- 著者
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古川 智恵子
小川 由香
- 出版者
- 名古屋女子大学
- 雑誌
- 名古屋女子大学紀要 (ISSN:02867397)
- 巻号頁・発行日
- vol.34, pp.31-40, 1988-03-01
1.繰糸祭およびお糸船神事の由来は,伊勢神宮へ神衣の材料を献上する儀式であり,7世紀後半より始まり,15世紀,戦国時代には中絶したと言われている.しかし明治34年,土地の人渡辺熊十によって復興され現在にまで至っている. 2.祭りの装束については,神職は上衣として狩衣を,下衣は指貫を着用し被物は烏帽子である.狩衣に指貫の装束は,古く平安時代から公家の間で広く用いられた狩猟用の略装であるが,明治以後神職の祭祀奉仕の略服として着用されるようになった.神に捧げる絹糸を採る糸姫は,木綿の白衣に白衿を着用し,最上衣として木綿の千早を羽織る.千早は平安時代中期に祭服として用いられるようになり,原始的な貫頭衣の形態を留めている.ただし御料所の千早は伊勢神宮のものとは多少構成が異なり,より機能的に工夫されている.この白無垢の装束は,神に捧げる絹糸を採る際の糸姫の純粋,清浄な心を表現するものと考えられる.その他の祭り参加者の衣装は,時代が進展するにつれて簡略化の傾向を辿ってきたが,神職と糸姫の装束だけは現在に至るまで,古式の面影を留めている. 3.祭りとくらしについて要約すると,「延喜式」にも記されているように,亀山の良質な絹糸を奉献する繰糸祭・お糸船神事は,その土地の特徴を生かした祭りであると言うことができる.かつ五穀豊穣,大漁を神に祈る意味をもち,衣に霊魂が宿るとする日本古来の信仰とともに現在にまで伝えられているのである.神事の後の直会は,本来神に献上した御食,御酒を人々が戴くことによって,神の霊威を人間の体内に受け入れるという意味をもち,また一年に一度集まり,参加する人々のコミュニケーションの場ともなっている.祭りはこうして生活の折り目,節目としての役割をも果たし,観光開発のために伝統的な祭りを保存していこうとする動きが一般的である今日でも,この祭りは地域の人々の生活の中にその本義を忘れることなく,今も根づいていると言うことができる.