- 著者
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上野 俊一
- 出版者
- 国立科学博物館
- 雑誌
- 国立科学博物館専報 (ISSN:00824755)
- 巻号頁・発行日
- vol.8, pp.137-153, 1975
屋久島からは, これまでにチビゴミムシ類が3種知られ, そのうちのひとつは固有種, 他のひとつは固有の新属新種であることがわかっていた。1974年の夏に行なった現地調査で, 従来調べられていなかった地域からさらに1新種が発見されたので, 屋久島産のチビゴミムシ類は全部で4種になった。これらは次ぎのとおりで, あとのふたつが新種および新属新種である。1) ホソチビゴミムシ Perileptus japonicus H.W. BATES 2) ヤクシマチビゴミムシ Epaphiopsis (Pseudepaphius) janoi (JEANNEL) 3) ワタナベチビゴミムシ E. (P) watanabeorum S. UENO 4) ツヤチビゴミムシ Lamprotrechus convexiusculus S. UENO 以上の4種のうち, ホソチビゴミムシだけはよく発達した後翅をもち, アジア東部に広く分布しているが, 他の3種は後翅の退化した飛べない虫で, 屋久島以外の地域から発見される可能性がない。ヤクシマチビゴミムシとワタナベチビゴミムシは, ともにケムネチビゴミムシ属 Epaphiopsis のサイカイチビゴミムシ亜属 Pseudepaphius に含まれる。この亜属の種類は日本の南西部に広く分布するが, とくに四国と九州とでいちじるしい種分化を遂げ, 亜属の起源がこのあたりにあったことを示唆している。屋久島産の2種も, もともとは南九州から移住したものに違いないが, 木土の種類とは上翅の剛毛式が明らかに異なるので, 特別の種群として区別できる。したがって, これらの種の共通の祖先は, かなり早い時期に南九州の母体から隔離され, その後さらに同所的な種分化を起こして今日にいたった, とみてよかろう。両種はたがいによく似ているが, ワタナベチビゴミムシのほうが小型で扁平, 体色が暗く, 前胸背板の後角がひじょうに鈍くて小歯状にならず, 上翅の条線は浅くて点刻がきわめて弱い。また, 雄交尾器の形態にも顕著な相違が見られる(図2acd;5参照)。最後のツヤチビゴミムシは, 四国の高山に生息するヒサゴチビゴミムシ属 Iga のものにかなりよく似ているが, 上唇の前縁が深く切れこんで二片状になっていること, 前胸背板の側縁が完全であること, 上翅の剛毛式がいちじるしく異なること, 前脛節の外縁に縦溝がないことなどの点で明らかに異なり, 後者との関係も直接的なものではないらしい。しかし, どちらの属も, かつてヒマラヤから東アジアにかけて広く分布していた有翅の祖先型から分化し, 高山の特殊な環境だけに生き残ってきた遺存群であろと考えられる。この原型に近いと思われる形態を現在までとどめているのは, 台湾, 北ベトナム, 北ビルマおよびヒマラヤに分布するハバビロチビゴミムシ属 Agonotrechus である。いっぽう, 特殊化した型のほうは, 四国, 屋久島, 台湾, 雲南, チベットおよびヒマラヤ東部のいずれも高山のみに生息していて, それぞれ孤立した特徴をもち, 相互の関係がかならずしも近くはない。この群のチビゴミムシ類は九州からまったく見つかっていないが, ツヤチビゴミムシの起源が九州のどこかにあったことはまず間違いなかろう。おそらく更新世の初期に九州から屋久島へ侵入したものが, 島が分離されるとともに八重岳の高所へ定着して現在まで生き残ってきたのであろう。要するに, チビゴミムシ相から見た屋久島は, 大きくとれば九州や四国と同じ生物地理学上の地域に含まれるけれども, これらとのあいだにかなり顕著な断絶が認められる。隔離された島としての歴史がそれほど古くないにもかかわらず, このように特殊性が大きいのは注目すべき事実で, おそらく八重岳が孤立した高山として離島の役割を果たし, しかも降水量が多くて良好な生活環境が保たれてきたことに起因するのであろう。