著者
山下 英明 立石 慎治 大森 不二雄 永井 正洋 林 祐司 椿本 弥生 松河 秀哉 渡辺 雄貴 松田 岳士 高森 智嗣 柳浦 猛
出版者
首都大学東京
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2014-04-01

本研究では,高等教育機関の教学データを一元的に管理・分析し,教職員によって学生指導に活用されることを目的としたIRシステムを開発,評価した.具体的には,学生の留年可能性を早期に発見し,指導に役立てるための留年判定モデルを運用するシステムを開発した.留年判定モデルでは,ソフトマージン・サポートベクターマシンを採用し,機械学習ライブラリを用いてスタンドアロンのPC上に実装した.過去の学生データを用いて留年を判定し,予測精度の確認と教員による評価を受けた結果,留年予測の精度は93%であり,判定結果の理解度も高かった.一方で,表示されるデータの解釈やインタフェースについては課題が残された.
著者
木俵 豊 是津耕司 河合 由起子 水口充 宮森 恒 柏岡 秀紀
出版者
一般社団法人情報処理学会
雑誌
情報処理 (ISSN:04478053)
巻号頁・発行日
vol.50, no.7, pp.613-623, 2009-07-15
被引用文献数
1

ライフログはユビキタスネットワーク・コンピューティング環境における新たな情報利活用技術の情報源となりつつある.ライフログは実世界におけるユーザの行動履歴を記憶の拡張として活用されている.ウェアラブルコンピュータを使って,ユーザの周りのさまざまな情報を取得する手法も提案されているが,このような情報は意図せぬ他人の情報を取得してしまうこともあり,プライバシの問題なども発生している.一方,ディジタルコンテンツを実世界で利用する場合の情報端末の操作や音声による発話および対話記録もライフログとして重要な情報源である.これらは,ユーザごとの興味に基づいた実世界のイベントや特徴を表現していることが多く,実世界アノテーション情報としても有益である.つまり,有効なライフログとして活用するためには,その情報の生成・発信,管理,分析,提示する技術開発が重要となる.本稿では,実世界におけるコンテンツ利活用に着目したライフログの活用について述べる.
著者
佐藤 文俊 森本 玲 岩倉 芳倫 小野 美澄 松田 謙 祢津 昌広 尾股 慧 工藤 正孝 伊藤 貞嘉
出版者
一般社団法人 日本内科学会
雑誌
日本内科学会雑誌 (ISSN:00215384)
巻号頁・発行日
vol.103, no.4, pp.886-894, 2014-04-10 (Released:2015-04-10)
参考文献数
12

原発性アルドステロン症は臓器障害の可能性の高さと頻度の多さからスクリーニングの重要性が提唱され,血漿アルドステロン濃度/血漿レニン活性比を用いて疑う.低カリウム血症を伴う(ARB・ACE阻害薬の内服患者では正常低値も),比較的若年者,血圧コントロール不良,グレードII(160/100 mmHg)以上の高血圧患者等は当然診断対象だが,特に手術で治癒が可能な腺腫病変は早期診断・治療が望まれる.薬物治療ではミネラルコルチコイド受容体拮抗薬を含んだ十分な降圧を行うことが肝要である.
著者
横田 俊平 宮前 多佳子 森 雅亮 相原 雄幸 伊部 正明
出版者
横浜市立大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2000

インフルエンシザ関連脳症は5歳以下の乳幼児に好発し、その約30%が予後不良となる重天な疾患である。原因は不明で米国との共同の調査研究でもReye症候群とは異なりわが国独特の疾患であることを平成12年度の研究で明らかにした。またこの研究から中枢神経障害は全身への致死的病態の波及前に出現していることも明らかになり、平成13年度の研究では中枢神経内に誘導される炎症性サイトカインの異常産生に焦点を当てた。Wisterラット(8〜12週齢、雌)の脳室内にInjection Pype(IP)を留置した後、髄腔内へlipopolysaccharide(LPS ; E.coli由来)を30ugまたは300ug投与し、径時的にIPより脳室液を採取して液中の炎症性サイトカイン(IL-1β、IL-6、 TNFα)をELISA法にて測定した。その結果、髄液中のIL-1β、IL-6、TNFαは投与2時間後に著しく上昇した。血清中ではLPS300ug投与により同様にIL-1β、IL-6、TNFαの上昇をみたが、30ug投与では上昇しなかった。このことはLPS髄腔内投与が脳内に高サイトカイン状態を惹起することを示したが、LPS30ugでは高サイトカイン状態は脳内に留まり、LPS300ug投与により脳血管門の破綻が生じ全身性の高サイトカイン状態に至ることが推察された。次に脳組織からmRNAを抽出しIL-1β、1L-6、TNFαそれぞれのmRNAをRPA法により検討した。いずれのmRNAも著しい発現増強を認め、脳内サイトカインは脳実質細胞に由来することが判明した。脳実質内においてLPS受容体をもつ細胞はGliaであることが知られており,以上の実験結果から炎症性サイトカインはGlia活性化に由来することが想定され、インフルエンザ関連脳症では脳内Glia細胞の異常活性化と脳血管門の破綻が病態を形成していることが推定された。
著者
嶋田 貴志 岡森 万理子 深田 一剛 林 篤志 榎本 雅夫 伊藤 紀美子
出版者
日本食品科学工学会
雑誌
日本食品科学工学会誌 : Nippon shokuhin kagaku kogaku kaishi = Journal of the Japanese Society for Food Science and Technology (ISSN:1341027X)
巻号頁・発行日
vol.58, no.12, pp.604-607, 2011-12-15
被引用文献数
1

5週齢のBALB/c系雌マウスにスギ花粉アレルゲンを5回感作した後,腹腔内にアレルゲンを投与して好酸球を集積させるI型アレルギーの遅発相モデルを作製した.このモデルに対して,モリンガ(<I>Moringa oleifera</I>)の葉を3種の混合比(0.3%,1.0%および3.0%)で混じた粉末飼料を自由摂取させ,好酸球の集積および血清中の総IgE量に対する影響を調べた.通常の飼料を与えた対照群と比較してモリンガ葉を0.3%および3.0%与えた群は,総白血球数および好酸球数で有意な低値を示した.血清中総IgE量では対照群と比較して3.0%のモリンガ葉を与えた群が有意な低値を示した.以上の結果より,モリンガ葉は経口的に摂取することでI型アレルギーに対して抑制作用を有する可能性が示された.
著者
森 義信
出版者
大妻女子大学
雑誌
社会情報学研究 (ISSN:13417843)
巻号頁・発行日
no.15, pp.175-197[含 英語文要旨], 2006

「自由と不自由」という対概念は,古代・中世の西欧社会を理解する上で,極めて重要である。中世の法史料には「自由人」を意味するingenuus, liberあるいはfreier Bauerなどの呼称が見出される。また,11世紀のある叙述史料には,(1)貴族的な古来の自由,(2)国王の守護のもとにある自由,(3)生命とのみ引き替えにするという自由,(4)意志決定の自由が見出される。(1)は社会的な自由,(2)は政治秩序における一定の自由を示していると同時に,(3)と(4)は理念的な自由を示していると解釈される。草創期のフランク王権は,国境域に入植した軍事的植民者に自由を与えた。K.ボーズルは,かれらを「国王自由人」と呼び,かれらの自由を上記の(2)と似たようなものと見なしている。国王自由人は,しかし,国境を防衛しなければならなかったので,自由に移動することは許されなかった。かれらは9,10世紀になると,教会や修道院への自己托身の結果,荘園領民の地位に没落した。他方,中世の史料は不自由な従属民をservus, mancipium, ancila, famulus, collibertus, proprius de corpore, Eigenmann, Knecht, Schalkなどの多様な呼称で呼んでいた。かれらのあいだには,社会的に見て大きな差異があったはずである。土地を持たない不自由民は,主人に対して不定量の奉仕を義務づけられていたが,ボーズルによれば,中世盛期になると,かれらは課された職務,例えば開墾活動や使者役・運搬賦役の遂行の結果,自由をもつことを許されたとされる。さらに荘園領主のもとを離脱して国王都市に逃げ込んだ奴僕も,一年と一日の後,自由市民と認められた。このように,不自由民大衆は総じて社会的に上昇することができたのである。もちろん,その自由は上記(1)のごとき無制約ではなく,「不自由な自由」あるいは「自由な不自由」と形容されるものであった。ボーズルは,また,このダイナミックな変動の緩急・遅速が近世以降のドイツとフランスの発展,命運を規定した,と主張している。
著者
森 直樹
出版者
琉球大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2013-04-01

NF-κB活性化は、ATLやバーキットリンパ腫(BL)、ホジキンリンパ腫(HL)の発症に必須である。ATLの原因ウイルスHTLV-1のTaxやBL及びHLの原因ウイルスEBVのLMP-1並びにHLで高発現するCD30はNF-κBを活性化するが、過剰なNF-κB活性化は細胞死や老化を誘導する。NF-κB制御因子IκB-ζが、ATLやBL、HLで高発現していた。Tax、LMP-1、CD30はIκB-ζの転写を活性化した。IκB-ζはNF-κB/IFN制御遺伝子の発現を誘導したが、Tax、LMP-1、CD30依存性NF-κB活性を阻害した。IκB-ζはNF-κBを正と負に制御し、発がんに関与する。
著者
大森 竹仁 林 尚示
出版者
山梨大学
雑誌
教育実践学研究 : 山梨大学教育学部附属教育実践研究指導センター研究紀要 (ISSN:13454161)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.95-104, 2005

本研究は,生徒会活動を通して集団づくりをすることを目指す一連の中で,特にリーダーの資質について検討したものである。具体的には,大学の学生及び中学校の生徒,並びに中学校の生徒会主任教師を対象とした調査を実施し,その結果をもとにリーダーの資質として重視されている内容を明確化した。この作業により,特別活動で望ましい集団活動を通して人間形成をしていくために,特に特別活動の中での生徒会活動の果す役割が明確化してくる。更には,リーダーの資質に焦点化して研究を進めることにより,今後の学校教育の中で,生徒会活動の教育的効果や教育的価値の再確認に繋がる成果が期待できる。
著者
森川 洋
出版者
公益社団法人 東京地学協会
雑誌
地学雑誌 (ISSN:0022135X)
巻号頁・発行日
vol.106, no.1, pp.10-30, 1997-02-25 (Released:2009-11-12)
参考文献数
27
被引用文献数
1 1

This paper is focused on the modernizing process of urban functions in Japanese cities which should remarkably transformed since the end of feudal age ; the transformation of dominant urban functions from parasitic character through central function to management function in main cities of nonmetropolitan areas.First, examining the comparative descriptions between the end of Edo Period and the early Meiji Era mentioned in 'the Annual Report of Commercial Situation (Shokyo Nenpo)' published in 1877 and 1878, we can often reveal the properties of urban functions and urban systems in the comparative descriptions with the end of Edo Period. According to such an analysis the castle towns forming the main element of Japanese urban system in feudal age can be recognized as a kind of parasitic cities, because the merchants of castle towns mainly supplied the necessary goods to samurais inhabited in their own towns. While foods and fuels were transported into castle towns from the surrounding rural areas, the merchants of castle towns could not supply many goods with the same intensity to inhabitants of the rural areas. Besides the circulation of commodities controlled within the territory of clans, Edo (the old name of Tokyo), Osaka and Kyoto functioned as the triple centers within the whole country through oversea transportation of goods. Accordingly, the hierarchical structure of two strata can be recognized in the urban system in those days : national urban system due to the triple centers and the regional and local urban systems in clan territories. The latter usually consisted of smaller areas with castle towns as a center than in the present prefectural areas.Since the Meiji Restauration in 1868 the free economic competition has become active among cities or towns. As the merchants of castle towns lost their privileges, most of castle towns declined, at least temporally. Although there are no adequate materials to analyze central place functions, it can be estimated that they played an especially important role as urban functions in the early Meiji Era except for traffic functions because manufacturing industry has still not developed. Central place functions such as administration, education, health service, etc. were gradually established in larger centers, especially in prefectural capitals. Japanese industrial revolution occurred with singular form about from 1887 to 1907. Usually, larger centers grew and smaller ones declined, although a few new industrial towns appeared.Next, the author analyzed the branch offices of companies registered in Tokyo and Hiroshima Prefectures in 'the Main Staff List of Most Companies in Japan (Nihon Zenkoku Shohaisha Yakuinroku) in 1908 and 1935 in order to investigate firm activities in both periods. In 1908 the insurance companies located in Tokyo Prefecture already formed a network of branch offices in the main cities of the whole country including the present provincial capitals, but other firms such as manufacturing, wholesale-retail companies, etc. had only a few branch offices, mainly located in Osaka. During the period 1908 to 1935 firm activities were largely developed and the number of branch offices increased evidently.We can classify the location patterns of branch offices in those days into 4 types, apart from the present location patterns in which their location in provincial capitals is dominant : the types located 1) in large markets or large cities such as Osaka, 2) in large cities in foreign countries or colonial capitals in those days, 3) in port towns such as Yokohama, Kobe, Moji, Shimonoseki, Otaru and Hakodate, and 4) in the present provincial capitals such as Sapporo, Sendai, Hiroshima and Fukuoka. Therefore, the present provincial capitals were still not so developed for the location of branch offices in 1935 as nowadays. In the years 1908 and 1935 Kanazawa was still an significant center.
著者
関根 康正 野村 雅一 松本 博之 小田 亮 松田 素二 小馬 徹 野村 雅一 小田 亮 松田 素二 小馬 徹 KLEINSCHMIDT Harald 松本 博之 棚橋 訓 鈴木 裕之 GILL Thomas P. 加藤 政洋 島村 一平 玉置 育子 近森 高明
出版者
日本女子大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2006

ストリートの人類学は、流動性を加速させるネオリベラリズムとトランスナショナリズムが進行する再帰的近代化の現代社会に資する人類学の対象と方法を探求したものである。現代の「管理社会」下ではホーム・イデオロギーを逸脱したストリート現象の場所は二重の隠蔽の下にあるので、画定しにくいがゆえにまずは正確な対象画定が重要になる。系譜学的にそれを掘り起こしたうえで、そのストリート現象についてシステム全体を勘案した体系的なエスノグラフィを書くことを試みた。この<周辺>を<境界>に読み替えるというネオリベラリズムを適切に脱却する人類学的な新地平を開拓した。
著者
笹森 行周
出版者
JAPANESE ASSOCIATION OF INDIAN AND BUDDHIST STUDIES
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.55, no.2, pp.1028-1025,1291, 2007-03-20 (Released:2010-07-01)

Rev. Yokotsuka (1952-1984) was a disciple of the Most Ven. Nichidatsu Fujii, founder of Nipponzan Myohoji Buddhist Order in Japan. In Sri Lanka for 6 years he had been praying to bring about peace among peoples there.However he was shot dead on the street in Jaffna on 28 Oct. 1984 at the age of 32, while he was bowing to show veneration to the men who were going to assassinate him. This practice of bowing, through the veneration and worship of the Buddha-nature existing in all beings, is based on the practice by the Never Despising Bodhisattva in Chapter 20 of the Lotus Sutra.Rev. Yokotsuka's martyrdom was nothing more than an encounter between violence and the practice of Bowing, the supreme way of non-violence which in Japan was first practiced and embodied by the 13th. century's great monk Nichiren (1222-1282).Rev. Yokotsuka showed us some ideas of the Bodhisattva's vows taken by Mahayana Buddhist who see no enemies around them, believing that everyone is to become a Buddha. The practitioners find their places of mission voluntarily amongst real troubles. They practice the Bodhisattva's vows without the fear that they will be misunderstood, ridiculed, or beaten to death. This is the significance of Martyrdom in the present-day.
著者
柏崎 礼生 宮永 勢次 森原 一郎
出版者
一般社団法人情報処理学会
雑誌
研究報告インターネットと運用技術(IOT) (ISSN:09196072)
巻号頁・発行日
vol.2014, no.4, pp.1-6, 2014-10-02

プライベートクラウドや組織内仮想化基盤からパブリッククラウドへと移行する過渡期において,プライベートクラウドとパブリッククラウドの双方を接続しデータやアプリケーションの可搬性を高めたハイブリッドクラウドが展開される.ハイブリッドクラウドにおいてはプライベートクラウドとパブリッククラウドにおいて同じ,あるいは互換性の高いハイパーバイザーで構築されている事が望ましい.VMware 社は 2013 年に ESXi ハイパーバイザーを用いたパブリッククラウドサービス vCloud Hybrid Service (現 vCloud Air) の提供を開始し,2014 年には日本でのサービス提供が始まった.大阪大学では ESXi を用いた仮想化基盤を構築・運用しているため,このサービスは移行先のパブリッククラウドの有力な選択肢の一つである.本稿では VMware 社の協力のもと,vCloud Air 環境における計算機資源の性能評価を行う.In an age of transition between use of private cloud or virtualization infrastracture in an organization to public cloud service, a hybrid cloud that is a composition of two or more distinct cloud infrastructures (private, community, or public) comes out. The infrastractures are bound together by standardized or proprietary technology that enables data and application portability. From a standpoint of V2V cost, it is desirable for a public cloud and a private cloud to be constructed by the same or highly compatible hypervisor. VMware Inc. started to provide vCloud Hybrid Sevice in 2013 that is constructed by ESXi hypervisor (this service is renamed to vCloud Air in August, 2014). In 2014, this service was also begun to provide in Japan. Osaka university constructed a virtualization infrastracture with ESXi hypervisor. This service seems to one of a workable alternative. In this paper, we show results of performance benchmarks sponsored by VMware Inc.
著者
池田 昌代 加藤 みゆき 長野 宏子 阿久澤 さゆり 大森 正司
出版者
日本家政学会
雑誌
日本家政学会誌 = Journal of home economics of Japan (ISSN:09135227)
巻号頁・発行日
vol.54, no.4, pp.263-269, 2003-04-15
参考文献数
23
被引用文献数
4

ミャンマーの発酵米麺モヒンガーの成分上の特徴及び,製造工程における微生物相を検討し次のような結果を得た。(1)発酵米麺製造工程には,Bacillus属,Lactobacillus属, Streptococcus属, yeast,moldsが普遍的の存在していた。(2)発酵米麺の一般成分は原料米と比較し,水分,タンパク質,脂肪,灰分,全てにおいて低い値であった。また有機酸は,原料米で見られたクエン酸,フマル酸,シュウ酸が減少し,新たに乳酸が生成されていた。(3)発酵米麺の遊離アミノ酸は,原料米と比較して増加していた。また,発酵米麺からタンパク質を抽出し,電気泳動でタンパク質泳動パターンを観察したところ、原料米の時に見られた20kDa以上のタンパク質が消失していた。さらに14.3kDa付近のバンドが薄くなり,6.5kDa以下の低分子のバンドが増加していた。このことから発酵による米タンパク質の低分子かが明らかになった。
著者
金森 博雄
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.49, no.1, pp.13-18, 1971-09
被引用文献数
3

The fault parameters of the Great Kanto earthquake of September 1, 1923, are determined on the basis of the first-motion data, aftershock area, and the amplitude of surface waves at teleseismic stations. It is found that the faulting of this earthquake is a reverse right-lateral fault on a plane which dips 34° towards N20°E. The auxiliary plane has a dip of 80° towards S55°E. This means that the foot-wall side moves approximately north-west with respect to the hanging wall side. The strike of the fault plane is almost parallel to that of the Sagami trough, and the slip direction is more or less perpendicular to the trend of the Japan trench. This earthquake is therefore considered to represent a slippage between two crustal blocks bounded by the Sagami trough. A seismic moment of 7.6×1027 dyne-cm is obtained. If the fault dimension is taken to be 130×70 km2, the average slip on the fault plane and the stress drop are estimated to be 2.1m and 18 bars respectively. This slip is about 1/3 of that estimated from geodetic data. This discrepancy may indicate an existence of a pre-seismic deformation which did not contribute to the seismic wave radiation, but the evidence from other observations is not very firm.|関東地震の断層パラメターをP波の初動分布と長周期表面波の振幅からきめた.その結果,この地震はN20°Eの方向に34°傾いた面上での右ずれ・逆断層であらわされることがわかつた.断層面の大きさを130×70km2とすると,断層面上でのすべりは約2m, stress dropは18バールである.断層上でのすべりのむきが相模troughの走向に平行で,日本海溝に垂直であり,また震源が浅く(地殻内)かつ日本海溝から遠くはなれていることを考ると,関東地震は海と陸のリゾスフィアの相互作用の直接の結果とは考えにくい.むしろ,この地震は海と陸のリゾスフィアの相互作用によつて2次的に起つた,相模troughを境とする二つの地塊のずれによるものであると解釈できる.地殻変動の大きさから推定されているすべりの大きさは7mであるが,これは表面波の振幅から推定された値2mよりはるかに大きい.この違いは種々の誤差を考慮にいれてもなお有意義と思われる.このくいちがいは,全体の地殻変動量のうち2分以内の時定数をもつもののみが地震波の発生に関与したと考えれば説明できる.