著者
中川 武夫 小野 雄一郎 久永 直見 岩田 全充 柴田 英治 金田 誠一 小林 章雄 鷲見 勝博 森谷 光夫 森 正樹
出版者
The Japanese Society for Hygiene
雑誌
日本衛生学雑誌 (ISSN:00215082)
巻号頁・発行日
vol.43, no.3, pp.724-735, 1988-08-15 (Released:2009-02-17)
参考文献数
22
被引用文献数
1 1

We examined the relationship between muscle injection of drugs into the quadriceps and its contracture.Subjects were children who had received medication at a clinic during the period from January 1967 to December 1970. Among the patients of the clinic, a high incidence of quadriceps contracture had been observed during the period.As basic data, we took the results of interviews with the subjects, the results of clinical examinations for quadriceps contracture, and medical records of the subjects which had been kept in the clinic.The following results were obtained.1) There were no abnormalities among the subjects who had never been injected in the quadriceps muscle. The incidence and the severity of quadriceps contracture were closely related to the total amount of the drugs injected into the muscles.2) The total numbers of injections of the following drugs were significantly larger in subjects with symptoms of contracture than in subjects without any symptoms.The drugs were Terramycin (Ox-tetracycline), Obelon (Sulpyrin, Aminopropyrin, Theoclate diphenyl pyralin), Chloromycetinsol (Chloramphenicol), Atarax-P (Hydroxyzin hydrochloride), Gammavenin (immuno-Globlin), Panvitan (Vitamin A-D), 10%-Pantocin (Pantethine) and Phenobarbital (Phenobarbital natrium).3) It was revealed by means of quantification theory type II analysis that the main attributable factors of muscle contracture might be the age when the subjects had been injected for the first time, the total number of Terramycin+Obelon injections, and the experience of injection of 10% Pantocin or Phenobarbital, but sex and the year of the beginning of injection might be ignored.Discrimination based on these results between the two groups, a normal group and a moderate or more severe symptomatic group showed reasonable sensitivity and specificity.
著者
上野 貴弘 森 慎太郎 大橋 正良
雑誌
第81回全国大会講演論文集
巻号頁・発行日
vol.2019, no.1, pp.129-130, 2019-02-28

情報化社会の発展によって,携帯電話,PCなどのメディアデバイスが広く行き渡っている.それに伴い, twitterやLINE等ソーシャルメディアを利用して誹謗中傷が行われるなど,メディアリテラシーの問題が発生している. 本研究ではソーシャルメディアにおける書き込みをもとに,嫉妬感情の表現の検出を試みる.提案方式は,あらかじめ嫉妬感情だと判断した言葉を設定し,Pythonを用いてソーシャルメディアの書き込みから抽出するものである。抽出データから書き込みが嫉妬感情に基づいているか,その妥当性を判定する.
著者
久保田 紀久枝 勝見 優子 黒林 淑子 森光 康次郎
出版者
一般社団法人 日本家政学会
雑誌
一般社団法人日本家政学会研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.58, pp.160, 2006

目的 セルリアク(Apium graveolens var. rapaceum)はセロリの変種で、ヨーロッパでサラダやスープなどによく利用されている。生ではセロリ様の風味を呈するが、加熱すると甘く香ばしいにおいとなる。本研究では、生および煮熟セルリアクの香気特性および主な香気寄与成分について明らかにすることを目的とする。方法 セルリアクの皮をむき2等分した後、細断後水とともにミキサーでホモジナイズし、一方は1h静置、他方は1h沸騰加熱した。遠心分離により上澄液を得、Porapak Qを充填したカラムにて香気成分を捕集した。有機溶媒で脱着・濃縮した画分をさらに高真空蒸留法により香気濃縮物を得、GC, GC-MS, GC-Olfactometryにより分析した。また、生と煮熟セルリアクのにおい特性を官能評価法により比較した。結果 官能評価の結果、セルリアクは煮熟するとみずみずしい青臭いにおいからキャラメル様の甘さや煮た野菜の甘さを感じさせ、まろやかさと深みのあるにおいになると評価された。香気成分組成を見ると、セロリ様の香りを有するフタライド類が生と煮熟いずれにおいても主成分であった。その他、生には青臭い香りを有するβ_-_ピネンなどのテルペン炭化水素類が多いのに対し、煮熟したものにはフラネオール、バニリン、マルトール、ソトロンなど甘い香りに寄与する成分の生成が認められた。さらに、クローブ様のスパイシーなにおいをもつ2-メトキシ-4-ビニルフェノールの顕著な生成が認められ、これらが官能評価で煮熟セルリアクが甘みや深みのあるにおいと評価された特徴香気に寄与していると考察された。
著者
山下 広美 金行 孝雄 西江 知子 辻岡 智子 伊月 あい 木本 眞順美 比江森 美樹 辻 英明
出版者
一般社団法人 日本家政学会
雑誌
一般社団法人日本家政学会研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.55, pp.155, 2003

[目的] 持続的運動の最中、肝臓では脂肪酸のβ-酸化が盛んに行われ、著量のケトン体が生成される。ケトン体は血中に放出されると筋肉組織に取り込まれ、ミトコンドリア内で酸化分解を受けてエネルギーに変換される。持続的な運動を継続すると持久性は向上するが、演者らは、肝外組織のケトン体利用活性増大にその一因があると考えた。本研究では約1ヶ月の持久性トレーニングをラットに施し、その筋肉のケトン体利用活性について調べた。[方法] 4週齢の雄ラットに電動回転カゴを用いて速度17.7m/min での運動を毎日1時間課し、約1ヶ月間継続した。実験期間中の体重および摂食量を記録した。運動群および運動をさせなかった対照群のラット3匹ずつを解剖し、肝臓、心臓および骨格筋からミトコンドリアを単離した。単離したミトコンドリアについて、β-ヒドロキシ酪酸を基質とした呼吸活性およびβ-ヒドロキシ酪酸脱水素酵素(HBD)活性を測定した。さらにHBD遺伝子の発現を調べるために各組織からRNAを抽出しノザンブロットを行った。[結果] 運動群ラットにおける心臓ミトコンドリアの呼吸活性は、対照群と比較して有意に増加していた。肝臓、心臓および骨格筋ミトコンドリアの HBD活性を比較すると、心臓および骨格筋における本酵素活性は運動群で増加していたのに対して肝臓では変化していなかった。心臓および骨格筋ではケトン体利用活性が上昇していることが示唆された。各組織におけるノザンブロット解析の結果、心臓において本酵素遺伝子の発現が有意に増加していた。
著者
森川 茂廣 来見 良誠 仲 成幸 塩見 尚礼 村山 浩之 村上 耕一郎 Hasnine A. Haque 犬伏 俊郎 谷 徹
出版者
特定非営利活動法人 Microwave Surgery研究会
雑誌
Journal of Microwave Surgery (ISSN:09177728)
巻号頁・発行日
no.29, pp.33-38, 2011

We started microwave ablation therapy of liver tumors under MR image guidance with an open configuration MR scanner. The combination of these two was quite feasible. At the beginning, preparations of MR compatible electrodes and a noise-eliminating filter were required. After the measurements against the noise, microwave irradiation did not disturb MR images and temperature changes could be monitored using MR temperature maps, which were useful for the real-time evaluation of therapeutic effects. In addition, MR temperature maps could be used to investigate the condition of microwave ablation with newly developed instruments and applications. The encounter of microwave ablation with MR imaging made a breakthrough in the image-guided minimally invasive therapy. Further developments of new technologies for therapeutic procedures are expected from this combination.
著者
中森 義輝
出版者
横断型基幹科学技術研究団体連合(横幹連合)
雑誌
横幹連合コンファレンス予稿集 第4回横幹連合コンファレンス
巻号頁・発行日
pp.42, 2011 (Released:2012-03-14)

知識科学は問題解決型の学際的学問分野であって、知識創造プロセスのモデリングとその応用を中心として、知識マネジメント、技術マネジメント、知識発見、知識の総合と創造、イノベーション理論などの研究教育によって、より良い知識基盤社会の構築を目指している。本発表では、知識科学におけるいくつかの重要な概念(知識テクノロジー、知識マネジメント、知識発見、知識総合化、知識正当化、知識構成など)を振り返り、システム科学の視点から知識科学の再考を試み、開発中の知識構成システム論について紹介する。
著者
吉村 良之介 貫野 徹 藤山 進 門奈 丈之 山本 祐夫 西平 守也 森田 次郎部衛
出版者
一般社団法人 日本肝臓学会
雑誌
肝臓 (ISSN:04514203)
巻号頁・発行日
vol.20, no.10, pp.1089-1093, 1979-10-25 (Released:2009-07-09)
参考文献数
19
被引用文献数
1

32歳の男性で大量飲酒後サウナに入浴し,血圧低下,意識障害と第II度の火傷のため入院した.入院後肝性昏睡IV度となり出血傾向が出現した.hematcrit値の上昇,白血球数増多,Transaminase値の著高,prealbuminの減少を認め,凝血学的検査では,血小板数,fibrinogenは著減し,FDP, SDPS testは陽性を呈した.血清遊離アミノ酸総量は正常人の約3倍に増加し,分画では,Glutamine, Phenylalanineなどは増加し,Valineは減少し,急性肝不全時に認められるアミノ酸パターンに類似した.死亡直後の肝組織像は肝小葉内にびまん性に肝細胞の好酸性凝固壊死な呈した.以上の点より,本症例の発生機序は,飲酒後のサウナ入浴が契機となり,脱水,血液濃縮と,末梢循環不全が相俟って,急性肝不全とDICを併発したと考えられた.
著者
辻 量平 杉原 奈津子 寺林 大史 森腰 恵 大下 裕夫 天岡 望 種村 廣巳
出版者
東海北陸理学療法学術大会
雑誌
東海北陸理学療法学術大会誌
巻号頁・発行日
vol.28, 2012

<b>【目的】 </b>がん患者に対するリハビリテーション(以下リハ)は多くの施設で提供され、がん拠点病院や緩和ケア病床、ホスピスでの活動も活発である。当院のような施設基準を有さない民間病院であっても、がん拠点病院の指導を受けながら、がん緩和ケアについてより質の高い医療とケアを提供できるかを模索することは大変重要なことである。今回、術中に腹膜播種などが確認できバイパスのみとなった切除不能がん患者に対し、周術期リハチームの方から、緩和ケアチームに対し予後も含めた情報提供を行い、周術期リハチームと緩和ケアチームがともに早期介入ができ、良好なかたちで在宅へ移行できた症例を経験したので、当院の今後の方針も含めて報告する。なお、ご本人・ご家族に本件の主旨を口頭および当院所定の文書で説明し、署名による同意を得た上で病院長の許可も頂いた。<br><b>【方法】 </b>症例は86歳男性。入院1か月前に食欲不振、嘔吐で近医受診し、当院紹介され、胃前庭部癌と診断され手術となった。手術1週間前のカンファランスにて手術方針や告知状況など情報を共有した。術前リハビリにより患者とのコミュニケーションを図り、患者が早い時期に在宅への移行を希望していることを知った。開腹の結果、腹膜播種が確認できたため、胃切除不能、胃空腸吻合に終わった。予後は3~6ヶ月との情報を得た。手術翌日に緩和ケアチームの早期介入を依頼した。<br><b>【結果】 </b>緩和ケアチームの早期介入によって術後の苦痛緩和が図れ、周術期リハは効果的に進んだ。術後の食欲不振、摂食障害は緩和ケアチームの一員である管理栄養士による食事相談や内容変更により術後第14病日には全量摂取可能となった。患者からの在宅復帰への強い希望もあり周術期リハの実施と緩和ケアチームとの連携により、高齢でしかも切除不能胃癌患者の術後としては比較的早い術後26病日に退院できた。なお地域連携の看護師やMSWによって術後19病日から退院や退院後調整が行われた。<br><b>【考察】 </b>当院では平成22年11月より緩和ケアチームが発足し、医師、看護師、薬剤師、管理栄養士、MSW、訪問看護師、理学療法士、作業療法士で構成されている。このような施設は少なくなく、がん緩和医療への質の高いリハの需要は高まっている。今回、進行胃癌患者に対し、術前からのリハを通してコミュニケーションがとれたこと、周術期に手術情報、予後情報、その他の患者情報をがん緩和ケアに携わる他職種と理学療法士とで共有でき、余命短い本患者が求める在宅へという希望を実現するため、早い時期から多職種が同じベクトルでそれぞれの専門職としての役割を果たすことで、患者の希望である早期在宅へ誘導でき、ひいては患者のQOLに益したものと考えられる。このような進行がん患者をケアするにあたり、それぞれの専門職でのチーム医療がいかに重要であるか痛感させられた1症例である。今後も本症例での経験を生かし、がん治療の早期から多職種が情報を共有することで、患者のQOLを高める実績づくりを行っていきたい。
著者
田森 雅一
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.35, no.4, pp.583-615, 2011

本稿は,今日の北インド古典音楽(ヒンドゥスターニー音楽)に特徴的な音楽流派であり社会組織であるガラーナーと,その概念形成に影響を及ぼしていると考えられる英領インド帝国下での"カースト統計"(国勢調査)と"ナウチ関連問題"(踊り子とその伴奏者に対する蔑視)に注目し,今日の音楽家たちの社会音楽的アイデンティティ形成について探求しようとする人類学的・社会歴史的な研究である。 ヒンドゥスターニー音楽の最終目標はラーガの表現にあると言っても過言ではない。そして,ヒンドゥスターニー音楽におけるラーガの即興演奏で最終的に問われるのは,音楽家個人の理解力・創造力・表現力,そして演奏技術であることは間違いないだろう。しかし音楽家自身が様々な形式の談話において強調するのは個人の演奏技術や熟練度よりも,むしろガラーナーの伝統と権威である。 ガラーナーは,声楽・器楽・舞踊ごとに複数の存在が知られているが,音楽家たちがガラーナーという概念を用いて自分たちを語るようになったのは,20世紀に入ってからのことであると考えられる。今日,大都市に住むサロードやシタールなどの弦楽器の主奏者に,自分たちのガラーナーをたずねると,その「名乗り」として,セーニー・ガラーナーが主張される傾向にある一方,他のガラーナーに対する「名付け」としてミーラースィーというカテゴリーが用いられることもある。セーニーとはムガル帝国第3 代皇帝アクバル(在位1556–1605)の九宝の1 つに数えられた伝説的宮廷楽師ミヤーン・ターンセーンの名にちなむもので,セーニー・ガラーナーとは彼の子孫であるセーニヤーとその弟子筋のことをさす。一方,ガラーナー以前の楽師のカテゴリーとして,カラーワント,カッワーリー,ダーディー,ミーラースィーの4 つがあったとされるが,ムガル帝国期の宮廷音楽に関する資料にはミーラースィーというカテゴリーは見当たらない。本稿では,英領インド帝国下のカースト統計において「結晶化」されたと考えられるミーラースィーというカテゴリーと,彼らが「踊り子」の伴奏者として売春と結び付けられるに至ったプロセスに焦点を当てる。 本稿においては,最初に,今日を生きる音楽家の"われわれ"と"彼ら"についてのガラーナーの語りに現われる社会音楽的カテゴリーを抽出する。次に,それらの語りやカテゴリーがインドの文化社会史とどのように接合されているのかを検証する。そして英領インド帝国期における"カースト統計"と"ナウチ関連問題"の余波が今日の音楽家の再帰的なアイデンティティ形成,すなわちセーニヤーとの結びつきを主張する一方でミーラースィーというカーストとの関係を排除しようとするガラーナーの社会音楽的アイデンティティの構築に,いかなる影響を及ぼしているのかを探求する。This paper is an attempt at an anthropological and socio-historical studythat examines how musicians in modern India have been building their sociomusicalidentity on the concept of gharānā, which is a characteristic schooland social organization in the world of north Indian classical music (Hindustanimusic). It focuses on how the caste-based census and nautch-related issues,i.e. looking down on musicians who accompanied nautch/dancing girls, inBritish-ruled India have impacted the identification of musicians today.It is not an exaggeration to say that the ultimate aim of Indian classicalmusic is its delineation of rāga. In the performance of rāga in Hindustanimusic, the personal understanding, imagination, expression and technique ofthe performer are of course important, but a musician never fails to stress theimportance of the authority and authenticity of his gharānā.There have been multiple gharānās in each genre, i.e. vocal, instrumentaland dance, of Hindustani music. The particular point is the connection betweenthe oral narratives of musicians about "themselves" and "others" and the relevanthistory. It was from the 20th century that Hindustani musicians in thelarger cities started talking about "themselves" by utilizing the concept ofgharānā with Seniyā, and about "others" as Mīrāsī in some cases. Seniyāswere the descendants of Miyan Tansen, who was one of the nine jewels andthe legendary most accomplished musician in the court of Akbar (reign.1556–1605), the third Mughal Emperor. In this paper, the term Seniyā refers to thedirect descendants of Tansen, and Seni-gharānā is used for the groups, includingdisciples, who do not have a blood relationship with Seniyās. It is thoughtthat there were four socio-musical categories of musicians, Kalāwant,Qawwāl, Ḍhāḍhi and Mīrāsī, before the concept of gharānā became common.The head musician of the Kalāwant at the Mughal court was Miyan Tansen.On the other hand, it is hard to find any mention of the category of Mīrāsī ascourt musician in the materials of the Mughal period. This paper focuses onthe Mīrāsī that were considered to be crystallized in the caste-based census ofBritish-ruled India and the process by which they came to be generallyregarded as accompanists and assistants of nautch/dancing girls, i.e. prostitutes.This paper first extracts the socio-musical categories from the oral narrativesof contemporary musicians about their own gharānās and the others.And next it examines how those narratives and categories connect withthe socio-cultural history of India. Finally, it makes clear how the caste-basedcensus and the aftermath of nautch-related issues have impacted the reflexiveidentification of musicians today, and how gharānā as a socio-musical identityin Hindustani music became involved with Seniyā and why the Hindustanimusicians are trying to eliminate the connection with Mīrāsī as a caste.
著者
田森 雅一
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.28, no.3, pp.377-418, 2004

本稿は,北インド古典音楽に特徴的な社会音楽的組織であるガラーナー(gharānā)の考察を通して,社会/共同体とその音楽文化との関係を探究しようとする社会人類学的試みである。本稿において問題とするのはガラーナー形成期におけるサロード・ガラーナーの婚姻関係と師弟関係の相関であり,ポスト形成期におけるこの二つの社会関係の変化が「音楽財産」の伝承に与えた影響である。 サロードはシタールと並び,北インド古典音楽を代表する弦楽器の一つであり,今日4 つのガラーナーが認められる。これらガラーナーの中核的家系あるいは家族はすべてムスリムで,このうち3 つのガラーナーの子孫は自分たちのルーツをムガル帝国期にアフガニスタンから北インドにやってきた軍楽家あるいはパターン人軍隊と結びつく馬商に求めている。彼らの流祖は,アクバルの伝説的宮廷楽師であったミヤーン・ターンセーンの子孫で音楽的権威となっていたセーニヤーからラーガ音楽を学び,サロードの演奏スタイルを別個に確立した。ある音楽集団がガラーナーと呼ばれるためには,この独特の演奏スタイルの源泉となる音楽財産が父から息子,師匠から弟子へと3 代に渡って受け継がれる必要があった。本稿では19 世紀中葉からインド独立に至る英領インド帝国期と重なるこの時代をガラーナーの形成期と呼び,インド独立から今日に至る時代をガラーナーのポスト形成期と呼んで区別する。 本稿においては,最初に秘匿の対象となった音楽的知識および音楽財産の内容,そして伝承形態について素描する。次にサロード・ガラーナーの起源と系譜および婚姻関係と師弟関係について把握する。そして最終的に,ガラーナーの形成期においては内婚関係と師弟関係の二重の結びつきの中で音楽財産が管理・伝承される一方,ポスト形成期においてはこの二つの社会関係の間に相関関係がほとんど見られないことが明らかになる。このような社会関係の変化は近代インドにおけるマクロな社会文化的システムの変化と対応しており,音楽財産の伝承形態とガラーナーの盛衰に大きな影響をもたらしたと考えられる。This paper is an attempt at a social anthropological study that takes intoaccount the relationship between a society/community and its music cultureby analyzing a characteristic socio-musical organization, the gharānā of NorthIndian (Hindustāni) classical music. The particular point is the correlationbetween the marriage relationship and the guru-shisya paramparā (masterdisciplerelationship) in the Sarod Gharānā during the formation period ofgharānās, and the effect of changes in these social relationships on the transmissionof musical property during the post-formation period.The Sarod is one of the most popular stringed instruments together withthe Sitar in Hindustāni Classical Music, and there are four major gharānāsin the Sarod arena today. The core lineages or families of these gharānās areall Muslim and the representatives of three of the gharānās claim to be thedescendants of an army-musician or horse-trader connected with Pathan soldierscoming from Afghanistan during the Mughal period. The founders ofeach gharānā became disciples of musical authorities ie, seniyās originatingin the legendary musician Miyān Tānsen of the court of Akbar (1542–1605).They learned traditional rāga music, and developed particular playing styleson the Sarod. Musical property as the source of stylized playing tradition wascarried down from father to son, master to disciple for at least three successivegenerations before establishing its credentials as a gharānā. This paperdefines this period from the mid-19th century to independence, falling underthe British colonial period, as the formation period of gharānās and the modernperiod after independence to today as the post-formation period of gharānās.This paper first explains the content of the secret knowledge of musicand musical property, and then deals with the system of its hereditary transfer.Next it examines their origin and the lineage of Sarod gharānās. Finally,it makes clear that musical property was transmitted under a combination ofintermarriage and master-disciple relationships during the formation period,but that there is no such correlation to be found during the post-formationperiod. This transformation of social relationships, corresponding to a changein the larger socio-cultural system in modern India, has affected the transmissionof musical property and is responsible for the vicissitudes of gharānās.
著者
富山 一 菅田 誠治 森野 悠 早崎 将光 小熊 宏之 井手 玲子 日下 博幸 高見 昭憲 田邊 潔 茶谷 聡 小林 伸治 藤谷 雄二 古山 昭子 佐藤 圭 伏見 暁洋 近藤 美則
出版者
公益社団法人 大気環境学会
雑誌
大気環境学会誌 (ISSN:13414178)
巻号頁・発行日
vol.52, no.4, pp.105-117, 2017

<p>詳細な野焼き頻度分布についての知見を得るために、つくば市において巡回と定点カメラによる観測によって野焼き件数の分布を調査した。2015年秋季 (9~10月) に毎日巡回して燃焼物別の日別野焼き件数を調査し、降雨前に野焼き件数が多くなることが確認されたほか、野焼き件数の57%を占めた稲作残渣は稲の収穫時期から一定期間後に籾殻、稲わらの順で焼却されることが確認された。秋季の巡回調査に続き2016年8月まで4日に1度ほどの頻度で巡回し、月別野焼き件数を比較すると9~11月に多く、1~8月に少ないことが確認された。2016年1~12月にかけて行った筑波山山頂に設置した定点カメラからの観測では、1月、10月~12月に野焼き件数が多く、2~9月に少ないことが確認され、1日の中では午前10~11時および午後2~3時に野焼きが行われやすいことが確認された。2015年秋季の調査結果にもとづいて稲の収穫時期と気象条件から稲作残渣の年間野焼き発生量に対する日別野焼き発生量比を推計する回帰モデルを構築した。回帰係数から、降雨前に野焼き件数が増えること、強風により野焼き件数が減ることが定量的に確認された。構築されたモデルに都道府県別の稲収穫時期と気象データを適用して、従前研究では推計できなかった都道府県別の大気汚染物質排出量の日変動を、2013、2014年の稲収穫時期と気象データを適用して各年の野焼き発生量比の日変動をそれぞれ推計した。</p>
著者
大森 隆司 下斗米 貴之
出版者
日本認知科学会
雑誌
認知科学 (ISSN:13417924)
巻号頁・発行日
vol.7, no.3, pp.223-235, 2000-09-01 (Released:2008-10-03)
参考文献数
16
被引用文献数
4

The acceleration phenomenon of infant word acquisition can not be explained by simple neural learning mechanism of brain. To explain it, we have to assume some prior knowledge or structure in brain that is specific for language. However, the assumption is not plausible from evolutional view. It is natural to assume that the mechanism also exist in animal brain and is used for different purpose originally, and it is re-used for language in evolutional process. To examine possibility of the idea, we apply memory model PATON for the simulation of infant primary word acquisition process, and propose a model of its acceleration process. From the result, we discuss on how language is specific for human by examining the back grounding brain mechanism that enable the rapid word acquisition.
著者
岩槻 幸雄 関 伸吾 山本 彰徳 森澤 友博 稲野 俊直 斉藤 裕也 平嶋 健太郎
出版者
鹿児島県自然環境保全協会
雑誌
Nature of Kagoshima = カゴシマネイチャー : an annual magazine for naturalists (ISSN:18827551)
巻号頁・発行日
vol.46, pp.467-480, 2020

Habitat and actual records of charr, Salvelinus leucomaenis, from Wakayama Prefecture were investigated by hearing survey and their reliable information. Hearing survey in Wakayama Prefecture suggested their habitat including both probable native and introduced individuals from most of Wakayama rivers, the Kinokawa (including the Kishikawa River), the Aridagawa, the Hidakagawa, the Hikigawa, the Kozagawa and the Kumagawa Rivers in Wakayama although the charr population (Kirikuchi charr) of the Hidakagawa River was considered as extinct in around 1960 of flood disaster by Kubo and Kimura in 1998. Subsequently, native Kirikuchi charr and hybrids between native Kirikuchi charr in Nara and the charr of the Ibigawa River population, Gifu were introduced into upper stream of Komoridani valley, the Hidaka River several times in early 1980. Probable and reliable information of native populations of Wakayama charr were reconfirmed from the Aridagawa and the Hikigawa Rivers and actual specimens of the charr were confirmed from the Aridagawa, the Hidakagawa, and the Hikigawa Rivers. Photographic reconfirmation of the charr was done in middle basin of the Kumanogawa River in Wakayama, too. Further detailed genetic analysis of their Wakayama charr populations would make evidence of native or introduced populations in future. Whitespots' condition on dorsal part of the body in true Kirikuchi charr in the inhibited river zones for the charr catch in the Yumitehara river, the Kawasako River were noted, being variable in presence or absence of dorsal part of the body in true Kirikuchi charr although it has been considered as generally having no whitespotted body of the true Kirikuchi charr before.
著者
齋藤 とも子 豊嶋 浩之 久保田 倍生 森 浩一 徳永 紗織 岩下 智之 安部 睦美
出版者
松江市立病院
雑誌
松江市立病院医学雑誌 (ISSN:13430866)
巻号頁・発行日
vol.12, no.1, pp.89-93, 2008

家庭でも汎用される防水スプレーは、直接吸入、さらには熱分解産物で毒性を増した成分の吸入により肺障害が引き起こされる。今回我々は、40+X 歳の男性が締め切った室内で防水スプレーを使用したところ呼吸困難を自覚し、約48 時間後に呼吸苦、咳嗽の悪化を認め防水スプレー吸入による化学性肺炎と診断した症例を経験した。その病態生理としては、撥水剤として用いられているフッ素樹脂により肺の表面活性物質が拮抗されて肺胞虚脱を生じ、一部が肺炎に移行する可能性が示唆されている。今回我々は暴露後数日たってから化学性肺炎を発症し、ステロイド、好中球エラスターゼ選択的阻害薬の投与、BiPAP(bi-level positive airway pressure)による呼吸管理を行うことで症状改善を得ることができた症例を経験したので若干の文献的考察を加えて報告する。初発症状が軽微でも呼吸器症状の経過を詳細に観察することが重要であると考える。