著者
宗像 惠
出版者
神戸大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1990

ピエ-ル・ガッサンディは、古代原子論の復興者として近代科学の成立に貢献すると同時に、古代懐疑論との対決を通して認識論上、実証主義的立場を切り開したことで知られる。他面、彼は人文主義者として、また正統カトリック教会の僧として、近代思想とヨ-ロッパの思想的伝統との調停を図った。本研究の目的は、西洋近代科学の成立の哲学的背景、並びに哲学的意義を、ガッサンディの思想的営為に即して解明することにあった。この研究目的に到題するために、まず、ガッサンディが同時代の思想家達と行った論争を介して、時代の哲学史的・科学史的状況を浮き上がらせることを試みる同時に、古代原子論や懐疑論等の検討を行い、最後に、彼の主著『哲学集成』の検討を、哲学史的・科学史的文脈において行う、という方針を立てた。また、ガッサンディの思想が後代に与えた影響の検討をも併せて行うことにした。以上の研究課題は、短期間で全体的に達成することの困難な、多大なものであったが、デカルトやフラッド等の論争相手との思想の比較、古代原子論者エピクロスの哲学なでに関して、研究を深めることができた。また、ガッサンディ自身の主著の研究も着実に進行中である。未だ論文として発表するには至っていないものの、これらの研究の成果によって、西洋近代哲学全体の流れを展望することが、一段と容易になったと考える。本研究の成果のいわば副産物として、西洋近代哲学の歴史を概観する単行本の計画が現実化しつつあること、また、ガッテンディと並び、形而上学的志向を以て、西洋近代の初めに体系的に自然主義的立場を押し進めたスピノザの倫理政治思想についての研究が進み、発表段階に至っていることを、最後に御報告しておきたい。
著者
盛永 審一郎 加藤 尚武 秋葉 悦子 磯部 哲 今井 道夫 香川 知晶 忽那 敬三 蔵田 伸雄 小出 泰士 児玉 聡 小林 真紀 坂井 昭宏 品川 哲彦 松田 純 山内 廣隆 山本 達 飯田 亘之 水野 俊誠
出版者
富山大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2008

1)20世紀に外延的に同値された神学的-哲学的概念としての「尊厳」と政治的概念としての「権利」は内包的に同一ではないということ。また、「価値」は比較考量可能であるのに対し、「尊厳」は比較考量不可であるということ。2)倫理的に中立であるとされたiPS細胞研究も結局は共犯可能性を逃れ得ないこと、学際的学問としてのバイオエシックスは、生命技術を押し進める装置でしかなかったということ。3)20世紀末に登場した「身体の倫理」と「生-資本主義」の精神の間には何らかの選択的親和関係があるということ。
著者
山田 利明 三浦 国雄 堀池 信夫 福井 文雅 舘野 正美 坂出 祥伸 前田 繁樹
出版者
東洋大学
雑誌
総合研究(A)
巻号頁・発行日
1991

平成3・4年度にわたる研究活動は、主に分担課題に対しての研究発表と、提出された資料の分折・カード化などを行い、分担者全員にそれらのコピーを送付して、更なる研究の深化を図った。それぞれの分担者による成果について記すと、山田は、フランスにおける道教研究の手法について、宗教研究と哲学研究の2方法とに分けて論じ、坂出は、フランスの外交官モーリス・クランの漠籍目録によって、フランスの中国宗教研究の歴史を論じ、舘野は、道家思想にあらわれた時空論のヨーロッパ的解釈を論じ、田中は、中国仏教思想のフランスにおける研究法を分折し、福井は、フランス所在の漠籍文献の蔵所とその内容を明らかにし、さらに、堀池は近安フランスの哲学者の中にある中国思想・宗教の解釈がいかなるものかを分折し、前田は、フランスの宗教学者による宗教研究の方法論を論じ、三浦は、フランスのインド学者フェリオザのヨーガ理解を分折し、宮沢は、フランス発行の『宗教大事典』によって、フランスにおける中国宗教研究の理解を論じた。以上の所論は『成果報告書』に詳しいが、総体的にいえば、フランスの東洋学が宗教に着目したのは、それを社会現象として捉えようとする学問方法から発している。二十世紀初頭からの科学的・論理的学設の展開の中で、多くの研究分野を総合化した形態で中国研究が発達したことが、こうした方法論の基盤となるが、それはまた中国研究の視野の拡大でもあった。本研究は、フランスの中国宗教研究を、以上のように位置づけてみた。つまり、フランスにおける中国宗教の研究についての観点が多岐にわたるのは、その研究法の多様性にあるが、しかしその基盤的な立脚点はいずれも、社会との接点を求めようとするところにある。

1 0 0 0 OA 文芸哲学講座

著者
文芸哲学研究会 編
出版者
小西書店
巻号頁・発行日
vol.第5輯, 1923
著者
千葉 恵
出版者
北海道大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1995

本研究はアリストテレスの「分析論後書」の翻訳と註解からなる。この書物の詳しい説明は『序文』に譲るが、J.バーンズの印象的な表現を借りるなら、「この書物は、いかなる理由にせよ、哲学の歴史のなかで最も優れた、独創的で影響力のある作品のうちのひとつである。それは科学哲学のコースを--また或る程度科学そのもののコースを--千年間にわたり決定した」と形容されるものである。(J.Barnes,Aristotle Posterior Analytics,xiv,Clarendon Press Oxford 1994)今日は科学技術の時代であると言ってよく、生活のすみずみにいたるまで、その恩恵と制約のもとにある。科学そして科学的知識というものが、その起源において、いかなるものとして理解されたかを知ることは、今日の状況を作り上げているものをその源泉から理解し、省察することを促うように思われる。本研究においては「分析論後書」の全翻訳を提示し、註解としては私の「分析論後書」について研究である"Aristotle on Explanation ; Demonstrative Science and Scientific Inquiry Part I,II"(北海道大学文学部紀要 72号、pp.1-110、73号、pp.1-95)の関連箇所を指示する。詳細な註解の執筆は今後の課題としたい。
著者
高木 英至 野村 竜也 杉浦 淳吉 林 直保子 佐藤 敬三 阿部 年晴
出版者
埼玉大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2003

本研究課題の成果は大別して次の4つのカテゴリーに分けることが出来る。第1は、本研究課題で用いた手法、特に計算機シミュレーションの社会科学における位置づけに関する、方法論的ないし哲学的な位置づけである。従来の例を整理しながら、計算機シミュレーションは数理モデルほど厳密ではないものの、柔軟で適用範囲の多い方法であること、特に進化型のシミュレーションに可能性が大きいことを見出した。第2は単純推論型の計算機シミュレーションの結果である。この部類の成果は主に、エージェント世界でのエージェントの分化を扱った。野村は、ハイダー流のPOXシステムのメカニズムを仮定したとき、一定の確率で2極分化した集団構造を得ることを、解析ならびにシミュレーションによる分析で見出している。高木は、限界質量モデルを距離を定義した空間に展開することで、より一般的なモデルを提起している。そのモデルから、エージェント間の影響力の範囲が近隣に限定されるとき、エージェントのクラスタ化や極性化が生じることを見出した。第3は進化型の計算機シミュレーションの成果である。エージェントの戦略が進化するという前提での計算結果を検討し、社会的交換ではエージェントの同類づきあいによって一定の「文化」が生じ得ること、さらに協力のために信頼に基づく協力支持のメカニズム、安心請負人による協力支持のメカニズムが生じ得ることを見出した。第4はゲーミング/シミュレーションの手法に基づく成果である。林らは、人間被験者を用いたシミュレーションにより、地域通貨という公共財が普及するための条件を、ある条件のもとで特定している。杉浦はCross Roadというゲーミングを被験者に行わせることを通して、集団レヴェルの特性が出現する過程の記述に成功した。
著者
倉地 暁美
出版者
広島大学
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2007

米国では多文化教育の研究成果は膨大にあるが、(1)多文化的な感受性(multi-cultural sensitivity)を有し、文化の多様性に柔軟に対応できる教師は極めて少数であり、(2)そうした少数の教員の文化に対する態度がいつ、どこで、何を契機に形成され、周囲のどんなサポートを得てそれを維持し続けているのか、(3)彼らの学生は日本をどのようにイメージし、日本語学習に何を求めているのかを明らかにすることは、日米両国の学術交流やグローバル時代の人材育成・教員養成のあり方を模索する上で有益である。そこで本研究では、前の科研で実施した国内での調査結果を踏まえ、米国の大学で日本語教育に携わる教師に対する民族誌的インタビュー、授業観察、学生への質問紙調査を実施し、(1)文化中心主義に基づく偏見やステレオタイプ形成の危険性を認識し、文化の多様性に柔軟に対応できる教師が、いつ、どこで、何を契機にそのような態度を獲得し、(2)現在どのような職場環境の中でそれを維持しているのか分析した。一方、本研究では、フィールドワークの過程、及び結果分析の段階(調査対象者に対するインタビュー、授業観察、学習者に対する質問紙・面接調査の過程やデータ分析の段階)において、いかに調査者の背景、哲学、価値観が分析・考察に反映しているかをより鮮明にするために、研究協力者と研究者が相互にインタビューを行い、お互いの背景や文化観、価値観がどのようなものであるのか、研究者自身の認知枠や文化観及びその背景を明らかにするための新しい研究手法として「3者間インタビュー」を考案し、その第一段階の施行を試みた。本研究は質的研究におけるより有効な手法を開発・提案すると言う点においても創発的であり、研究領域を超えた新しい研究方法の開発は、学術的にも大きな意味をもつものと考えられる。
著者
加藤 泰史 青山 治城 入江 幸男 大橋 容一郎 篠澤 和久 直江 清隆 舟場 保之 別所 良美 松井 佳子 松田 純 宮島 光志 村松 聡 山内 廣隆 山田 秀 高田 純 RIESSLAND Andreas
出版者
南山大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2007

本研究の研究成果としては、(1)現代価値論の観点から「尊厳」概念を絶対的価値として基礎づけることの可能性と重要性が明らかになったこと、(2)ドイツの「人間の尊厳」理解として義務論的なハーバマスにせよ(人間の尊厳/人間の生命の尊厳)、功利主義的なビルンバッハーにしても(規範的に強い意味での尊厳/規範的に弱い意味での尊厳)、「尊厳」概念は二重構造を持っており、それが一般的に妥当性を持つとして広く受け入れられていること、しかしまた同時に(3)ドイツの「尊厳」理解において身体性を重視する議論が新たに提示され始めており、この点で従来のパラダイムが転換する可能性があること、それに対して(4)日本の「尊厳」概念史がほとんど研究されていないことが判明し、本研究でも研究の一環としてそれに取り組み、一定程度明らかになったが、その根柢には「生命の尊厳」という理解が成立しており、それはきわめて密接に身体性と関連していて、この点で(3)の論点と哲学的に関連づけることが可能であり今後の重要な哲学的課題になること、(5)「人間の尊厳」概念から「人権」概念を基礎づけることの重要性が明らかになったこと、(6)近代ヨーロッパの「尊厳」概念成立に際してヨーロッパの外部からの影響が考えられうることなどを指摘できる。これらの研究成果は、まずは『ドイツ応用倫理学研究』に掲載して公表したが(第2号まで公刊済み)、第一年度の平成19年度以降各年度に開催されたワークショップやシンポジウムの研究発表をもとにして論文集を編纂して差しあたりドイツで公刊予定(たとえば、その内のひとつとして、Gerhard Schonrich/Yasushi Kato (Hgg.), Wurde als Wert, mentis Verlagが編集作業中である)である。そして、これらの論文集の翻訳は日本でも刊行を予定している。また、特に(4)に関しては、加藤/松井がこの研究プロジェクトを代表してドイツのビーレフェルト大学で開催されたワークショップ「尊厳-経験的・文化的・規範的次元」において「Bioethics in modern Japan: The case for “Dignity of life"」というテーマで研究発表した。さらに研究成果の一部は最終年度の平成22年度の終わりにNHK文化センター名古屋教室の協力を得て市民講座「現代倫理・「人間の尊厳」を考える」で江湖に還元することもできた。
著者
森 英樹
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶應義塾大学日吉紀要. フランス語フランス文学
巻号頁・発行日
no.36, pp.1-34, 2003-03

1フランス文学と漢文学との出会い(その八)クロ.___デルと "タオ"森英樹第一章 フランスのカトリック詩人・劇作家ポール・クローデル(1868-1955)は、その26歳から41歳にかけて外交官として赴任した中国に前後三度にわたって滞在した。一度目の滞在は1895年7月から1899年10月にかけて(上海領事代理、福州及び漢口副領事館事務代理、福州副領事)、二度目は1900年末から1905年2月にかけて(福州及び天津領事など)、そして三度目は1906年5月から1909年8月にかけてであった(北京公使館一等書記官、天津領事)。 かれはその随想集『接触と環境』(《Contacts et circonstances》)中のエッセー(→「中国のこと」)においてみずから言う。わたしはその生涯の15年間を中国で過ごした。老いた西太后や光緒帝に謁見したこともある。行進する袁世凱の姿を見かけたこともある。また孫文は知己のひとりであった。わたしは中国と中国の人々とをこよなく愛した。ここにおいて見聞し身近に接触し体験するさまざまの事象がほとんど自分の嗜好に乖くものではない。あらゆる種族や風習や臭気が活気に満ちて渦巻き、沸騰し、共生しているこの国のなかにあって、わたしはみずから水中の魚のごとくに感じていた。中国の人々はわたしにとっていわば"異郷にある同じ神の子ら"(nOSfrére séparés)のように思われた、と(1926年,OEv.en prose.P.1020sqq.)。2 クローデルが中国と初めて接触したのは、かれが21歳のおり1889年のパリ万博において安南の芝居を見たのがそれであったという。文学的方面について言えば、エルヴェ・ド・サン・ドニの仏訳『唐代詩集』(→拙稿NO29et NO30)の存在は無論知っていた。知ってはいたがこれを読み通したらしい明瞭な痕跡は見出せないから、実は披読しなかったのかも知れない。『クローデルと中国的世界』の著者G・ガドッフルもまたクローデルはデルヴェを読んでいないと断定している。 ジュディット・ゴーチェの可憐な『白玉詩書』(一拙稿N・34et 35)は、クローデルはこれを福州時代に携帯しておりみずからその幾首かを翻案した(→《Autres poëmes d'aprés le chinois》)。その2年後に出た翻案詩集(一《Petit poëmes d'aprés le chinois》)は、 Tsen Tsong-mingなる中国人が出版した《唐代絶句百選》なるいささか怪しげな仏訳詩集を種本にしたもので、英訳と仏訳が並記されている。この英訳はクローデル自身のものなのか、それとも余人のものなるか判明でない。アーサー・ウエリーの『中国詩百七十首』は1918年に出ているが、クローデルはこの英訳をも読んでいないとガドッフルは言っている 魅惑的な形象と構成の哲学をもつ漢字については、レオン・ヴィジェルの著書に啓発されながら、『西洋の表意文字』を書いている。これはS.マラルメの『英語の単語』に比較されるべき、単語をめぐる詩的想像と類推を展開させたエッセーである。 ちなみに『史記』を翻訳し、「T'oung Pao」の主幹となり、当時のヨーロッパのシノロジーに君臨して名声の高かったE・シャバンヌ(→拙稿N・29.p.87)はクローデルとはルイ・ル・グラン校の仲間であったが、そうした一連のシノロジストの著作のいずれかをクローデルがとくに精読したという形跡も明らかではない。 クローデルと中国との関わりにおいて顕著な事件は、文学的方面よりは
著者
伊原木 大祐
出版者
同志社大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2006

今年度は、初年度の研究から得られた成果をもとに、本研究全体の核心をなす「受肉」概念の哲学的解明に着手する段階として位置づけられる。具体的な成果は以下のとおりである。1、後期アンリによるキリスト教論の基本的な方向性を把握すべく、レヴィナスとの違いを強く意識しながら、情感性の概念に立脚した「法」批判の意義を検討した(「生の現象学による法の批判」、雑誌『理想』に掲載予定)。アンリは、いわば「ユダヤ-カント的なもの」(リオタール)への批判的立場をヘーゲルやシェーラーと共有しているが、スピノザ哲学に想を得つつ、その立揚をいっそうラディカルな内在思想によって先鋭化している。この着眼のおかげで、レヴィナス思想との錯綜した関係もかなりはっきりと捉えられるようになった。2、アンリによる受肉概念は、エロス的関係における欲望の「挫折」という問題を踏み台にして成立している。サルトル受肉論との対比によって、逆にアンリの独自性が明確になってきた。また、前年度にレヴィナスの生殖論を「生の現象学」によって基礎づける可能性を示唆したが、レヴィナスが十分に扱いえなかった「胎児」の哲学的ステイタスという問題に関して、それを極めて特殊な「有機的抵抗」の経験として厳密に内在的な観点から再理解する方途が探求された。これは、パーソン論とは大きく異なる生命倫理学的な視野を切り開くものである。3、本年度の研究目標の一つとしていた「共同体と個体の関係」の解明からは、「種的社会の展開」および「擬態としての現象」(来年度発表予定)という二つの副産物が生まれた。いずれの論考も、現代フランス現象学に固有の考え方と深い親近性をもった分析となっている。
著者
勝西 良典 中谷 常二
出版者
上智大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2007

3年間の研究のなかで、ビジネス倫理の教科書を出版し、アメリカの主要な研究書を翻訳し、カントの実践哲学のもつ形式主義がかえってビジネスと倫理の関係にかんする多様なモデルを提供することが示された。また、経営学者と哲学・倫理学者と実務家の交流、および日米独の研究者の交流が確立された。その理論的成果の一端は2010年8月出版予定の書物で公表される。また、実際的活動としては、経営倫理実践研究センターにおいてホールディングス形式の企業形態における共通の規範の醸成法等の各論において継続される。
著者
杉浦 秀一 山田 吉二郎 根村 亮 下里 俊行 兎内 勇津流 貝澤 哉 北見 諭 坂庭 淳史 川名 隆史 室井 禎之 渡辺 圭 今仁 直人 堀越 しげ子 堀江 広行 斎藤 祥平 山本 健三
出版者
北海道大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2010-04-01

本研究の目的は、ロシア・プラトニズムという観点から19-20世紀のロシアの文化史の流れを再構築することである。本研究では20世紀初頭の宗教哲学思想家たちを分析し、彼らが西欧で主流の実証主義への対抗的思潮に大きな関心を向けていたこと、また19世紀後半のソロヴィヨフの理念はロシア・プラトニズムの形成に影響を及ぼしたが、彼以前の19世紀前半にもプラトニズム受容の十分な前史があったことを明らかにした。したがってロシア・プラトニズムという問題枠組みは、従来の19-20世紀のロシア思想史の図式では整合的に理解し難かった諸思想の意義を理解し、ロシア文化史を再構築するための重要な導きの糸であることを確認した。
著者
神林 恒道 渡辺 裕 上倉 庸敬 大橋 良介 三浦 信一郎 森谷 宇一 木村 和実 高梨 友宏
出版者
大阪大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
1995

この「三つの世紀末」という基盤研究のタイトルから連想されるのは、十九世紀末の、いわゆる「世紀末」と呼ばれた時代の暗く停滞したム-ドかもしれない。われわれはいままさに「二十世紀末」を生きている。そこからややもすれば「世紀末」という言葉に引きずられて、われわれの時代をこれと同調させてしまうところがあるのではなかろうか。しかしまた実際に、六十年代頃から現在に及ぶ芸術の動きを見やるとき、そこには芸術それ自体としてもはや新たなものは生み出しえない一種の先詰まりの状況が指摘されもする。といってかつての「世紀末」のような暗さはあまり感じられない。ダント-の「プル-ラリズム」、つまり「何でもあり」という言葉が端的に示すように、その気分は案外あっけらかんとしたものだと言えなくもない。今日の「何でもあり」の情況の反対の極に位置づけられるものが、かつて「ポスト・モダン」という視点から反省的に眺められた「芸術のモダニズム」の展開であろう。ところで「ポスト・モダン」という言い方は、いってみれば形容矛盾である。なぜならばmodernの本来の語義であるmodoとは、「現在、ただ今」を意味するものだからである。形容矛盾でないとすれば、この言葉のよって立つ視点は、「モダン(近代)」を過ぎ去ったひとつの歴史的時代として捉えているということになる。それでは過去にさかのぼって、いったいどこに「芸術における近代」の始まりなり起点を求めたらよいのだろうか。そこから浮かび上がってくるのが、「十八世紀末」のロマン主義と呼ばれた芸術の動向である。ロマン主義者たちが掲げた理念として、「新しい神話」の創造というものがある。そこにはエポックメイキングな時代として自覚された「近代」に相応しい芸術の創造へ向けての期待が込められている。この時代の気分は、「世紀末」の暗さとは対照的であるとも言える。つまりこの「三つの世紀末」という比較研究を貫く全体的テーマは、「芸術における近代」」の意味の問い直しにあったのである。
著者
小野 文生
出版者
京都大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2007

本研究の目的は、ドイツ・ロマン主義、W・ベンヤミン、J・デリダという3つの定点を設定し、これらの視角から人間の生成・変容のメカニズムとしての「ミメーシス概念」を分析すること、そして、このミメーシスという技法にかかわる思想を軸とした教育思想史を再構成しながら、新たな学習論・伝承技法を構想していくための思想的・哲学的基盤を提示することであった。当初の予定に従い、本年度は特にドイツ・ロマン主義とユダヤ思想の関連に着目しながら文献の蒐集・読解・分析を行い、神秘主義、聖書学、世紀転換期の政治神学にかかわる研究に重点をおいて進めた。具体的には、ドイツ・ロマン主義の中のユダヤ思想の影響に関して思想史的観点から文献調査し、またベンヤミンとデリダ哲学的試みに見られる神学的問題やミメーシス概念の読解・分析や彼らとかかわりのある思想(ショーレムとブーバー)について分析を加えた。また、ミメーシスの多様な側面について分析を加えるために、人類学など学際的領域における象徴や儀礼に関する研究到達点を調査・分析し、整理した。さらにドイツ短期滞在により、ドイツでの受入予定研究者だったCh・ヴルフ教授(ベルリン自由大学)と意見交換・指導を受けた。また、ヴルフ教授の共同プロジェクト「パフォーマティヴなものの諸文化」の研究員と意見交換し、国際シンポジウムに参加することで学際的・国際的なミメーシス研究の最前線を調査した。なお、年度途中での就職により以後の研究を辞退したため、全体の研究は計画通り完遂しなかった。特に18世紀のロマン主義に関する分析が比較的手薄になってしまったこと、またベンヤミンやデリダの思想が生まれてきた背景について、ミメーシスの認知科学的・心理学的側面における知の布置の変容にかんする分析は必ずしも十分に検討することができなかったことなどが課題として残された。個人的に研究自体は継続し、別の機会に論じたい。
著者
渋谷 治美
出版者
埼玉大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2003

研究期間中に、フィヒテ『1794年の知識学』、シェリング『人間的自由の本質』、ヘーゲル『大論理学』を精読した。本研究の狙いとして、これら三人の哲学思想の底流にスピノザ、カントとの関連を探り、それがそれぞれの自由論、価値論にどのような影響を及ぼしているか、スピノザを経てカントが直面した価値ニヒリズムを彼らがどのように受け止め処理したか、を探るつもりであった。この観点からすると、率直に言ってこの三年間の研究の到達点は、期待にはほど遠いものであった。まずフィヒテのこのテキストには価値ニヒリズムに関連するような記述が断片としてすら見いだすことができなかった。フィヒテの他の時事的な文献からそのようなニュアンスを読み取っていたので、この点は意外かつ落胆した。次にシェリングについていえば、このテキストは結局は価値ニヒリズムの回避の試みであるといえるとは思うが、スピノザ、カントとの関係を匂わす文脈をここに発見することができなかった。最後にヘーゲルのこのテキストは聞きしに勝る難解な書で、意味を追うだけでも辛酸を極めた。しかも価値論に関係しそうな論述を見いだすことができなかった。ということで、本研究の主題的仮説は間違っていないと思うが、今回は選んだテキストが適切でなかったと反省している。反面、副次的な成果は多々あった。まず、フィヒテは思ったほどにはカントの「純粋統覚の外界への自己実現」論を真正面から受け止めていないこと、逆にヘーゲルの弁証法はフィヒテの論理展開の仕方と紙一重であること、シェリングの神論は単純なキリスト教護神論とはいいきれないこと、ヘーゲルは『大論理学』の概念論への導入の箇所でスピノザを高く評価しており、またカントについて随所で適切な批評を下していること、を発見したことは大きな成果であった。というわけで、「ドイツ観念論と価値ニヒリズムの問題」という研究テーマでの仕事は、私にとって仕切り直しとなった。今後中長期的に探求していきたい。