著者
北田 博之 山本 晴輝 山本 峻己 鈴木 昌人 青柳 誠司 高橋 智一 福永 健治 細見 亮太 高澤 智規 歌 大介 川尻 由美 中山 幸治 引土 知幸
出版者
公益社団法人 精密工学会
雑誌
精密工学会学術講演会講演論文集 2017年度精密工学会秋季大会
巻号頁・発行日
pp.897-898, 2017-09-05 (Released:2018-03-05)

蚊の針は細いが穿刺時に折れず,皮膚にたわみが生じない.本研究では,麻酔したマウスの皮膚に対する蚊の穿刺を倒立顕微鏡で観察し,蚊の針が皮膚を貫いて吸血する仕組み,ならびに口針を包む鞘である下唇の役割を解明しようと試みた.その結果,蚊の針の挿入時の下唇の動きや,蚊の血管を探す様子や吸血する様子,そして穿刺時に皮膚がほとんどたわまず,上唇を血管に挿し入れる時に血管が変形しないことが観察できた.
著者
木内 正人 大嶋 一矢 山本 英男 松村 記代子
出版者
日本デザイン学会
雑誌
日本デザイン学会研究発表大会概要集
巻号頁・発行日
vol.61, 2014

「紙幣らしさ」が備わる模様は、肖像、唐草模様、彩紋(さいもん)模様が代表的なデザイン要素である。しかし、紙幣のデザインは他にも重要なデザイン要素を備えている。それは紙幣に用いられている書体である。日本の紙幣(正しくは日本銀行券)において、日本銀行などの発行主体、額面金額、記番号、印章などが印刷され、それらの文字は一般国民に理解され、読みやすさ、使いやすさをもって付与されている。特に重要とされるのが「大蔵隷書」と呼ばれる書体である。「大蔵隷書」は書体名としての認知度も低く、それに関わる具体的な資料、文献もほとんどない。しかし、今日の紙幣に使われていることから、生活環境の中で誰もが目にする機会も多く、潜在意識的に広く認知できている書体ともいえる。そこで本研究では、日本の紙幣における伝統書体として「大蔵隷書」が果たしてきた役割について、紙幣デザインの歴史的変遷で説明する。
著者
山本 政幸
出版者
Japanese Society for the Science of Design
雑誌
日本デザイン学会研究発表大会概要集
巻号頁・発行日
pp.126, 2005 (Released:2005-07-20)

日本語タイポグラフィに不可欠な和欧書体の混植の調和について考察した。平成明朝W3、ヒラギノ明朝体W3、小塚明朝R、游明朝体Rの4フォントの従属欧文書体を対象とし、1)各欧文書体のアウトラインデータを用いてデザインの特徴を考察、2)SD法を用いた調査から各フォントの和欧書体間における印象評価の差を検証した。
著者
野添 匡史 間瀬 教史 杉浦 みどり 岡前 暁生 山本 健太 立栄 智恵 眞渕 敏 傳 秋光
出版者
日本理学療法士学会
雑誌
理学療法学 (ISSN:02893770)
巻号頁・発行日
vol.34, no.6, pp.254-259, 2007-10-20 (Released:2018-08-25)
参考文献数
24
被引用文献数
11

本研究の目的は,体幹前傾姿勢が肺気量位と呼吸運動に与える影響を調べることである。健常人20名を対象として,体幹前傾角度0°位(安静立位),30°位,60°位,90°位での肺気量位,胸腹部呼吸運動を測定し,体幹前傾角度の違いと各指標の変化について検討した。終末吸気肺気量位,終末呼気肺気量位は体幹前傾角度の増加に従い有意に増加したが,60°位,90°位の問では有意な差は認められなかった。終末吸気,終末呼気の胸部周囲径は体幹前傾角度の増加に従い有意に増加した。以上の結果より,体幹前傾姿勢では胸郭に対する重力の作用方向が変化し,胸郭が拡張位となることで高肺気量位での呼吸様式になると考えられた。
著者
潮見 佳男 橋本 佳幸 村田 健介 コツィオール ガブリエーレ 西谷 祐子 愛知 靖之 木村 敦子 カライスコス アントニオス 品田 智史 長野 史寛 吉政 知広 須田 守 山本 敬三 横山 美夏 和田 勝行
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2017-04-01

平成30年度は、前年度に引き続き、ゲストスピーカーを交えた全体研究会の開催を通じて、情報化社会における権利保護のあり方をめぐる従来の議論の到達点と限界を検討し、知見の共有を図った。個別の研究課題に関しては、次のとおりである。第1に、個人情報の収集・利活用に関する私法的規律との関連では、全体研究会を通じて、EU一般データ保護規則(GDPR)の全体的構造のほか、EUにおけるプライバシー権の理論構成について理解を深めた。また、プラットフォーム時代のプライバシーにつき、プロファイリング禁止やデータ・ポータビリティーなどの先端的課題を踏まえた理論構成のあり方を検討した。第2に、AIの投入に対応した責任原理との関連では、全体研究会において、ドイツでの行政手続の全部自動化立法の検討を通じて、AIによる機械の自動運転と比較対照するための新たな視点が得られた。第3に、ネットワーク関連被害に対する救済法理との関連では、担当メンバーが、ネットワークを介した侵害に対する知的財産権保護のあり方を多面的に検討し、また、オンライン・プラットフォーム事業者の責任について分析した。以上のほか、私法上の権利保護の手段や基盤となるべき法技術および法制度に関しても、各メンバーが新債権法に関する一連の研究を公表しており、編著の研究書も多い。さらに、外国の法状況の調査・分析に関しては、ドイツやオーストリアで在外研究中のメンバーが滞在国の不法行為法の研究に取り組み、複数のメンバーがヨーロッパ諸国に出張して情報収集を行った。また、研究成果の国際的な発信も活発に行っており、国際学会での日本法に関する報告が多数あるほか、新債権法に関して、その翻訳、基本思想を論じる英語論文が挙げられる。
著者
中田 明里 山本 綺羅 福士 小春 武藤 日菜向
雑誌
JpGU-AGU Joint Meeting 2020
巻号頁・発行日
2020-07-04

1.研究目的及び調査方法三島市の楽寿園内にある小浜池は湧水によって形成され、古くから人々の生活と密接な関係があるがその水位変化は謎が多い。よって、水位変化の原因と小浜池湧水の周辺水脈との関係性を降水量,電気伝導度(以下EC)の2点から考察した。三島市と御殿場市の過去(1958-2019年)のアメダス気象データ、小浜池(1958-2019年)と伊豆島田浄水場(2004-2019年)の地下水のデータを用意した。続けて、①谷津(長泉)②富沢不動【愛鷹山】③窪湧水【黄瀬川】④谷田押切⑤竹倉【箱根】⑥小浜池⑦蓮沼川⑧菰池⑨三島梅花藻の里⑩源兵衛川⑪白滝公園⑫柿田川【三島溶岩=富士山】⑬伊豆島田浄水場(【】内は水脈を示す)以上13地点で採水し、ECを、マルチ化学センサ2(島津理化)を用いて測定したのちGISを利用して地図上に示した。 2.調査結果と考察2-1 湧水のECについてECについては①④⑤の愛鷹山と箱根由来の地点で高い傾向がみられ、反対に全体として三島溶岩由来と伊豆島田浄水場で低い傾向がみられた。ECの差の原因は三島溶岩と箱根系の溶岩の新旧の違いに関係すると考えられる。一般的に溶岩が若いほど地下水の流動速度が大きいこと、岩石から溶け出すイオンの量が流動時間に比例することから、より古い箱根溶岩と愛鷹山の水脈においてECが高い傾向が見られたと考えられる。したがって、古い溶岩の水脈と比べてECが低い伊豆島田浄水場の水は三島溶岩系、つまり小浜池と同水脈だと考えられる。 2-2 小浜池の水位変化パターンについて(1)水位0mを超えると伊豆島田浄水場の水位変化に比べ、小浜池の水位上昇が鈍くなった。0mを超えると湧水が拡散するためだと考えられる。したがって、地下水の増減と小浜池の水位の増減を同等のものとすることはできない。(2)降水量と小浜池の水位変化の関係を明らかにするため、2019年に発生した台風19号以後に着目してグラフを作成した。11月17日から18日にかけての御殿場市の降水量と小浜池の水位変化に相関性はないことに加え、御殿場市は小浜池が在る三島市から32.9kmあることから短期間(1~2日)では影響しないとした。(3)小浜池の近くにある説明の看板に水位が150㎝を超えると満水とし、7~8年に一度満水になると書かれていたため、1958~2018年の小浜池の最高水位をグラフ化し事実を検証した。結果、満水である150㎝をこえた年は不定期であり7~8年に一度満水になるという記述は誤りであった。また、1970年までは毎年満水になっていたが1970年以降は満水にならない年が多くみられた。 (4)2011年を境に小浜池の平均的な水位に変化がみられた。同年3月11日三陸沖を震源に発生した東日本大震災を原因とした地層の変化が影響したと考えられる。 3.今後の課題2-2(1)について、湧水の拡散の事実を検証するため小浜池の水位が最下点に達する春頃に湧き出し口の調査を行う。2-2(2)で述べた考察に加え、御殿場市の降水量と小浜池の水位変化の関係性の濃度をより明らかにするには長期的なデータの比較が必要である。2-2(4)で記した考察を裏付けるために、同時期の他条件(気温や地下水の増減)を調べる必要がある。 4.参考文献 三島市オープンデータ https://www.city.mishima.shizuoka.jp/ipn017227.html気象庁 http://www.jma.go.jp/jma/menu/menureport.html伊豆島田浄水場水位のデータ 謝辞 本研究を進めるにあたり、伊豆半島ジオパーク推進協議会事務局専任研究員、鈴木雄介様に多大なご協力を賜りましたことを深く御礼申し上げます。
著者
山本 佳奈
出版者
広島大学大学院教育学研究科
雑誌
広島大学大学院教育学研究科紀要 第二部 文化教育開発関連領域 (ISSN:13465554)
巻号頁・発行日
no.57, pp.87-96, 2008

In three match ceremony like the "Sumai" (相撲) and "Noriyumi" (賭弓) and "Kurabeuma" (競馬), done in the court of the Heian era, "Bugaku" (舞楽) -winner's dance- (勝負楽) was played by Konoehu (近衛府) according to victory. I considered "Bugaku" -winner's dance- in the ceremony books in this study. The "Bugaku" -winner's dance- of the left in the "Sumai" ceremony has been assumed to played "Ryouou"(「陵王」) until the end of ninth century, "Batou" (「抜頭」) after that so far. However, "Bugaku" -winner's dance- wasn't "Ryouou", but "Batou" at the "Sumai" ceremony from the bigining. "Bugaku" -winner's dance- of the right was "Nasori". There were two kinds of "Bugaku" -winner's dance-. One was played by the winner of "Hote"(最手). Another was played by the winner side in the total score. The left played "Ryouou", the right played "Nasori" in the "Noriyumi" and "Kurabeuma" according to total score. There was a great difference in the method of the "Bugaku" -winner's dance- at these three match ceremony between the ninth century and tenth century. This change is related to a big problem like the conversion of ceremony, and the ideal way of the state.
著者
山本 薫
出版者
日本中東学会
雑誌
日本中東学会年報 (ISSN:09137858)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.111-138, 2001-03-31 (Released:2018-03-30)

This paper aims at tracing images of pre-Islamic brigand-poets called Sa'alik, as reflected in their akhbar-traditions or stories accompanied by poetic texts, which tell the life of poets and the situation in which their poetry was composed. In chapter I, after reviewing previous studies on Sa'alik literature, I will reaffirm the significance of further investigation of pre-Islamic Sa'alik for developing total understanding of the picaresque tradition in Arabic literary heritage. In chapter II, I will examine the nature of akhbar, concluding that they should be regarded not as incomplete/unreliable historical biographies, but as narratives which were formed through interpenetration with the poetic texts, interweaving facts with fictions within them. Then I will argue that those images of Sa'alik, as reflected in akhbar, indicate three different types according to their attitudes toward the tribal society: "anti-tribal", "cross-frontier", and "quasi-tribal". The "anti-tribal" type is represented by al-Shanfara who is the true vendettist to his own tribe; the "cross-frontier" type is represented by al-Sulayk bn al-Sulaka and Ta'abbata Sharran, whose arbitrary and also ambiguous character shows an interesting similarity to the mythological trickster; and the "quasi-tribal" type is represented by 'Urwa bn al-Ward, whose image of social bandit is unique among pre-Islamic Sa'alik in spite of his fame as "the father of Sa'alik". Despite these variations, they have "off-tribal" characters in common, being perceived as strangers both in their behavior and their existence, who depart from the society and disturb its public order.
著者
福田 智子 山本 愛奈 李 羽 耕三寺 華蓮 大久保 孝晃 徐 嘉楓 胡 淑雲 フクダ トモコ ヤマモト アイナ リー ユー コウサンジ カレン オオクボ タカアキ ジョ カフウ Fukuda Tomoko Yamamoto Aina Li Yu Kosanji Karen Okubo Takaaki Xu Jiafeng Hu Shuyun
出版者
同志社大学文化情報学会
雑誌
文化情報学 = Journal of culture and information science (ISSN:18808603)
巻号頁・発行日
vol.14, no.2, pp.38-28, 2019-03

本稿は、「同志社大学文化情報学部蔵『源氏絵所屏風言葉書』翻刻と考察(桐壺巻~野分巻)」に引き続き、当該書の御幸巻から幻巻の本文系統と、それが指し示す源氏絵の図柄を類型に照らして考察するものである。本文は、北村季吟『湖月抄』(延宝三年〈一六七五〉刊)と一致する帖もあるが、青表紙本系統の三條西家本との共通性が目立つ。また、本書が示す図柄を『源氏物語』承応三年(一六五四)版本の挿絵と比較すると、共通するものも多いが、幻巻では、紫上の死に関連した通常の類型的な場面を避けるといった図柄の選択が行われていると考えられる。資料紹介
著者
坂本 浩子 山崎 勝利 加賀 千文 山本 幸子 伊藤 隆二 黒澤 康之
出版者
社団法人 日本食品科学工学会
雑誌
日本食品科学工学会誌 (ISSN:1341027X)
巻号頁・発行日
vol.43, no.5, pp.598-602, 1996-05-15 (Released:2009-05-26)
参考文献数
18
被引用文献数
1 21

準強力粉を主原料として中華麺を調製し,麺の物性に対するMTGaseの添加効果を調べた.(1) かんすいの添加量を調整し生麺調製時のpHを約6~10と変化させ,ゆで麺,酸処理麺の破断強度に及ぼす影響を調べた結果,MTGase無添加麺ではpHが高いほど破断強度が高かったが,MTGase添加系ではpH 6~8で破断強度増加効果が得られた.(2) pH 8.0で生麺を調製し, MTGaseの添加量が破断強度に及ぼす影響を調べた結果,MTGase 0~7U/gproteinで酵素濃度の増加とともにゆで麺の破断強度が増加した.ゆで麺を酸処理またはレトルト処理した場合,調べた0~10U/g proteinの範囲内で酵素濃度の増加とともに破断強度が増加した.(3) 生麺の断面を走査型電子顕微鏡により観察した結果から,これらMTGaseによる効果はG-L架橋形成によりグルテンのネットワーク構造が補強されたためと推定された.(4) 以上より,MTGaseを使用するとゆで麺の破断強度が増加すること,さらに酸処理やレトルト処理をしても破断強度の低下が抑制されることが判明した.
著者
谷口 真吾 橋詰 隼人 山本 福壽
出版者
一般社団法人日本森林学会
雑誌
日本林學會誌 (ISSN:0021485X)
巻号頁・発行日
vol.85, no.4, pp.340-345, 2003-11-16
参考文献数
17
被引用文献数
1

鳥取大学蒜山演習林のトチノキ林において,果実の成熟過程における落果時期と内部形態の解剖学的な観察をもとに,発育途中における未熟果実の落下原因を調べた。未熟果実は6月中旬から7月下旬までの間に全体の80〜90%が落下した。未熟落果の形態として,「虫害」タイプ,「胚珠の発育不全」タイプ,「種子内組織の崩壊」タイプ,「胚珠の発育不全」タイプの四つが挙げられた。虫害による未熟落果は6月と7月下旬以降に多く発生した。6月の虫害は果肉摂食型幼虫によるもの,7月下旬以降の虫害は子葉摂食型幼虫によつものであった。「胚珠の発育不全」タイプの落果は主に6月にみられ,受粉・受精の失敗によって胚珠が種子に成長しなかったことが原因として考えられた。「種子内組織崩壊」タイプの落果は7月上旬以降にみられ,種子内の組織が死滅して内部が空洞化していた。「胚の発育不全」タイプの落果は7月下旬以降にみられ,胚の発育が途中で止まったものであった。トチノキの未熟落果の大部分を占める「胚珠の発育不全」と「種子内組織の崩壊」は,落下果実の内部形態から判断して,「胚珠の発育不全」タイプは受粉・受精の失敗が主要因であり,「種子内組織の崩壊」タイプは資源制限による発育中断が主要因である可能性が高いと考えられた。
著者
山本 拓朗 大山 博司 安積 卓也
出版者
日本ソフトウェア科学会
雑誌
コンピュータ ソフトウェア (ISSN:02896540)
巻号頁・発行日
vol.34, no.4, pp.4_3-4_16, 2017-10-25 (Released:2017-12-25)

The complexity and scale of embedded software have increased. To improve the productivity, the mruby on TOPPERS embedded component system (TECS) framework, which employs a scripting language (i.e., lightweight Ruby) and supports component-based development, has been proposed. In the current mruby on TECS framework, mruby programs must be compiled and linked every time they are modified, because mruby bytecode are incorporated in the platform. Moreover, while the framework supports multiple virtual machines (VMs), developers must be familiar with the functions of real-time operating systems to effectively execute multiple mruby programs concurrently or in parallel. This paper proposed an extended mruby on TECS framework that improves development efficiency more than the current framework. We implemented a Bluetooth loader receives an mruby bytecode, and a RiteVM scheduler simplifies multitasking. Synchronization of initializing multiple tasks is also implemented using an Eventflag. Experimental results demonstrate the advantages of the proposed framework.
著者
山本 進
出版者
東洋史研究会
雑誌
東洋史研究 (ISSN:03869059)
巻号頁・発行日
vol.75, no.2, pp.241-272, 2016-09

Traditional studies of the history of firearms in East Asia have placed great importance on specifying the time when European guns were first introduced and technical comparison of guns made in each East Asian country. Although the authors differ in some respects, they have a common understanding that the gun introduced into Japan by Portuguese in 1542 or 1543 inaugurated a new epoch in the history of firearms in East Asia. However, there are few studies that discuss how guns were used on the battlefield. This article reexamines the history of the development of guns during the Joseon period of Korea history from the point of view of their tactical use. Guns had been introduced into Korea from China during the late Goryeo 高麗 period, and Joseon's King Sejong 世宗 attempted the full-fledged development of firearms, but few were used in battle as a result of their inaccuracy and a shortage of gunpowder. After the king's death, the guns were only used for fireworks. But after the pillaging of the Japanese piracy during Jiajing 嘉靖 era (1522-66), China and Korea made large-scale guns and Portuguese-style cannons that could be loaded on warships. In contrast, the harquebus spread as a battlefield weapon among the warring lords of Japan. At the beginning of the Japanese invasion in 1592, Japanese harquebus overwhelmed Korean bows, and Japanese forces were able to advance to Pyeongyang in a short time. However, after the Ming army entered the conflict, the Chinese troops fired cannons from outside the effective range of harquebus, triggering a Japanese response that revealed the weak points of the harquebus--its inaccuracy, short range and the difficulty of reloading. Japanese forces were put on the defensive. In the end, logistic superiority decided the war. After the war, the Joseon government attempted to maximize firearms by having each district supply a regular quantity of guns, powder and bullets every month, but this led to mass production of inferior goods. On the technical side, a long-range harquebus called a "thousand-step gun" was developed, but its use did not spread. As a result, the late Joseon was unable to mount a strong army, and we see that Joseon chose military tactics designed to outrange its enemies by shooting many guns from a long distance. The tactic of using guns to create a barrage and not at narrowly defined targets was used not only in Joseon but also by Western countries.
著者
山本 浩之 西形 達明 八尾 眞太郎 西田 一彦 笠 博義
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木学会論文集C (ISSN:1880604X)
巻号頁・発行日
vol.66, no.1, pp.43-57, 2010
被引用文献数
3

城郭石垣の動的状態での安定性を力学的に評価することを目的に,実物大の石垣の大型振動台実験をした.石垣は,"打込みはぎ"による反りを有する形状とし,背面は栗石と土で充填した.実験方法は,入力波形を3Hzの正弦波,入力方向を水平一方向とし,加速度振幅を段階的に増加させ,各材料(石材,栗石,背面地山)の応答状態を計測した.その結果,688gal付近を境界に,石垣の変形が"転倒モード"から"孕み出しモード"へ移行し,各材料の応答加速度や各材料間の位相差に変化があることが捉えられた.また,このような石垣の変形過程は,栗石の沈下等による背面土圧の増加や岩盤の内部摩擦角に相当する石材間の摩擦角の低下に伴い発生することが明らかになった.