著者
若月 秀和
出版者
一般財団法人 日本国際政治学会
雑誌
国際政治 (ISSN:04542215)
巻号頁・発行日
vol.2000, no.125, pp.197-217,L23, 2000

The purpose of this essay is, firstly, to analyze how the Japanese government coped with the international situation before the Fukuda Doctrine was announced and how the government aimed at a continuation of d&eacute;tente and secondly, to evaluate the essence and significance of the doctrine, with a greater focus on Mr. Fukuda's diplomatic idea, namely omnidirectional-peace diplomacy. The doctrine was announced during his visit to Southeast Asia in August 1977. The basic principles are (1) to reject the role of a major military power, (2) to establish reliable relationships with Southeast Asian countries, and (3) to contribute to the building of peace and prosperity throughout Southeast Asia by cooperating with ASEAN and its member countries in their own efforts to strengthen their solidarity and resilience, while aiming at fostering a relationship based on mutual understanding with the nations of Indochina.<br>The essay consists of five sections. In the first section, I review the international circumstances surrounding the Fukuda Doctrine, where so-called &ldquo;d&eacute;tente&rdquo; and unstable international relations were mixed. In the second section, I review the omni-directional-peace diplomacy which Mr. Fukuda advocated. Based on the US-Japan relationship, this policy was intended for friendly relationships with all countries, refusing to be a major military power. And this idea was a major influential factor in making the basic nature of the doctrine. Japan's intention to overcome the structure of the cold war was also another influential factor for the doctrine. In the third and fourth sections, I explain concretely how relationships with ASEAN and the countries of Indochina were established before the Fukuda Doctrine was announced. Mr. Fukuda's insight and leadership, together with the accumulation of steady contacts with those countries by officials of the Ministry of Foreign Affairs, enabled the announcement of such diplomatic policies for Southeast Asia. In the fifth section, I review the essence and significance of the Fukuda Doctrine. The doctrine stabilized international relations directly after the Vietnam War. It consolidated the foundation of Japan's diplomacy for Southeast Asia and strengthened the feeling of togetherness among free nations. Though Japan could not prevent the diffusion of Soviet-China enmity to Indochina and the new cold war in 1980s, the doctrine left a legacy for Japan's diplomacy and international society after the cold war
著者
月岡 一治 牧野 荘平 宮本 昭正 高橋 昭三 冨岡 玖夫 伊藤 幸治 足立 満 可部 順三郎 中島 重徳 瀧島 任 大橋 靖雄 浜田 知久馬 宮澤 正治 若菜 明
出版者
一般社団法人 日本アレルギー学会
雑誌
アレルギー (ISSN:00214884)
巻号頁・発行日
vol.45, no.5, pp.442-450, 1996
被引用文献数
13

厚生省アレルギー総合研究事業(企画評価委員長:宮本昭正)・喘息班では日本の喘息治療ガイドラインの運用に不可欠な日本人のピークフロー(以下PEF)標準値の検討を行ったのでその結果を報告する. 対象は喫煙経験がなく, 胸部疾患と喘鳴の既往歴がないボランティアの日本人健常人2785名で, 男性は1047名(15歳から84歳, 平均30.3歳), 女性1738名(15歳から80歳, 平均40.6歳)である. PEFメーターは市販されている4機種(ミニライト, アセス, パーソナルベスト, バイタログラフ)の各スタンダードレンジを用い, 全てATSスケールで測定した. その結果4機種のPEF値は同一の健常人が数分の間隔をおいて連続して測定したにもかかわらず, 男女共に, 分散分析の結果, 機種間で明らかな差が認められ, PEF標準予測式は男女別, 機種別に求めなければならなかった. 三次関数で得られた日本人の予測値は英国人に近似していたが, 中国人とは異なっていた.
著者
本谷 亮 松岡 紘史 坂野 雄二 小林 理奈 森若 文雄
出版者
一般社団法人 日本心身医学会
雑誌
心身医学 (ISSN:03850307)
巻号頁・発行日
vol.49, no.11, pp.1193-1200, 2009
参考文献数
26

本研究の目的は,腰背部痛などの慢性疼痛の先行研究で提唱されてきているモデルに基づき,緊張型頭痛における,痛みの維持・悪化のメカニズムの臨床的妥当性を検証することであった.成人の緊張型頭痛患者72名を対象に,共分散構造分析を用いてモデルを検討した結果,モデルの適合度はGFI=0.86,CFI=0.94,RMSEA=0.078であり,モデルの妥当性が確認された.この結果から,腰背部痛などの慢性疼痛を対象として提唱されている「痛みの維持・悪化モデル」が緊張型頭痛患者に適用され,緊張型頭痛の日常生活への支障度は,痛みに対する破局的思考と痛みに対する恐怖の行動的側面である逃避・回避行動の両方の変数の影響を受けていることが示された.
著者
亀山 啓吾 若生 政憲 波呂 浩孝
出版者
東日本整形災害外科学会
雑誌
東日本整形災害外科学会雑誌 (ISSN:13427784)
巻号頁・発行日
vol.33, no.4, pp.479-482, 2021 (Released:2021-12-21)
参考文献数
7

臼蓋形成不全が遺残する片側発育性股関節形成不全例における股関節周囲筋量の健患側差を比較することを目的とした.Salter手術を行った女児7例を対象として単純CTを用いて中殿筋,大殿筋,腸腰筋,ハムストリングスの筋断面積を計測し,健患側で比較した.いずれの筋においても有意な健患側差は認めなかったが,患側の中殿筋,大殿筋で小さい傾向を認め,遺残性臼蓋形成不全と股関節周囲筋の関係性が示唆された.
著者
赤塚 若久 大口 敬 大島 大輔 洪 性俊 花房 比佐友
出版者
東京大学生産技術研究所
雑誌
生産研究 (ISSN:0037105X)
巻号頁・発行日
vol.66, no.2, pp.211-214, 2014

電気自動車(EV)の普及率上昇には様々な課題が存在する.EVはエネルギー問題や環境問題解決に大きな役割を果たすと考えられているが,その実用に当たっては克服すべき課題として,EVの航続距離の短さに起因する,頻繁な充電行動の必要性が挙げられる.また,長い充電時間も大きな課題である.本研究は交通シミュレーションによりEVの充電行動を分析することを目的とする.交通シミュレーションにおいてEVの電池残量を考慮するため,既存のOD交通量より推定したトリップチェインに対応できるように交通シミュレーションモデルを改良する.さらに,東京都の環状8号線内側を対象地域とし,ケーススタディを行う.
著者
楠本 泰士 松尾 篤 高木 健志 西野 展正 松尾 沙弥香 若林 千聖 津久井 洋平 干野 遥
出版者
公益社団法人 日本理学療法士協会
雑誌
理学療法学Supplement
巻号頁・発行日
vol.2014, 2015

【目的】日本では脳性麻痺に対する痙性の治療として,筋解離術や関節整復術などが行われてきた。現在では選択的痙性コントロール術として,脳卒中後後遺症患者や痙性麻痺を呈する様々な疾患の方々に応用されている。当院は痙性麻痺に対する整形外科的手術を行う数少ない専門病院であり,手術件数は年間250件以上と日本最多である。しかし,痙性麻痺に対する整形外科的手術の認知度は,発達障害領域では比較的高いが,その他神経系の領域では低い。また,発達障害領域であっても手術部位によって,手術の効果に関する認識に大きな差がある。これら認識の差は,術後理学療法を受ける患者や手術適応の患者にとって不利益となる。そこで本研究も目的は,当院における手術部位と対象者を調査し,痙性麻痺に対する整形外科的手術の変遷と新たな取り組みについて検討することとした。【方法】平成16年から平成25年までの10年間の手術件数と手術内容を調査し,対象疾患ごとに手術の傾向を調査,分析した。【結果と考察】過去10年間の総手術件数は2301件で,平成18年以降は年間200件以上の手術件数を維持していた。平成16年の手術対象者の内訳は脳性麻痺患者が89件,脳卒中後後遺症患者が14件,その他が7件,平成25年の手術対象者の内訳は脳性麻痺患者が210件,脳卒中後後遺症患者が40件,その他が14件と脳卒中後後遺症患者の手術件数が徐々に増えていた。また,脳性麻痺患者の手術部位では,上肢や頚部,体幹の手術件数が年度ごとに増加していた。手術部位が疾患によって異なっていたことより,障害別の運動麻痺の程度や二次障害による問題に違いがあると考えられる。上肢と体幹の手術件数が増えていたことから,手術技術の向上や患者の機能改善への期待が関与していると思われる。理学療法士として,痙性麻痺に対する整形外科的手術の効果と限界を把握し,日々の臨床に努める必要がある。
著者
大場 弘則 若井田 育夫 平等 拓範
出版者
一般社団法人 日本原子力学会
雑誌
日本原子力学会誌ATOMOΣ (ISSN:18822606)
巻号頁・発行日
vol.62, no.5, pp.263-267, 2020 (Released:2020-11-01)
参考文献数
14
被引用文献数
3

福島第一原子力発電所の廃炉においては,世界でも例のない事故炉からの溶融燃料デブリ等の安全かつ円滑な取り出しが求められている。我々は,事故炉内の高放射線,水中等の過酷環境下において,炉内の燃料デブリ性状把握等サーベイランスが可能な遠隔分析を実現するために,レーザー光およびプラズマ発光を耐放射線性光ファイバーで長距離伝送するレーザー誘起ブレークダウン分光(LIBS)法を提案し,技術開発を進めている。本稿では,光ファイバー伝送LIBS技術を利用して様々な環境下や試料を用いて遠隔迅速その場分析を実証した試験結果,および過酷な環境へのセラミックマイクロチップレーザーを利用した遠隔LIBS分析技術の適用可能性について解説する。
著者
若松 美智子 Michiko Wakamatsu 東京農業大学生物産業学部教養分野所属英米(アイルランド)文学 Field of Humanities Faculty of Bio-Industry Tokyo University of Agriculture
出版者
東京農業大学
雑誌
東京農業大学農学集報 (ISSN:03759202)
巻号頁・発行日
vol.48, no.2, pp.35-40,

『海に駆け行く者』(1902)はシングが最初に手がけた「農民劇」であり,アラン島体験の直接の成果であると同時に,アラン島を舞台とした彼の唯一の劇である。彼は劇の言語として島民の方言を用い,又彼の心を掴んだ島民のいきいきとした言い回しをせりふに取り入れている。さらに彼はプロットの中心に妖精信仰を組み入れている。劇は人物描写,舞台セット,演劇言語等,現実を再現するリアリズムの手法で進行して行く。しかし劇の筋書き,プロットは馬に乗った妖精達が人間を海の下の妖精の国に連れて行くという民衆の想像的世界に依拠している。自然と超自然が絡み合い,人と妖精が作用しあう民衆の物語的想像力の世界に惹き付けられたシングはまた,島の葬儀の独特の儀式に人間的悲惨を超克するための理想的表現形式への洞察を得た。彼は巧みに劇的山場を組み立てることによって,女主人公が,すべての息子を飲み込んでしまった海との生涯にわたっての闘いの人生を語ることによって,徐々に精神の平安を得てゆく様を描く。『海に駆け行く者』は自然と人間の根源的関係,自然の中の死すべき人間の原型的闘いを描いている。女主人公は海に囲まれた小さな島に生きる貧しい老女である。しかし彼女は悲劇的体験を生き抜くことによって女司祭の風格をもつ。すべてを失い,もう失う物が何もなくなった時,彼女は自我としての存在から解放され,偉大な敵であった海そのものの一部となり,彼女の魂は海と融合する。シングは普通の女性の苦しみを通して,悲劇的美の世界を創り上げた。そのことによって彼は,自然の中のすべての生き物が威厳をもつこと,そしてそれは愛の喜びと死の悲しみの激しい感情を生き抜くことから由来するということを示唆したのである。Riders to the Sea (1902), Synge's first peasant drama, proceeds in the manner of realism, yet its story and plot are based on the folk imagination that fairy riders come to take humans to their country under the sea. Riders to the Sea deals with the fundamental relations of man and nature, an archetypical struggle of the mortal living in nature. The heroine is a poor old woman who lost all of her six sons devoured by the sea, but through her life-long tragic experiences she attains the stature of priestess. When she finds herself with nothing to lose any more, she frees herself from being as the ego to become a part of the sea herself ; her mind unites with her great opponent, the sea, finally. SYNGE created a world of tragic beauty through ordinary woman's suffering, and in so doing he suggested that every life in nature has moments of dignity that stem from intense feelings of love and death.
著者
若林 和樹 黒崎 みのり 甲賀 英明 田村 勝
出版者
一般社団法人 日本脳卒中学会
雑誌
脳卒中 (ISSN:09120726)
巻号頁・発行日
vol.30, no.1, pp.55-59, 2008 (Released:2009-04-30)
参考文献数
10

遺残環椎前分節動脈(PPPIA)は胎生期遺残動脈の1つであるが発生頻度が低いものと推定されている。今回我々はPPPIA1型に合併したperimesencephalic nonaneurysmal subarachnoid hemorrhage(PSH)の1例を経験した。症例は61歳男性で突然の頭痛、嘔吐で発症した。頭部CTにて脳幹周囲脳槽に強いくも膜下出血を認め、発症当日の脳血管撮影にて明らかな出血源を認めなかった。第4,14病日に脳血管撮影を再検したが出血源は同定されなかった。その後再出血なく、現在経過観察中である。一般にPSHの予後は良好とされるが、遺残動脈には脳動脈瘤合併の割合が高いとされ、また遅発性に脳動脈瘤新生の報告1)もあるため今後も注意が必要である。
著者
中根 若恵
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.97, pp.5-23, 2017-01-25 (Released:2017-03-03)
参考文献数
28
被引用文献数
1

【要旨】1990年代以降、映画制作者が、自身やその身辺の事柄を主題にするセルフドキュメンタリーの領域に、多くの女性制作者が参入するようになった。これは制作的な側面が男性によって担われることが多かった映画界に大きな変化をもたらした。本稿は、そうした女性のセルフドキュメンタリーの事例として、河瀨直美(1969年-)の作品群に注目し、その特徴と社会的意義を明らかにする。まず第一に、河瀨の作品群にはフィクションとドキュメンタリーの境界を曖昧化するようにして、自らの私生活に焦点を当てるパフォーマティヴな自己表象が一貫した特徴として見られることを指摘する。その上で第二に、そうした自己表象が物質的な身体の提示とも結び付けられながら、慣例的な家族の枠組みを超えた「親密圏」とも呼べる他者との親密な関係の構築過程が示されていることを論じる。最後にこれら2点について、出産をテーマにした2作のドキュメンタリー映画、『垂乳女 Tarachime』(2006年)と『玄牝-げんぴん-』(2010年)を事例に取り上げ、詳細に検討する。こうした考察を通して、河瀨のドキュメンタリー作品群は、一般に女性と結び付けられている行為を敢えてパフォーマティヴに見せながら具体的かつ個別的な他者とのつながりを生み出すことの重要性を見せており、それは、身体というもっとも具体的な自己を起点とした新しい形の親密圏から公共圏へのつながりを見せる点で、自己決定によるオルタナティヴな共同体のあり方を示していると結論づける。
著者
醍醐 元正 中島 信之 般若 裕子
出版者
日本知能情報ファジィ学会
雑誌
日本ファジィ学会誌 (ISSN:0915647X)
巻号頁・発行日
vol.7, no.2, pp.380-389, 1995-04-15
被引用文献数
3

本論文では, 顧客の購買行動について分析し, それを支援する商品購入支援システムの構築について論じる。これは前論文で提案した商品検索システムを発展させて, 顧客の選択に便利な様に, 希望条件を自動的に変更して再検索を行い, 提示物件数を適正な数に調節する機能を持つ様にしたシステムである。また, 応用例「中古車購入支援システム」の試作を行ったので, その紹介も併せて行う。
著者
廣田 泰 上野 恵理子 江口 真嗣 大杉 史彦 若園 博 柳 浩由紀 Beatrix Blume 阿瀬 善也
出版者
日本毒性学会
雑誌
日本トキシコロジー学会学術年会 第34回日本トキシコロジー学会学術年会
巻号頁・発行日
pp.5016, 2007 (Released:2007-06-23)

化合物Aのラットを用いた胚・胎児発生への影響に関する試験では,無眼球,小耳,上下顎の形態異常といった頭部顔面に特徴的な変化が異常胎児の多くに認められ,このほか曲尾や短尾といった尾の異常も認められた.これらの表現形はレチノイン酸の催奇形性と類似している点が多いことから,化合物Aの毒性ターゲット(主薬効とは異なるoff-targetへの作用)として,核内受容体・レチノイン酸レセプター(RAR)に対する作用が考えられた.そこでRARα,β,γを含め26種類のヒト核内受容体に対する作動性をレポーターアッセイにて検討した.その結果,化合物AはヒトRARα,βおよびγに対して弱いながらもアゴニスト活性を有しており,そのEC50値は1.5~5μg/mL(終濃度)であった.RAR以外に催奇形性に繋がり得る核内受容体への作用は認められなかった.また,ラットのRARに対する作用も検討したところ,ヒトRARと同様にアゴニスト活性を有していた.さらに,妊娠ラットに化合物Aの催奇形性発現用量を投与し胎児の血漿中濃度を測定したところ,Cmaxは117μg/mL,AUCは1577μg・h/mLであった.レチノイン酸をラットやマウスに投与すると,小眼球,無眼球,耳介形態異常,上下顎の形態異常,口蓋裂,曲尾,短尾といった化合物Aの催奇形性と類似した催奇形性が認められることが知られている.これらのことから,化合物AではRARアゴニスト作用のEC50値(1.5~5μg/mL)をはるかに上回る濃度が持続的にラット胎児に暴露された結果,催奇形性が発揮されたものと推察された.
著者
佐藤 裕 森 浩一 小泉 敏三 皆川 泰代 田中 章浩 小澤 恵美 若葉 陽子
出版者
The Japan Society of Logopedics and Phoniatrics
雑誌
音声言語医学 (ISSN:00302813)
巻号頁・発行日
vol.47, no.4, pp.384-389, 2006-10-20 (Released:2010-06-22)
参考文献数
31
被引用文献数
4 2

幼児・学童吃音者の音声言語に対する左右聴覚野機能の分化異常について, 多チャネル近赤外分光法を用いて測定した.音刺激には音素の配列もしくは韻律句の異なる対立を用い, 左右それぞれの聴覚野付近にて得られた総ヘモグロビン量の反応ピーク値を基に側化指数を算出し左右差を検討した.その結果, 幼児・学童吃音者群ともに, 最小対語・韻律句対比セッション間で側化指数に有意差がなく, 音素・韻律に対する側性化が見られないことが確認された.個人内の検定では, 音素の処理が左優位と判定できる吃音児は存在せず, 同年齢対照群と有意に異なった.この結果は成人吃音者と同様であり, 吃音と聴覚野の機能異常との関連が示唆され, この異常が3-5歳の吃音児ですでに見られることがわかった.
著者
西園 昌久 高橋 流里子 対馬 節子 松永 智子 福屋 靖子 土屋 滋 大貫 稔 高橋 美智 浅野 ふみぢ 小松崎 房枝 鈴木 小津江 平山 清武 中田 福市 鈴木 信 壁島 あや子 名嘉 幸一 鵜飼 照喜 福永 康継 浪川 昭子 高田 みつ子 岩渕 勉 森脇 浩一 加藤 謙二 早川 邦弘 森岡 信行 津田 司 平野 寛 渡辺 洋一郎 伴 信太郎 木戸 友幸 木下 清二 山田 寛保 福原 俊一 北井 暁子 小泉 俊三 今中 孝信 柏原 貞夫 渡辺 晃 俣野 一郎 村上 穆 柴崎 信吾 加畑 治 西崎 統 大宮 彬男 岩崎 徹也 奥宮 暁子 鈴木 妙 貝森 則子 大橋 ミツ 川井 浩 石川 友衛 加世田 正和 宮澤 多恵子 古賀 知行 西川 眞八 桜井 勇 三宅 史郎 北野 周作 竹洞 勝 北郷 朝衛 橋本 信也 斉藤 宣彦 石田 清 畑尾 正彦 平川 顕名 山本 浩司 庄村 東洋 島田 恒治 前川 喜平 久保 浩一 鈴木 勝 今中 雄一 木内 貴弘 朝倉 由加利 荻原 典和 若松 弘之 石崎 達郎 後藤 敏 田中 智之 小林 泰一郎 宮下 政子 飯田 年保 奥山 尚 中川 米造 永田 勝太郎 池見 酉次郎 村山 良介 河野 友信 Wagner G. S. 伊藤 幸郎 中村 多恵子 内田 玲子 永留 てる子 石原 敏子 河原 照子 石原 満子 平山 正実 中野 康平 鴨下 重彦 大道 久 中村 晃 倉光 秀麿 織畑 秀夫 鈴木 忠 馬渕 原吾 木村 恒人 大地 哲郎 宮崎 保 松嶋 喬 桜田 恵右 西尾 利一 森 忠三 宮森 正 奥野 正孝 江尻 崇 前沢 政次 大川 藤夫 関口 忠司 吉新 通康 岡田 正資 池田 博 釜野 安昭 高畠 由隆 高山 千史 吉村 望 小田 利通 川崎 孝一 堀 原一 山根 至二 小森 亮 小林 建一 田中 直樹 国府田 守雄 高橋 宣胖 島田 甚五郎 丸地 信弘 松田 正己 永井 友二郎 向平 淳 中嶌 義麿 鎮西 忠信 岡田 究 赤澤 淳平 大西 勝也 後藤 淳郎 下浦 範輔 上田 武 川西 正広 山室 隆夫 岡部 保 鳥居 有人 日向野 晃一 田宮 幸一 菅野 二郎 黒川 一郎 恩村 雄太 青木 高志 宮田 亮 高野 純一 藤井 正三 武内 恵輔 南須原 浩一 佐々木 亨 浜向 賢司 本田 麺康 中川 昌一 小松 作蔵 東 匡伸 小野寺 壮吉 土谷 茂樹 岡 国臣 那須 郁夫 有田 清三郎 斎藤 泰一 清水 強 真島 英信 村岡 亮 梅田 典嗣 下条 ゑみ 松枝 啓 林 茂樹 森 一博 星野 恵津夫 正田 良介 黒沢 進 大和 滋 丸山 稔之 織田 敏次 千先 康二 田中 勧 瓜生田 曜造 尾形 利郎 細田 四郎 上田 智 尾島 昭次 大鐘 稔彦 小倉 脩 林 博史 島 澄夫 小池 晃 笹岡 俊邦 磯村 孝二 岩崎 栄 鈴木 荘一 吉崎 正義 平田 耕造
出版者
Japan Society for Medical Education
雑誌
医学教育 (ISSN:03869644)
巻号頁・発行日
vol.15, no.3, pp.145-173, 1984
著者
若林 正丈
出版者
学習院大学東洋文化研究所
雑誌
東洋文化研究 (ISSN:13449850)
巻号頁・発行日
no.5, pp.121-139, 2003-03

It is a well-known fact that identity politics emerged in Taiwan following its political democratization. Competing notions and discourses concerning the identity of Taiwan's polity are vying for political support. This can be better understood in the context of post-war years, when the Taiwall state was reconstructed as a"settler state"(in Ronald Weitzer's term)by the Chinese Nationalist Party(the Kuomintang:KMT). KMT's retreat to Taiwan after its defeat in the Civil War against the Chinese Communists restructured Taiwan's multi-ethnic society by bringing in a new "ethnic"group, the Mainlanders. The Mainlanders or Waishengren (literally people of outer provinces), who fled with the KMT regime to Taiwan, also monopolized the core positions of the settler state. Although this is a widely recognized fact, academic studies concerning this situation and the role of Waishengren in post-war Taiwan remain limited. This study is a preliminary effort to contribute to the existing researches on Waishengren. It first shows that a deep ethnic division between Waishengren and Benshengren (literally people of this province)was formed as a result of Bensh engren's uprising against the KMT-led Taiwan provincial government, on February 28,1947, and the subsequent harsh suppression which claimed between 180,00 and 28,0001ives(the February 28 1ncident). Based on the demographic data of Waishengren, the study then provides a rough picture of the social outlook of Waishengren during the early years of their settlement in Taiwan.