著者
藤原 省三 佐藤 博 野口 琢矢 長門 仁 尾崎 任昭 菊池 隆一 野口 剛 内田 雄三
出版者
一般社団法人 日本消化器内視鏡学会
雑誌
日本消化器内視鏡学会雑誌 (ISSN:03871207)
巻号頁・発行日
vol.44, no.2, pp.146-150, 2002-02-20 (Released:2011-05-09)
参考文献数
13

症例は69歳,男性.脳梗塞後遺症のため胃瘻が造設されていた.出血性胃潰瘍のため緊急入院.H2受容体拮抗剤により一時は軽快したが,2カ月後,潰瘍は一再発した.その後3カ月間の治療にて潰瘍は瘢痕化しなかったため,オメプラゾール坐剤を調製し投与した.投与中の24時間胃内pHモニタリングでは酸分泌抑制効果はほぼ完全であり,潰瘍は速やかに瘢痕化した.嚥下困難な患者の難治性胃潰瘍に対し,オメプラゾール坐剤の投与は極めて有効な治療法であると考えられた.

6 0 0 0 OA いかるがの巣

著者
内田誠 著
出版者
石原求竜堂
巻号頁・発行日
1943
著者
長谷川 哲也 内田 良
出版者
愛知教育大学
雑誌
愛知教育大学教育創造開発機構紀要 (ISSN:21860793)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.1-9, 2011-03-31

高等教育研究と図書館研究において長らく続いてきた研究上の分断は、大学図書館の研究を自己完結的なものへと押しやってきた。「大学図書館の社会学」の構想は、大学図書館を大学あるいは社会全体のなかに位置づけること、また単純集計にとどまらない統計分析を用いることから、大学図書館の諸相を全体関連的に描出することを企図する。本研究の主題「高等教育機関における図書館評価」は、「大学図書館を大学あるいは社会全体のなかに位置づけること」に重点を置きながら、大学図書館の評価について考察する。とくに「誰が評価するのか」という評価主体の視点から評価の力学を読み解き、評価の構造を体系的に整理していく。その整理からは、今日の認証評価制度のもとで、第一に、図書館界が先導してきた自己点検・評価の議論が一定の落ち着きをみせるなか、図書館評価が大学評価の一部としての性格を強めてきたこと、そして第二に、基礎的データに評価の関心が絞られ、さらにその限られたデータが大学本体の存続と関わって重大な意味をもつようになったことが見出された。
著者
内田 雅克
出版者
ジェンダー史学会
雑誌
ジェンダー史学 (ISSN:18804357)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.75-84, 2012 (Released:2013-11-30)
参考文献数
10
被引用文献数
2

アジア・太平洋戦争期、『少年倶楽部』はジェンダー・イデオロギー生産装置として機能し、軍人を男のモデルとして「男らしさ」を連呼し、「少年」をウィークネス・フォビアの包囲網に囲み、そして戦場に送り続けた。やがて敗戦とともに、『少年倶楽部』は、その薄い冊子に平和と希望を語り始めた。だが、その厚さと同様、戦前のあの勢いは全く見られなかった。少年には希望や平和・反戦が語られるなか、戦前に野球を愛した男たちは早くも動き出し、GHQの後押しを受けながら次々と野球の復活を実現した。GHQの軍人、日系アメリカ人、プロ野球や学生野球を導く男たちには、それぞれの野球に対する思いがあった。そして野球復活のプロセスのなかで、精神野球のイデオローグ飛田穂洲を中心に、野球少年の美しさ、純情、さらに国家の再建を彼らに託す声が聞こえ始めた。やがて少年向けの野球雑誌が誕生し、飛田をはじめ野球に「少年」が学ぶべき「男らしさ」を見出す男たちは、戦い・団結・仇討の精神を、そしてそこに映る至極の少年美を語った。再開した高校野球の球児は、かつて夭折へと導かれた少年兵とその姿を重ねた。少年雑誌が見せたのは、「軍人的男性性」の復活といえよう。戦闘的な「男らしさ」は、一見平和を象徴する野球というスポーツを媒体とし、『野球少年』のような少年雑誌のなかで再びその姿を見せ始めたのだった。もちろん、少年雑誌が見せた復古的なマスキュリニティがかつてのヘゲモニックな地位に返り咲いた訳ではない。ジェンダーの境界線が揺さぶられ、決定的な男性モデルが喪失した占領下という時代は、複数のマスキュリニティーズの出現を可能にしていた。歴史的文脈において、それらを読み解いてゆくのが本研究のテーマであり、本稿はその第一章である。
著者
内田 良
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.68, pp.187-206, 2001-05-25 (Released:2011-03-18)
参考文献数
25
被引用文献数
3 1

Much of the discussion on child abuse is influenced by the medical andpsychological perspectives. Child abuse, however, is also a sociologicalissue. The purpose of this study is, by approaching the life-world of abusedchildren, to consider the stigmatization and psychological damage that isbrought on by the stigmatization. For children, and especially for abusedchildren, experiences in the family of orientation have very significantmeanings. When we think of the experience of abuse through a sociologicalperspective, we find there are important points in how the abused interpretshis/her experiences in the family, from which we can discover thepossibility of the stigmatization.The first section is an introduction, from a sociological perspective, to the problem of child abuse. The second, which is a review of earlierliterature discussing the relationship between child abuse and stigma, formsthe overall perspective for this study. The concept of stigma is also reviewed.In the third, three cases of abuse are analyzed from the viewpoint of socialinteractionism. The data obtained from the cases is summarized in thefourth section, and the implications of this study are discussed in the last.Oral life histories of abused children explain how stigmatizationoccurs and how the psychological damage is created (and occasionallyreduced) through interactions with others under the norm of familyaffection. This research may be quite significant as psychological damageis usually discussed within the medical and psychological perspectives, but not dealt with from the basis of social stigmatization.
著者
内田 茂博
出版者
医学書院
雑誌
理学療法ジャーナル (ISSN:09150552)
巻号頁・発行日
vol.52, no.7, pp.653, 2018-07-15

身体重心(center of gravity:COG)とは身体の質量分布の中心であり,姿勢の変化によって重心の位置は変化する.静的立位姿勢における身体重心の位置は第2仙椎の高さで骨盤の中央と解釈されているが,これはおおよその位置であり姿勢の変化によりその位置は異なってくる.生体力学では合成重心の考え方により身体重心を求めている.合成重心とは,図1に示すように身体の皮膚上に貼付したマーカーより,頭部,体幹部,上腕部,前腕部,大腿部,下腿部,足部などの各体節(セグメント)の位置情報が求められ,各体節の重心位置と質量が計算される.各体節の重心位置,質量より上半身の合成重心,下半身の合成重心が求められ,最後に身体全体の重心の位置が求められる.このように身体重心は各体節の位置によって求められた合成重心であるため,体節の位置関係が変化すれば身体重心の位置も異なってくることを理解する必要がある. 足圧中心(center of pressure:COP)とは,床反力作用点,圧力中心とも表現され,床と身体との接触面に働く力の分布の中心点である.図2に示すように足底が床面に接触した場合,矢印に示すような多くのさまざまな大きさや方向に向かった反力が足底に生じる.多数の足底に生じる床反力を合成し,1つの矢印にしたものを床反力ベクトルとよび,矢印の根本部分が床反力作用点となり足圧中心点を示している.両足で床に接している場合では,右足の床反力作用点が1点,左足の床反力作用点が1点と各々の足圧中心点を示すことができるが,左右の床反力作用点のつりあう点を合成床反力作用点として考え,足圧中心点として求めることがある.
著者
石川 貴子 内田 佳子 山田 弘司
出版者
公益社団法人 日本獣医師会
雑誌
日本獣医師会雑誌 (ISSN:04466454)
巻号頁・発行日
vol.52, no.3, pp.183-186, 1999-03-20 (Released:2011-06-17)
参考文献数
14
被引用文献数
1 1

8頭の猫 (雄2, 雌6) について, 5種類 (固まる砂, 固まらない砂, ヒノキの砂, ペーパーサンド, シリカゲル) の排泄用砂 (猫砂) および排泄箱フードカバーの有無についての好みを調べた. すべての猫が高い頻度で使用したのは固まる砂で, 手触りが硬く, 粒が小さく, 重い, 無臭, 脱臭能のある猫砂が好まれることが示された. 他の猫砂4種類の使用頻度は個体ごとに異なり, 好みには一部個体差があることが示され, また, フードカバーのない排泄箱が好まれた.
著者
内田 修一 Shuichi UCHIDA
出版者
総合研究大学院大学文化科学研究科 / 葉山町(神奈川県)
雑誌
総研大文化科学研究 = SOKENDAI Review of Cultural and Social Studies (ISSN:1883096X)
巻号頁・発行日
no.19, pp.118(143)-97(164), 2023-03-31

本論考は、マリの首都バマコでソンガイ移民たちが継続してきた精霊憑依の実践を対象に、主に植民地期に出現した精霊ハウカに関する事例をとりあげ、この精霊に関する彼らの認識と彼らにとって重要な実践のコンテクストを明らかにすることをとおして、実践者の視点を重視した視座の構築を試みるための試論である。 既存の研究では、植民地体制を構成していた地位や役職から着想された「ハウカ」と呼ばれる「白人」の精霊のグループは、その信奉者たちが当時の政治体制から敵対的とみなされたという歴史的コンテクストとの関連で解釈されてきた。しかしこうした解釈にはバマコの実践者たちの認識には合致しない等の問題がある。実践者の視点を重視した視座の構築の試みとして、本論ではシステムの視点を重視するネオ・サイバネティクス論の基本的な考え方を参照して、実践者たちの経験や認識に応じて有意なものとなる精霊憑依の実践は、それをつうじて彼らが自身の認知世界を構成し続ける再帰的で自律的な過程としてとらえうると想定し、この観点から彼らにとってハウカがどのような精霊であり、重要な実践のコンテクストはいかなるものかを考察した。 ソンガイの世界観と事例の分析によって、彼らの世界観に独特な仕方で統合されているハウカは植民地体制下での出現という歴史的状況とは全く関連づけられていないこと、並びに、人とハウカの相互行為においては、実践者各自の精霊と霊媒との相互行為の独自の経験、及び人(ソンガイ)と精霊の間での社会関係とそれに付随する道徳性の類似を特徴とするソンガイの世界観に関するコンテクストがいかに重要であるかが明らかになった。これらのコンテクストは、実践者各自の実践の一貫性の確保とアクター(人と精霊)の間の様々な紐帯の形成に関与しているために、出身地、居住地区、精霊憑依の知識や経験に関して様々なソンガイ移民たちが実践を共にする都市環境において、いっそうの重要性を有していると考えられる。 かくして本論は、新しく出現した精霊に関して既存の研究が政治的状況などのマクロなコンテクストを重視して実践者の視点を軽視する傾向があったのに対して、実践者たちにとって有意なコンテクスを明らかにし、これらコンテクストが都市環境において有している意義を解釈した。それによって本論は、観察者の視点と実践者の視点に応じて異なるコンテクストを明確に区別し、実践主体にとっての意味と相関した主観的なものとしてコンテクストをとらえることで、より実践者の視点に即して精霊憑依の実践を理解する可能性を示すことができた。This essay addresses spirit possession practices that have been continuously conducted by Songhay immigrants in the capital city of Mali focusing on the Hauka spirits that appeared during the colonial period. The purpose of this study is to clarify the Songhay immigrants’ recognition of these spirits and the contexts which are important to them when practicing spirit possession, to construct a theoretical perspective taking into consideration the viewpoints of spirit possession practitioners.The group of spirits called “Hauka” by Songhay people, which mimic roles and positions in the French colonial system and which are considered as “white”, has been interpreted in prior studies in relation to the historical context in which followers of the spirits were viewed to be hostile to the political system at that time. However, such interpretations, which place considerable importance on the historical context, do not match practitioners’ conceptions about these spirits in Bamako. In order to establish a theoretical position that may help explore the practitioners’ viewpoints, this paper, referring to basic concepts of the neo-cybernetics, assumes that the spirit possession practices become significant in accordance with the practitioners’ experiences and cognition. From this standpoint, these parctices should be considered as a recursive and autonomous process through which practitioners recreate their own cognitive world.An analysis of Songhay’s worldview and case studies show that Hauka spirits are integrated into practitioners’ worldview in a particular way and are not at all related to the historical context. The analysis and case studies also demonstrate the significance of the following contexts in interactions with Hauka spirits: those relating to the practitioners’ own experiences and those relating to the Songhay worldview characterized by the fact that humans (the Songhay people) and spirits have similar social relations and morality. These contexts are all the more significant in an urban environment, where Songhay immigrants who engage in spirit possession practices are diverse in terms of their native place, residential area, and knowledge and experiences of these practices, since the contexts support the consistence of interactions of each practitioner with mediums and spirits, and the creation of ties between the actors (humans and spirits).This paper, thus, clarifies the contexts that are significant to practitioners and expresses interpretations of their importance in the urban settings, while prior academic literature has attached importance to macro-contexts, such as political situations, and has under-evaluated the practitioners’ viewpoint regarding the new spirits. Therefore, by making a clear distinction between the perspective of the observer and that of the practitioner and considering the context as subjective and correlative in relation to the significance for practitioners, the paper presents the possibility of approaching the practices of spirit possession in a way more matching the viewpoint of the practitioners.
著者
内田 健一
出版者
イタリア学会
雑誌
イタリア学会誌 (ISSN:03872947)
巻号頁・発行日
no.57, pp.74-95, 2007-10-20

Nella seconda meta dell'Ottocento l'esaltazione positivistica della scienza si diffuse in tutti i campi della cultura. Nel 1882 Luigi Capuana, il principale teorico del verismo italiano, scrisse un articolo su Gabriele D'Annunzio. Osservo in Canto novo pubblicato di recente il carattere raffinato, complesso e corrotto dell'arte contemporanea influenzata profondamente dal positivismo. D'Annunzio, da "buon adoratore della santa Natura", creava le sue opere d'arte utilizzando la sua conoscenza scientifica. La piu grande conquista scientifica dell'epoca fu la teoria dell'evoluzione delle specie formulata da Charles Darwin. La teoria dell'evoluzione, spesso estesa dalla sfera della scienza naturale a quella ideologica, divenne popolare come il darwinismo sociale. Nel 1883 Francesco De Sanctis, in una conferenza dal titolo Il darwinismo nell'arte, espresse le sue preoccupazioni per la degradazione dell'arte in cui, a causa della dottrina di Darwin, l'uomo era rappresentato principalmente nella sua animalita e il sentimento diveniva sensazione. Questo "animalismo" si puo trovare facilmente anche nelle opere dannunziane sotto varie forme. In un articolo della Tribuna, D'Annunzio riporto un discorso di Jacob Moleschott per l'inaugurazione degli studi nell'Universita di Roma del 1887. Moleschott ebbe nell'Italia postunitaria un ruolo di punta nel diffondere una concezione materialista della vita e della cultura e nell'indirizzare la scienza e la filosofia in senso positivista. Secondo D'Annunzio, la sua parola aveva "pur nel suo impeccabile rigore scientifico una cosi calda potenza d'idealita" e la sua eloquenza scientifica si elevava "ad altezze quasi liriche". Descrivendolo come un eroe della civilta moderna ed anche un misterioso poeta, ribadi l'importanza di essere fedele al metodo scientifico, come osservazione, analisi ed esperimento, anche nel fare opere d'arte. Essendo curioso, onnivoro ed astuto forse per natura, D'Annunzio considero utili tutti i frutti degli svariati settori di studi scientifici (per es. psicologia, sociologia, ecc.). Nel 1889 pubblico il suo primo romanzo Il piacere che sarebbe poi divenuto il codice piu autorevole dell'estetismo. Ma gia nel proemio del Giovanni Episcopo (1893), ripudiando le sue opere passate, dichiaro la necessita di rinnovamento con il motto "Bisogna studiare gli uomini e le cose direttamente, senza trasposizione alcuna". Anche dopo le esperienze estetizzanti fu ferma la sua aderenza al metodo scentifico. L'amicizia cordiale con Angelo Conti, esponente dell'estetismo italiano di fin de siecle, fa spesso passare D'Annunzio per un esteta. Ma egli prese sempre le distanze dall'estetismo antipositivistico di Conti. Per esempio, in un'estesa disamina della monografia contiana Giorgione (1894), osservo che la singolarita di Conti stava nel risoluto dispregio che si professava contro la cosi detta critica scientifica, contro la teoria moderna delle influenze, delle derivazioni e delle diramazioni, e ne dubito. In D'Annunizo mai venne meno la fiducia nel positivismo scientifico. Sulle orme di Leonardo da Vinci che "studiando l'acqua e cercando le leggi che ne governano i movimenti trovo nelle liquide ondulazioni la linea del sorriso femminile", si mise a lavoro per arrivare alla realizzazione di un'opera, ad un tempo scientifica e artistica, cioe armonicamente divisa fra l'esattezza e la suggestione. Producendo il capolavoro Laudi del cielo del mare della terra e degli eroi (1903), credette di aver raggiunto l'ideale sognato, grazie all'alleanza fra "analisi e sintesi, sentimento e pensiero, imitazione e invenzione". Nell'interpretazione delle opere di D'Annunzio e indispensabile considerare l'influenza del positivismo che si era radicato profondamente nella sua mentalita.
著者
内田 恒之 関根 隆一 松尾 憲一 木川 岳 梅本 岳宏 喜島 一博 原田 芳邦 若林 哲司 高橋 裕季 塩澤 敏光 小山 英之 柴田 栞里 田中 邦哉
出版者
日本外科代謝栄養学会
雑誌
外科と代謝・栄養 (ISSN:03895564)
巻号頁・発行日
vol.54, no.1, pp.42-47, 2020 (Released:2020-03-15)
参考文献数
31

背景: サルコペニアは胃癌をはじめ各種悪性腫瘍の短期・長期成績に関与するが, 骨格筋の質を表す脂肪化と術後感染性合併症 (IC) の関連性は明らかでない. 目的: 腹腔鏡下胃切除 (LG) を施行した胃癌症例における骨格筋脂肪化と術後ICとの関連を明らかにする. 方法: 2009年から2018年までのLG施行早期胃癌173例を対象とした. 周術期諸因子と術後ICの関連を後方視的に検討した. 骨格筋脂肪化は術前CT画像によるIntramuscular adipose tissue content (IMAC) で評価した. 結果: 術後ICは20例 (11.6%) に認めた. 多変量解析による術後ICの独立危険因子は男性 (P=0.003) , Prognostic nutritional index低値 (P=0.008) , IMAC高値 (P=0.020) であった. IMAC高値群は低値群に比較し高齢 (P=0.001) で高Body mass inedx (P=0.027) であり糖尿病並存例 (P=0.021) が多かった. 結語: 骨格筋脂肪化はLG後の術後IC発生の危険因子であった. 適切な術前栄養・運動療法の介入が術後IC制御に寄与する可能性がある.
著者
金城 厚 久万田 晋 植村 幸生 内田 順子 島添 貴美子
出版者
東京音楽大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2017-04-01

(1)1970年代から80年代にかけて、東京芸術大学が収集した沖縄民謡調査資料(90分カセットテープ1,300巻とそれに付随する調査メモ)をデジタル化し、安定的に保存・試聴できるデータベースとして整理した。(2)沖縄県立芸術大学芸術文化研究所のウェブサイトにメタデータを公開して、多くの研究者が所用の資料を検索できるシステムを構築した。(3)音源データを複数のHDに複製し、協定に基づいて国内の複数の研究機関に配置して、遠隔地の研究者による利用の便宜、また災害への備えを図った。(4)個人研究者でも録音資料をアーカイブ化できる比較的簡易な方法を提唱することができたと考えている。
著者
安野 彰 内田 青藏 山口 廣 井上 祐一 柳葉 悦子 窪田 美穂子
出版者
日本建築学会
雑誌
日本建築学会計画系論文集 (ISSN:13404210)
巻号頁・発行日
vol.71, no.600, pp.203-209, 2006-02-28 (Released:2017-02-17)

This paper reports about a reinforced concrete apartment buiding in Komagome, Tokyo (1938). The apartment house was planned for foreigners from Europe & North America, and the Japanese client. Therefore the planning and style of windows were different from ordinary Japanese apartment buildings in those days. Kotaro Ebata was the architect, who had worked at the office of Kazue Yakushiji. Yakushiji is a famous Architect in Japan in those days. And he may have been a friend of the client since they were sutudents.
著者
内田 悦生 中野 孝教
出版者
一般社団法人日本地球化学会
雑誌
地球化学 (ISSN:03864073)
巻号頁・発行日
vol.52, no.4, pp.149-169, 2018-12-25 (Released:2018-12-25)
参考文献数
46
被引用文献数
2

Skarns are rocks consisting mainly of calc-silicate minerals (skarn minerals) such as clinopyroxene and garnet, formed by hydrothermal metasomatism along the contact zone typically between limestone and granitic rock. They are sometimes associated with economical Pb–Zn, Mo, Cu, Fe, Sn, and W mineralization (skarn deposits). Skarns consist mainly of one or two skarn minerals, and often show a zonation. In case of skarns (endoskarns) derived from Al-rich rocks such as granitic rocks and sedimentary rocks, in addition to temperature and pressure, the supply of Ca from limestone controls the zonation. On the other hand, in case of skarns (exoskarns) derived from limestone, the supply of Si, Al, Fe and Mg from related granitic rock and other rocks, degassing of CO2, and redox state govern the zonation. The mineralized metal species in skarn deposits are determined by the granitic rock related to the skarn formation. Isotope analyses revealed that magmatic water supplied from the related granitic rock is greatly involved in the early stage of skarn formation, and influence of meteoric water tends to increase in the later stage.
著者
内田 順文
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.62, no.7, pp.495-512, 1989
被引用文献数
10

わが国の著名な避暑地・別荘地である軽井沢を事例として取り上げ,場所イメージの成立とその変化の過程を具体的に示すことによって,どのように「高級別荘地・避暑地」としての軽井沢のイメージが定着し,より多くの人々の問に浸透していったかを明らかにする.方法として,まず軽井沢を扱った文学作品や新聞・雑誌の記事などをもとに,過去の人々が抱いていた軽井沢のイメージを復元し,それを軽井沢の開発史と重ね合わせながら,軽井沢のイメージ,とくに「高級避暑地・別荘地」としてのイメージが歴史的にどのように形成され,定着していったかを記述した.次にそのイメージの定着の結果として引き起こされた地名の改変とくに「軽井沢」の名を冠した地名の分布の拡大という現象を解釈した.これらの結果は,ある一定の社会集団のレベルで,ある種の場所イメージが定着することを記号関係の形成(場所イメージの記号化)として捉えることにより,よりよく理解することができる.
著者
宮澤 一 内田 訓 大槻 穣治 森田 健 森田 良治 松山 優子 畑山 美佐子
出版者
公益社団法人日本理学療法士協会
雑誌
理学療法学 (ISSN:02893770)
巻号頁・発行日
vol.35, no.2, 2008-04-20

【はじめに】プロボクシングは両拳によって相手の顔面、腹部の急所を狙ってダメージを競い合うコンタクトスポーツであり、その競技特性上、外傷・障害は避けられず、時に生命に危険を及ぼすことさえ有り得る。平成7年より日本ボクシングコミッション(以下JBC)認定のプロボクシングジムから要請を受けサポート活動を開始し、平成10年からはチーフセコンド(試合中、一人だけリングに入ることが許され、選手に戦略や指示を与える係)およびカットマン(試合中、選手の受けた外傷の止血や応急処置を行う係)として試合に帯同する機会を得た。今回、日本タイトルマッチ5回を含む10年間の活動をまとめ、今後の課題を検討する。<BR>【対象】平成10年から平成19年の10年間で、JBC認定ジム所属のプロボクサー25名(18歳~35歳)による全156試合。<BR>【結果】156試合中97試合(62.2%)で129件の外傷・傷害が発生した。受傷機転からグループ分類すると頭部顔面の裂傷・外傷群56件(43.4%)、中手骨頭・手指打撲群53件(41.1%)、脳損傷・脳震盪群14件(10.9%)、その他障害は6件(4.6%)であった。対応としてはアイシング75件、テーピング58件、止血処置38件、医療機関に同行5件、徒手療法3件、その他3件であった。 <BR>【考察】打撃を顔面に受けることや頭部同士が接触することにより、頭部顔面の裂傷・腫脹などの外傷の発生は競技特性からも避けられず、最も多い結果であった。小さな裂傷であれば1分間のインターバルで止血処置をして試合再開となるが、危険と判断されるレベルに達した場合、試合は中止される。短時間での適切な止血処置能力や腫脹を軽減させる技術力向上も要求されるが、ダメージが大きい場合は選手の将来を考えて試合中止を申し出る判断も必要と考える。<BR>また打撃を与える拳のダメージも同様に多く、中手骨頭骨折で引退となったケースもあった。試合前に予防としてのバンデージを両拳に巻くことがルールで認められているが、これまでの伝統的な方法にPTの知識を生かして、より衝撃を軽減し、拳や関節を保護できるような方法を考案していきたい。<BR>また全体の約10%は脳自体のダメージと考えられるもので、試合直後に開頭手術を要した1件(現在は社会復帰)を含め医療機関に直行したケースは5件(うち救急車要請2件)であった。試合後の選手の状態には細心の注意を払い、状態悪化時の初期対応についてもスムーズに実施できるよう手順が確立されていることが必要とされる。近年、安全管理面から早めのストップが提唱されているものの実際に死亡事故も発生している。外傷障害に対する応急処置や知識の啓蒙だけでなく、練習過程から試合後のフォローまでの総合的なコンディショニング管理をとおして、PTの視点から出来ることを今後も模索していきたいと考える。 <BR><BR><BR>