著者
山口 奈保美 金田 幸司 木本 美由起 末永 裕子 大野 絵梨 内田 英司 福長 直也 柴田 洋孝
出版者
一般社団法人 日本透析医学会
雑誌
日本透析医学会雑誌 (ISSN:13403451)
巻号頁・発行日
vol.54, no.9, pp.465-470, 2021 (Released:2021-09-28)
参考文献数
16

症例は65歳男性.糖尿病性腎症による末期腎不全に対して腹膜透析を導入した.導入から半年後にESA(erythropoiesis stimulating agent)低反応性貧血を呈するようになり,精査にて胃に生じたangiodysplasiaからの出血を認めた.内視鏡的止血術後,貧血コントロールは改善していたが,加療から8か月後に再度胃のangiodysplasiaからの出血を生じ貧血の進行を認めた.内視鏡的止血術を行い,数日後のフォローアップにて,胃の他部位にangiodysplasiaからの出血を認め再度止血術を要した.それから4か月後に真菌感染が疑われた難治性腹膜炎を発症し血液透析へ移行したところ,以降は消化管出血を起こさずに経過している.末期腎不全患者において,消化管のangiodysplasiaからの出血は療法別では腹膜透析より血液透析症例の割合のほうが多いが,本症例においては腹膜透析から血液透析へ移行したことがangiodysplasiaからの再出血を防ぐことに繋がった可能性がある.
著者
内田 慶市 吾妻 重二 原田 正俊 篠原 啓方 氷野 善寛
出版者
関西大学東西学術研究所
巻号頁・発行日
pp.1-678, 2017-03-31

本目録は2016年度関西大学教育研究緊急支援経費「東アジア研究オープン・プラットホームの構築に向けて」(内田慶市、吾妻重二、原田正俊、篠原啓方、氷野善寛)の成果の一部である。
著者
内田安蔵 編
出版者
東江堂
巻号頁・発行日
1904
著者
澤村 直輝 中野 航一郎 内田 祐司 高力 俊策
出版者
一般社団法人 日本臨床救急医学会
雑誌
日本臨床救急医学会雑誌 (ISSN:13450581)
巻号頁・発行日
vol.25, no.3, pp.615-619, 2022-06-30 (Released:2022-06-30)
参考文献数
10

市販薬であるトラベルミン®(ジフェンヒドラミンサリチル酸塩とジプロフィリンの合剤)による急性中毒は近年国内でも症例報告が散見される。うつ病の既往がある34歳男性が痙攣と意識障害で発見され,隣にトラベルミン® 120錠分の空箱(ジフェンヒドラミン換算3,100mg)を認め救急搬送された。来院時はGCS 3点(E1V1M1),瞳孔散大,眼球クローヌス,口腔内乾燥,心電図で右脚ブロック波形と頻脈を認めた。トライエージDOA®でフェンシクリジンが陽性であった。人工呼吸器管理,活性炭投与,炭酸水素ナトリウム投与,20%脂肪乳剤の投与を行い,血液透析を施行した。数時間後には心電図は正常化し第2 病日には意識レベルも改善した。横紋筋融解を合併したが軽快し,第9病日に独歩で精神科へ転院となった。トラベルミン®中毒の報告はまだ多くないが入手は簡単で,インターネットの自殺サイトで取り上げられることもあるため今後も増加が予想される。救急医療に携わる者にとって多彩な臨床所見や治療法の知識を深めることが重要である。
著者
箸野 照昌 田中 寿美玲 野口 愛天 峯元 愛 園中 智貴 徳田 佳秀 山畑 雅翔 内田 海聖 大城 新秀 畑島 康史 吉盛 巧人 園田 倭可 谷口 大介 兎澤 瑛太郎
雑誌
JpGU-AGU Joint Meeting 2020
巻号頁・発行日
2020-03-13

研究の動機 過去4年間「関口日記」「二條家内々御番所日次記」「妙法院日次記」「守屋舎人日帳」「弘前藩庁日記」に記述された天気を分析した。 そこで、今年は「鶴村日記」を分析した。「鶴村日記」とは、江戸時代の石川県の儒学者、金子鶴村が書き残した1801年(文化4年)から1838年(天保9年)までの災害、文化、生活等の記録である。 研究の目的(1)過年度に調べた「関口日記」「二條家内々御番所日次記」「妙法院日次記」「守屋舎人日帳」「弘前藩庁日記」と合わせてデータベースを作る。(2)インドネシアのタンボラ火山の1812年からの噴火の影響で「夏のない年」と言われた1816年と、天保の飢饉で一番被害が苛烈であった1836年を比較検証する。 研究の方法 天気は現在の気象庁の分類に近づけて、雪>雨>曇>晴れと判別した。1年の1/3の欠測のある年は集計から削除した。ただし、1836年を検討する際は、欠測のない5月~7月、及び9月のみデータを使った。 取得したデータは21年間で、7,148日だった。 データ1 鶴村日記の天気の全期間の出現率と、タンボラ火山の噴火を含む期間である1812年から1816年を算出した。火山の噴火期間は晴れの出現率が低下し、雨の出現率が上昇していることが分かった。 また、1836年の天保の大飢饉においてはさらに晴れの出現率が低下し、雨の出現率が大幅に増えたことが分かる。 データ2 1808~1832年の天気の出現率を季節ごとにグラフにすると、タンボラ火山の噴火の続く、夏の期間の雨の出現率が晴れの出現率を上回っていることがわかる。 データ3 4つの古文書で1816年と1836年の5月から9月の天気を比べると、7月の曇りの出現率が高いことが共通している。 1816年と1836年の違いは、1816年の8月の晴れの出現率の持ち直しが顕著である。 データ4 雷の発生率を四季でみると、1816年の夏の雷は前後の年に比べて減少している。一方、秋は1816年が一番高く、大陸からの季節風の影響の可能性が高い。 データ5 国立情報学研究所の市野美夏さんの論文を参考に天気階級と全天日射量を計算して比較した。市野さんの論文に倣い、日記天気階級は(1)晴れ、(2)曇り、(3)雨天・雪の3つに分類した。そして、現代の気象庁データの平均から得られた地上の全天日射量Qd、地理的データ及び天候から得られるQsを使い、qを求める。 qは地球上にそそぐ太陽のエネルギーの減衰する割合を表している。 求めたQsと天気階級の積を平均したものがQeである。このQeを平年値と比較する。 古文書の天候の情報から毎年の全天日射量に換算し、複数年で比較したのがグラフ6で、1816年、1836年のいずれも1821年から1850年の平均値より低い量になっている。つまり、この2年に関しては、年間通して、全天日射量が低く、寒い時期が続き、農作物などへの影響があったことが読み取れる。 考察(1)データ1のように、タンボラ火山の噴火活動期の1812年~1816年の晴れの出現率は36.12%で、全期間より1.88%低いことから、日照時間が低下し気温も低かった可能性がある。 さらに、データ2から、1816年は鶴村日記の夏から冬において、雨の出現率が晴れの出現率を上回る。夏や秋の気温が上昇しない年だったと考えられる。(2)天保の飢饉は特に東北の冷害が深刻だったとされるが、調査した古文書の緯度があがるにつれて1816年と1836年の晴れの出現率の差が大きいことがわかった。(3)鶴村日記において、 1821年から1850年までの全天日射量の平均と、1816年と1836年の夏の全天日射量を比較すると、両年とも通年で全天日射量が低いことから、気温も低下していたことを示唆する。 まとめ(1) 「鶴村日記」のタンボラ火山の噴火活動期の晴れの出現率は36.31%で、全期間より1.71%低く、日照時間が低下し気温も低下した可能性がある。(2) 天保の飢饉は特に東北の冷害が深刻だったとされるが、古文書の書かれた地点の緯度が上がるにつれて、1816年と1836年の晴れの出現率の差が大きくなっていく。(3)「鶴村日記」の全天日射量をみると、1816年、1836年のいずれも1821年から1850年の平均値より低い量になっていた。 つまり、この2年に関しては、年間通して、全天日射量が低く、寒い時期が続いたことがわかる。 今後の課題 「鯖江藩日記」(福井)をデータ化してデータベースを作り、気象変動を調べて、本年までの分析を裏づけるとともに、オリジナルな全天日射量の計算式を作り、江戸時代の日射量を算出する。
著者
村上 雄一 服部 達彦 内田 〓
出版者
公益社団法人 日本化学会
雑誌
工業化学雑誌 (ISSN:00232734)
巻号頁・発行日
vol.72, no.9, pp.1945-1948, 1969-09-05 (Released:2011-09-02)
参考文献数
8
被引用文献数
5

エチレンと酢酸から酢酸エチルを常圧気相流通法で直接合成する反応において数種の触媒を検討した。活性の順序は多孔性イオン交換樹脂(Amberlyst15)>ケイタングステン酸-シリカゲル>リン酸-ケイソウ土>ゲル型イオン交換樹脂(AmberliteIR-120)であった。ケイタングステン酸触媒は200℃ではかなりの活性をもつが,活性の経時低下が著しかった。200℃以上ではかえって酢酸エチル収率は低下し,代ってアセトンの生成が急激に増加した。多孔性イオン交換樹脂触媒ではほとんど副反応なしに,140℃,SV175hr-1,エチレン対酢酸モル比5以上でほぼ平衡収率(59%)で酢酸エチルを生成した。エチレン対酢酸モル比の影響が大で,この比が大きいほど酢酸エチル収率が大きく,酢酸の反応抑制作用が見られた。原料中の水の抑制作用はさらに強く,エステル収率を低下させた。140℃では10時間までこの触媒の劣化はほとんどないが,150℃ではかなりの劣化が観測された。通常のゲル型樹脂は活性を示さず,使用後は完全に崩壊していた。
著者
常盤 俊之 内田 有紀 奥田 徹
出版者
日本菌学会
雑誌
日本菌学会会報 (ISSN:00290289)
巻号頁・発行日
vol.56, no.1, pp.jjom.H26-02, 2015-05-01 (Released:2018-01-27)
参考文献数
19

盤菌類寄生性のStephanoma strigosum とMycogone cervina のテレオモルフ,Hypomyces stephanomatis とH. cervinigenus を日本新産として報告した.同定は分子系統学的手法により確認した.H. cervinigenus の子嚢胞子を培地上で発芽させ,Mycogone アナモルフを初めて確認した.
著者
小川 由英 諸角 誠人 内田 厚 外間 実裕
出版者
琉球大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2004

シュウ酸は尿毒症物質であり、透析患者で高シュウ酸血症が長期持続すると臓器や組織にシュウ酸カルシウムが沈着する。透析患者は、動脈硬化も早く、高血圧、心疾患、脳血管障害などの危険も高い。高シュウ酸血症は血管の内皮傷害を惹起し、動脈硬化の原因となる。透析患者は尿毒症のため過酸化状態であり、ビタミンC投与は過酸化状態を改善し、発癌などの悪循環を断ち切るなど多大の恩恵をもたらす。しかし、ビタミンCを大量投与すると透析患者の血中シュウ酸値は高くなり、オキサローシスとなる。1 腎不全患者の血中シュウ酸をキャピラリー電気泳動で初めて測定し、約6年が経過する。約452名の腎不全患者を対象に血清中のシュウ酸前駆物質を測定し、血清シュウ酸とアスコルビン酸とは関連性が強く、ビタミンC投与が高シュウ酸血症の原因となることを示した。エリスロポエチン抵抗性の腎性貧血の際にビタミンCにより、鉄の利用度を増し、貧血を改善する。その際にビタミンC投与により、エリスロポエチン投与量を減少することを発見し、その最適の投与量は100mg/日と考えている。組織の石灰化に関しては、リン酸カルシウムの沈着がほとんどであるが、シュウ酸濃度が100μM以上であると不安定過飽和状態となり、シュウ酸カルシウム沈着の危険が高まる。常にこの値を超えるのは原発性過シュウ酸尿症の場合である。副甲状腺機能亢進症症例における腎性骨症に関して、経時的な組織の変化を報告したが、副甲状腺全摘前後の骨代謝パラメータとシュウ酸とは有意な相関は見られなかった。2 グリオキシル酸の解毒機構として、AGT(アラニングリオキシル酸アミノ転移酵素)が肝細胞のペルオキシゾームに局在し、グリコール酸より代謝されるグリオキシル酸をペルオキシゾームにおいて解毒する。また、肝細胞の細胞質と他の臓器にもグリオキシル酸還元酵素が存在し、シュウ酸産生を最小限に抑える。AGTの補酵素であるビタミンB6欠乏もオキサローシスの原因であり、透析患者では水溶性ビタミンが欠乏しがちである。ビタミンB6欠乏ラットで、グリオキシル酸、グリコール酸、ハイドロキシプロリン、ハイドロキシピルビン酸、キシリトールなどがシュウ酸産生を増加することを示した。これらの前駆物質の摂取を透析患者では制限する必要がある。この食事制限はオキサローシスの治療上非常に重要な示唆である。3 キャピラリー電気泳動に質量分析器を装着して、シュウ酸関連物質を測定し、測定感度を数倍上げることが可能となり、血清シュウ酸とグリコール酸の測定法を改良することが出来、また、従来の測定がそれぞれ正しいピークを測定していたことを確認できた。これは大きな収穫であり、シュウ酸に関しては更に数十倍の感度で測定できる方法に辿り着きそうである。
著者
杉浦 彩子 文堂 昌彦 鈴木 宏和 中田 隆文 内田 育恵 曾根 三千彦 中島 務
出版者
一般社団法人 日本耳鼻咽喉科頭頸部外科学会
雑誌
日本耳鼻咽喉科学会会報 (ISSN:00306622)
巻号頁・発行日
vol.123, no.8, pp.737-744, 2020-08-20 (Released:2020-09-01)
参考文献数
29

水頭症患者における聴力変化がしばしば報告されており, 相対的内リンパ水腫によると推測されている. 今回われわれは2012年1月~2018年3月の間に正常圧水頭症に対するシャント手術を受け, 術前後で聴力検査を行った高齢者53名において聴力変化についての検討を行った. 術前の聴力は半数以上に中等度以上の感音難聴を認めた. 術後の聴力は53名全体では一部の低音域において有意な低下を認めたが, 250~4,000Hz の5周波数平均聴力が 10dB 以上変動した症例は12例あり, 聴力悪化が8例 (15.1%), 聴力改善が4例 (7.5%) であった. 聴力の変化無群と悪化群, 改善群でそれぞれ年齢, 性, シャント部位, シャントシステム, バルブ圧, 認知機能, 身体機能等を比較したが, 有意差を認めるような特性はなかった. 悪化群では術前の聴力は変化無群と違いがなかったものの, 術後の左低音域の聴力が有意に悪かった. また, 改善群では術前の聴力が低音域・中音域・高音域とも変化無群より悪く, 術後には差がなくなっていた. 相対的内リンパ圧上昇による聴力悪化と, 相対的外リンパ圧上昇による聴力悪化の解除と, 両方の病態が考えられた. 高齢者ではもともとあった加齢性難聴にこのような聴力変化が伴うことで, 術後補聴器装用となった例もあり, シャント術のリスクの一つとして留意する必要があると考えた.
著者
高橋 直人 岩原 信一郎 宜保 陽介 竹永 清人 網谷 賢一 山口 朋禎 内田 高浩 星野 公彦 宗像 一雄
出版者
公益財団法人 日本心臓財団
雑誌
心臓 (ISSN:05864488)
巻号頁・発行日
vol.36, no.3, pp.191-196, 2004-03-15 (Released:2013-05-24)
参考文献数
15

123I-BMIPP心筋SPECT検査(123I-BMIPP)では,心筋症において心筋集積に異常を呈することが知られている.今回我々は,心不全にて入院した拡張型心筋症(DCM)症例において,施行した123I-BMIPP上心筋無集積を認め,それを契機にI型CD36欠損症が診断された症例を経験したので報告する.症例は43歳,男性.平成14年4月に労作時呼吸苦が出現し近医にてうっ血性心不全と診断され,その後精査加療目的にて当科紹介入院となる.入院時血圧132/80mmHg,脈拍78/分,整.浮腫は認めず,心胸郭比は58.5%.利尿薬,血管拡張薬に加えβ遮断薬(carvedilol) の追加により心不全症状は消失.心臓カテーテル検査では冠動脈に有意狭窄はなく,左室造影でび漫性の壁運動低下を認めEF33%であった.左室心筋生検は炎症細胞浸潤は見られず,間質の線維化を認めた.T1-BMIPP心筋SPECT検査を施行したところT1にて不均一な血流損失を認め,123I-BMIPPでは心筋無集積となった.フローサイトメトリー検査にて単球,血小板の双方にCD36欠損を認めるI型CD36欠損症と診断された.肥大型心筋症とCD36欠損症の合併報告は散見されるがDCMとI型CD36欠損症の合併報告例は少なく,CD36と長鎖脂肪酸の心筋への取り込み機構や心筋細胞障害との関連が示唆されており,今後の研究が期待される.
著者
内田 成男
出版者
一般社団法人日本理学療法学会連合
雑誌
理学療法学 (ISSN:02893770)
巻号頁・発行日
vol.39, no.1, pp.36-42, 2012-02-20 (Released:2018-08-25)
参考文献数
3
被引用文献数
1
著者
内田 輝俊
出版者
一般社団法人 火力原子力発電技術協会
雑誌
火力原子力発電大会論文集 (ISSN:2187929X)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.101-106, 2014 (Released:2015-03-20)
参考文献数
4

地球温暖化の抑制を目指して,石炭火力発電所からのCO2の排出量をゼロにするべく,当社が酸素燃焼技術の開発に鋭意取組んでいること,その1ステップとして現在豪州クィーンズランド州でカライド酸素燃焼プロジェクトを遂行中であることは,昨年度紹介したとおりである(1)。 本稿では,これまでのカライドでの酸素燃焼実証運転より得られた成果を中心に,カライドの次のステップについても紹介する。
著者
内田 啓一 馬瀬 直通 深澤 常克 和田 ゆかり 長内 剛 和田 卓郎
出版者
特定非営利活動法人 日本歯科放射線学会
雑誌
歯科放射線 (ISSN:03899705)
巻号頁・発行日
vol.36, no.3, pp.176-181, 1996-09-30 (Released:2011-09-05)
参考文献数
14

The hyoid bone is a bone not directly connected with other bones. Rather it is surrounded by soft tissues, mandible and vertebra. These act a protector to the traumatic injury. We herein report two cases of hyoid bone fracture. A 29- year- old man was tackled during a football game. After the game, he experienced continous pain for a week while swallowing. A plain radiograph did not reveal the cause of his pain at the first examination, but CT images taken more than a week later revealed a hyoid bone injury. The 3D image shows the dislocation of a fragment of the bone. A 46- year- old man had injured his mandible in a traffic accident and thereafter experienced severe pain in his jaw and was unable to open his mouth. The fracture of his mandibular body and ramus was found by radiography. The repositioning operation of the mandibule was considered successful, but the hyoid bone fracture was not discovered at that time. After the operation, the patient complained of gradual pain upon swallowing, and a subsequent radiographic examination showed that the hyoid bone had been fractured. In both cases, it was confirmed that ordinary lateral oblique radiography should be technically modified to some extent, and CT or other images might be necessary for the detection or diagnosis of hyoid bone fracture.
著者
内田 康太
出版者
日本西洋古典学会
雑誌
西洋古典学研究 (ISSN:04479114)
巻号頁・発行日
vol.61, pp.73-85, 2013-03-28 (Released:2017-05-23)

The centuriate assembly, which elected higher magistrates such as consuls or praetors during the Roman republic, had at its disposal - at least in the case of consular elections - a specific voting system called Centuria Praerogativa. This was the first century to cast its vote and the result was proclaimed separately from the others. Many scholars have assumed that the voting of this one century often had a decisive influence over the centuries that followed, so that the candidates selected by this one century won the competition. Their studies, therefore, have focused on explaining the significance of its influence, especially in the light of recent discussions about the political importance or influence of the Roman people. However, by analyzing some sources which are considered to indicate the influence of Centuria Praerogativa in their proper context, I will argue that the great influence exerted by this century is found under certain conditions pertaining to the elections, which have not adequately studied yet. Accordingly this paper aims to analyze the influence of Centuria Praerogativa by asking when and how this century was followed by the other centuries. I first analyze one actual election, the consular election of 53 BC. In this election, there were four candidates with equal chances of winning, but two of these would be in a more favorable position than the rest once they have promised Centuria Praerogativa a huge amount of money. From this it can be surmised that the influence of Centuria Praerogativa emerges in the case of close elections. And this is actually confirmed by some ancient sources explaining the function of this century. According to them, Centuria Praerogativa was supposed to work as a unifying factor for the other centuries. Therefore, for Centuria Praerogativa to fulfill this function, there needed to exist a situation that the voting of the rest could be split between candidates with a possibility of a close election. However, the consular election for the year 63 BC seems not to have been such a case. Of the two candidates with a chance of winning - and despite the fact that one of them must have won the votes of Centuria Praerogativa - the victor won the election by a very close margin. However, based on the voting system that allowed the electorate to cast at any time as many votes as was the quorum for the magistrate concerned, it seems possible to argue from this case that Centuria Praerogativa exerted its influence not on the higher strata of the centuries but rather on the lower ones. And this also corresponds to the above view, because the lower centuries could take part in balloting when the election was closely contested. To conclude, it is during close election that the Centuria Praerogativa exerted its decisive influence over the following centuries, possibly over the lower strata of the centuries. And this argument should caution us not to overestimate the political importance or influence of the Roman people.
著者
相川 慎也 芦原 貴司 天野 晃 有末 伊織 安藤 譲二 伊井 仁志 出江 紳一 伊東 保志 稲田 慎 井上 雅仁 今井 健 岩下 篤司 上村 和紀 内野 詠一郎 宇野 友貴 江村 拓人 大内田 研宙 大城 理 太田 淳 太田 岳 大谷 智仁 大家 渓 岡 崇史 岡崎 哲三 岡本 和也 岡山 慶太 小倉 正恒 小山 大介 海住 太郎 片山 統裕 勝田 稔三 加藤 雄樹 加納 慎一郎 鎌倉 令 亀田 成司 河添 悦昌 河野 喬仁 紀ノ定 保臣 木村 映善 木村 真之 粂 直人 藏富 壮留 黒田 知宏 小島 諒介 小西 有人 此内 緑 小林 哲生 坂田 泰史 朔 啓太 篠原 一彦 白記 達也 代田 悠一郎 杉山 治 鈴木 隆文 鈴木 英夫 外海 洋平 高橋 宏和 田代 洋行 田村 寛 寺澤 靖雄 飛松 省三 戸伏 倫之 中沢 一雄 中村 大輔 西川 拓也 西本 伸志 野村 泰伸 羽山 陽介 原口 亮 日比野 浩 平木 秀輔 平野 諒司 深山 理 稲岡 秀検 堀江 亮太 松村 泰志 松本 繁巳 溝手 勇 向井 正和 牟田口 淳 門司 恵介 百瀬 桂子 八木 哲也 柳原 一照 山口 陽平 山田 直生 山本 希美子 湯本 真人 横田 慎一郎 吉原 博幸 江藤 正俊 大城 理 岡山 慶太 川田 徹 紀ノ岡 正博 黒田 知宏 坂田 泰史 杉町 勝 中沢 一雄 中島 一樹 成瀬 恵治 橋爪 誠 原口 亮 平田 雅之 福岡 豊 不二門 尚 村田 正治 守本 祐司 横澤 宏一 吉田 正樹 和田 成生
出版者
公益社団法人 日本生体医工学会
雑誌
生体医工学 (ISSN:1347443X)
巻号頁・発行日
vol.Dictionary.1, pp.1-603, 2022 (Released:2022-03-31)