempts to clarify aspects of German cake culture by researching the historical changes of the Blackforest cake. The first chapter examines the history of German cakes and specifically the "torte," which is one type of cake in the German speaking world of Germany, Austria and part of Switzerland. The recipe for the Blackforest Cake first appeared in "250 Konditorei-Spezialitäten und wie sie entstehen," which was published in Germany in 1934. The second chapter compares and highlights the differences between the Blackforest cake of 1934 and its present-day form. The third chapter considers the broader implications of what changes to the Blackforest Cake may mean.
著者
川名 はつ子 野中 浩一 三浦 悌二
出版者
日本生気象学会
雑誌
日本生気象学会雑誌 (ISSN:03891313)
巻号頁・発行日
vol.31, no.1, pp.31-36, 1994-04-01 (Released:2010-10-13)
参考文献数
24
被引用文献数
1

日本では早生まれの多い現象が1960年代半ばにはほとんど消えて, 1年中ほぼ平均して生まれるようになった.隣接する韓国・朝鮮との差異を検討するため, 日本人と朝鮮・韓国人の出生季節分布を, 古くからの記録を用いて約300年にわたり比較した.出生数の「早春の山と初夏の谷」の傾向が最もはっきりしていたのは, 19世紀以降のおよそ1世紀半の間の日本であり (山/谷比=約1.5) , その間, 朝鮮・韓国では分布の形は日本と同様ながら, その変動幅は小さかった (山/谷比=約1.1) .ところが日本で季節性の消失した1960年代以降にも, 韓国では早生まれが減少せず, とくに1970年代には「早春の山と初夏の谷」はむしろ明瞭になりつつあるという違いが生じている.日本の早生まれ喪失現象が, 一般に言われていたような, 冷暖房や冷蔵庫の普及などによる脱季節化に起因するものならば, 韓国でも何年かの時差はあっても同様の経過をたどるはずなのに, 却って差が拡大していることから, 冷暖房や冷蔵庫の普及などとは別の要因が働いているらしいことが示唆された.
著者
向井 稜 三浦 知之
出版者
日本動物分類学会
雑誌
タクサ:日本動物分類学会誌 (ISSN:13422367)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.30-41, 2016-02-29 (Released:2018-03-30)

Sternaspid annelids are common and often abundant in the world ocean. They are usually corrected in sandy or muddy bottoms at a variety of depths. Sternaspid annelids are now known as characterized by the morphology of ventro-caudal shield, papillae of the body surface and posterior shield chaetae. Although sternaspid annelids recorded from Japan have been called as Sternsapis scutata since 1930s works, we could record two genera and seven species from Enshu-Nada, Kumano-Nada and off Sendai, East coast of Japan: Sternsapis scutata sensu strict, S. affinis, S. islandica, S. thalassemoides, S. costata, Petersenaspis capillata, and P. palpallatoci. Sternaspis has seven abdominal chaetigers and shield with radial ribs, concentric line or both. Petesenaspis has eight abdominal chaetigers and shield with poorly distinct ribs but no concentric line.
著者
福田 大年 前田 弘志 三浦 清隆
出版者
日本デザイン学会
雑誌
日本デザイン学会研究発表大会概要集
巻号頁・発行日
vol.58, pp.13-13, 2011

デザイン制作プロセスにおけるアイデア発想段階の言葉の重要性に対する理解促進の手段として、フィールドワークでの実体験をもとに言葉で思考し言葉で表現することを目的とし、講師にプロのコピーライターを招き札幌圏の学生向けに開催した、筆者らが所属する団体「札幌メディア・アート・フォーラム」(以下、SMF)のイベント「SMF2010コトバ・ワークショップ」(以下、コトバWS)について報告する。