岡田 将曹 善英 源 英之 (@Genji_Samurai)

投稿一覧(最新100件)

RT @kojimam1956: 「直務要求」のことを検索していたら、橋本朝生「百姓狂言の形成」という論文がありました。三人の百姓が都へ年貢を納めに行く途中で行き合い、領主の館で歌を詠んで褒められる、といったもので、領民が正月の公事(くじ)を納めて饗応を受けていたことを示すと考…
RT @kojimam1956: 先ほどの小生の「描かれた うどん屋看板」の論文も、看板研究としては意味があると思いますので、ご参考にもう一度貼っておきます。うどん屋(と酒屋、味噌屋)の看板の他、質札を三段の傘状に重ねた質屋の看板なども紹介しています。看板は、史料としてとても興…
RT @tsukiokabunko: 拙稿「沼沢系林崎流の成立と展開」(『山形大学歴史・地理・人類学論集』24号)が公開されました。 近年進歩してきている居合のテキスト研究を踏まえ、近世の刀剣をめぐる論点や、居合という武芸を例に技術の伝播と変容過程を論じてみました。拙い文章です…
RT @Kentaro_Toku: 『早稲田大学高等学院研究年誌』67に「丹波の石清水八幡宮寺領荘園 -諸国石清水領荘園概説(一)-」を執筆しました。諸国の石清水領荘園について概説する企画の第一弾です。別媒体でも同企画の論文を発表する可能性があるので、通し番号を振っておきました…
RT @kojimam1956: 「永禄六年北国下り遣足帳」という記録で、戦国時代に旅のインフラがどれだけ整備されていたかがよく分かります。ご存知でなかった方は御覧ください。「乱れた世の中を英雄たちが立て直した」というのは、まさに英雄起源説話です。 論文: https://t.…
RT @kojimam1956: 「永禄六年北国下り遣足帳」という記録で、戦国時代に旅のインフラがどれだけ整備されていたかがよく分かります。ご存知でなかった方は御覧ください。「乱れた世の中を英雄たちが立て直した」というのは、まさに英雄起源説話です。 論文: https://t.…
RT @shimoda_yuma: 拙稿「幕末における薩長軍事構想の再検討―「討幕」の意味に注目して―」(『法政大学大学院紀要』第89号、2022年)は法政大学学術機関リポジトリで公開されています。修士論文の第4章にあたります。良かったら御覧ください。よろしくお願い致します!…
RT @kojimam1956: 日付上押印の印判状については、こちらの論文にまとめています。冨賀寺宛ての家康朱印状についても、ご許可を得て掲載しています。 https://t.co/ykpg8CLlhk
RT @kojimam1956: 北条氏の「虎の印判」と日付上押印の問題については、下記でまとめています。「花押の代わり」ではなく、一貫して公印(家の印)として使用したのは日本では異例で、大陸の影響を伺わせますが、その滅亡と共に、この押印方法も廃れ、明治政府がようやく取り入れま…
RT @kojimam1956: この足利氏姫の黒印状は、「日付上押印」すなわち北条氏がおそらく「東アジア標準」に倣って広めた押印方法の例で、北条氏滅亡後の天正19年(1590)の物ですが、北条氏を母・妻とする父義氏と同じ押印方法を続けていたことになります。下記の論文で触れたこ…
RT @kojimam1956: #鎌倉殿の13人 は「こうぎょう」のようですが、山田邦和先生ご教示の舘隆志「公暁の法名について」の読みは「こうきょう」で、「暁」を呉音:ギョウ、漢音:キョウ とする理解。ただ、手元の『新漢語林』を見ると「ギョウ」は慣用としているので、それなら良…
RT @fzk06736: ⇨舘氏の論文は <https://t.co/4PRfkwZN3v>からダウンロード可能です。
RT @EkikaraManhole: より詳しい経緯は下水道協会誌 平成3年6月号「新マンホール蓋デザイン指名コンペの取組」で報告されています。これによると、下水道局と取引のある鉄蓋登録業者24社のうち20社がそれぞれ2点ずつ、合計40点のデザインを出し、それを10点に絞って…
RT @kojimam1956: 今日7月2日は「うどんの日」なんですか。香川県生麺事業協同組合1980年制定で、半夏生(はんげしょう、夏至の11日後、7/2頃)までに済ませた田植えの慰労の意味だったとか。https://t.co/X8hWMg90He 私、「うどん屋看板」に…

6 0 0 0 OA 万葉集

RT @kojima_sakura: 大伴家持の、天平勝宝三年(751)正月、越中国府での宴については、「国会図書館デジタルコレクション」で、万葉集の写本(国学者清水浜臣による)が見られます(該当画像は49-50)。 https://t.co/BZFNJAPuid この他、下記…
RT @kojima_sakura: マリア十五玄義図(京大本)については、こちらの調査報告で写真も見られます。→ https://t.co/AlB2cG7JlZ 旧大浦天主堂本については、歴博佐倉がガラス乾板を所蔵しており、聖誕の場面は欠いていますが、こちらで画像を公開してい…
RT @Kangen_Coup1246: 小島道裕「戦国大名の印判―公印/個人印の区別をめぐって―」は、同「戦国大名の印判状について」(小島道裕・田中大喜・荒木和憲編『古文書の様式と国際比較』勉誠出版、2020年)やリンク先の論考での議論をさらに展開されるのであろうか。 htt…

2391 0 0 0 OA 雪華図説

RT @chiyochiyo_syr: ❄️参考元の補足 『雪華図説』は国立国会図書館デジタルコレクションで全ページ見られますのでぜひ!86種類の雪の結晶のスケッチ…! https://t.co/6HdWdzMO1O
RT @rokumeibunko1: 画像は毎度おなじみ、みんな大好き、国立国会図書館のデジタルライブラリーからお借りしています。 いつもありがとうございます。 <(_ _)> https://t.co/RewCbwyJZg

5 0 0 0 OA 正倉院御物矢

RT @kokutenkyou: 正倉院の矢については後藤守一氏の論考が既にあったのでメモ。 2枚羽と3枚羽の物が普通で4枚羽は極めて特殊とのこと。おそらく2枚羽が古式で、4枚羽は縦方向に長い羽2枚、横方向に短い羽2枚を矧いでいるので実質2枚羽の亜種っぽい。 https://t…

240 0 0 0 OA 軍用記 7巻

RT @katsunomisanzai: コメント多々ありがとうございます、出典つけておきますね。 伊勢貞丈『軍用記』です。こちら国会図書館のデジコレからみられます。 https://t.co/ft2WrDrn3T

33 0 0 0 OA 築城記

RT @vr_murakamijo: 適当に作ってても埒があかないので「築城記」で説明が付くように作り直した。ただし、築城記が成立したのは永禄年間なので、その後の鉄砲の普及に伴う形状変更を多少加味した。とはいえ、現物が残らない以上、実態は不明というほかない。https://t.…
RT @kojima_sakura: 「永禄六年北国下り遣足帳」についての拙稿です。 解説:https://t.co/Fvcvzg8G9y 全文と論文:https://t.co/aw8kDACXgs 論文PDF:https://t.co/YdpxXWukQq 当初の山本光正氏と…
RT @kojima_sakura: 「永禄六年北国下り遣足帳」についての拙稿です。 解説:https://t.co/Fvcvzg8G9y 全文と論文:https://t.co/aw8kDACXgs 論文PDF:https://t.co/YdpxXWukQq 当初の山本光正氏と…
RT @kojima_sakura: 『奥の細道』の「草の戸も住替る代ぞひなの家」、新潮日本古典集成『芭蕉文集』 校注者の富山奏氏の論考がありました。https://t.co/PMFrVndtYy 「住替る世や」という別の形もあり、想像説、実見説、両方あるのか。句の解釈としては…
RT @megalithmury: 磐座は依代であるという言説は今も通説ですが、民俗学や祭祀考古学の分野では、もうそれは過去のものとなりつつあります。 オンライン上に論文も公開されているので、今後はこの議論を通過して述べる必要があります。 時枝務氏「神道考古学における依代の問…
RT @ToyosakaLabo: @tonogen0805さん制作の不動丸、ご存じない方もいると思うので説明をば。 こちらの剣は江戸時代、田宮流居合で鍛錬のために使用されていたという超重量の居合刀を模して造られています。詳しくはこちらの論文を。 https://t.co/bE…
RT @kojima_sakura: 先ほどリンクでご紹介した、佐原真さんの石井進さんを送る言葉、PDFがうまく表示されないことがあるようで、その場合は、下記の歴博佐倉のリポジトリをご利用ください。他にも、過去の研究報告収載記事がだいたい見られます。 https://t.co/…

36 0 0 0 OA 嗚呼大正天皇

RT @rekishiclub: 画像は杉謙二 編『嗚呼大正天皇』 (四海社出版部、1926)より引用。 https://t.co/uMfeS9HiBt 参考 「日本型クリスマスの歴史」(視点・論点) https://t.co/EmJQs4DWlq

32 0 0 0 OA 孝義録

RT @GenderHistoryJP: 「近世職人尽絵詞」を描かせた松平定信は、幕府老中として忠孝や貞節などの道徳を奨励。幕府はそうした事例を「官刻孝義録」(1801年 https://t.co/EHJWxjMegC)という大部の書物に記録し出版します。登場する男性には職業名…

16 0 0 0 OA 花容女職人鑑

RT @GenderHistoryJP: 「花容女職人鑑」は、もともと狂歌や詞書を添えて描かれていましたが(左:国立国会図書館蔵  https://t.co/tJ0B44jaVq)、好評で版を重ねるうちに、狂歌などを削除して巻末にまとめ、女性たちを華やかに描き、眺め鑑賞する絵本…
RT @kojima_sakura: 北条氏の支城、玉縄城(現鎌倉市)についての展示ですか。 ここの城主である北条氏繁が作り、子の氏勝(後に現佐倉市の岩富城主)が識語を書いている「出陣次第」という故実書を紹介したことがあります。 https://t.co/lo7DtUFuME…
RT @koshi_vor: 良書見つけた。平安~元禄時代の代表的な衣服の作り方。→絵は直垂 https://t.co/8yvjbUFzLV https://t.co/5OIHLLABts
RT @merontomikan: 戦国期土岐・後斎藤氏の美濃支配 : 用水相論を事例にThe Domination of Mino Province by the Toki Clan and the Go-Saitoh Clan in the Sengoku Period :…
RT @merontomikan: なんかバズっている!300いいねを超えそう!Twitter始めて以来初めて

3 0 0 0 OA 貞丈雑記

RT @kokutenkyou: 伊勢貞丈、代々武家の有職故実や各種の儀式次第を司る御家柄だったのですね。どうりで各種故事に詳しいはずですわ…!江戸期に中世の故実がどの程度正確に伝わっていたのか不明なので注意は必要だけど色々参考になる。 メモ:『貞丈雑記』 巻之三 烏帽子之部…

5 0 0 0 OA 相馬しをり

RT @k_nagae_tkac: ②『相馬しをり』(コマ番号54~「相馬三妙見」、57~「野馬追及野馬掛」) https://t.co/qNyFymmWpf ➂『野馬追土産』 https://t.co/xWRxp9d9PR ④『相馬民謠 流れ山と麥つき唄』 https:/…
RT @k_nagae_tkac: ②『相馬しをり』(コマ番号54~「相馬三妙見」、57~「野馬追及野馬掛」) https://t.co/qNyFymmWpf ➂『野馬追土産』 https://t.co/xWRxp9d9PR ④『相馬民謠 流れ山と麥つき唄』 https:/…

7 0 0 0 OA 野馬追みやげ

RT @k_nagae_tkac: ②『相馬しをり』(コマ番号54~「相馬三妙見」、57~「野馬追及野馬掛」) https://t.co/qNyFymmWpf ➂『野馬追土産』 https://t.co/xWRxp9d9PR ④『相馬民謠 流れ山と麥つき唄』 https:/…

21 0 0 0 OA 諸國年中行事

RT @k_nagae_tkac: 相馬野馬追、今年は大規模縮小しての無観客開催との事で残念ではありますが、この機会に国立国会図書館デジタルコレクションを利用して、明治~昭和初期の本に野馬追はどのように書かれているのかを知ってみませんか? ①『諸國年中行事』(コマ番号78~「…

64 0 0 0 OA 師郷記

RT @am2nkm_A: デジコレで原本が閲覧可能な南北朝室町期の日記としては、 師守記https://t.co/XCe1GUj998 満済准后日記(応永18~29年)https://t.co/XLKKMIfE5F 師郷記https://t.co/1dqfOYOyz1 康富記…

64 0 0 0 OA [師守記] 64巻

RT @am2nkm_A: デジコレで原本が閲覧可能な南北朝室町期の日記としては、 師守記https://t.co/XCe1GUj998 満済准后日記(応永18~29年)https://t.co/XLKKMIfE5F 師郷記https://t.co/1dqfOYOyz1 康富記…

67 0 0 0 OA 康富記

RT @am2nkm_A: デジコレで原本が閲覧可能な南北朝室町期の日記としては、 師守記https://t.co/XCe1GUj998 満済准后日記(応永18~29年)https://t.co/XLKKMIfE5F 師郷記https://t.co/1dqfOYOyz1 康富記…

67 0 0 0 OA 満済准后日記

RT @am2nkm_A: デジコレで原本が閲覧可能な南北朝室町期の日記としては、 師守記https://t.co/XCe1GUj998 満済准后日記(応永18~29年)https://t.co/XLKKMIfE5F 師郷記https://t.co/1dqfOYOyz1 康富記…
RT @kojima_sakura: 以前、『出陣次第』という、玉縄城(現鎌倉市)の城主だった玉縄北条氏の故実書を紹介したことがあります。https://t.co/lo7DtUFuME まさにこの「出陣式」の酒肴セットが図入りで出ているので、ご参考まで。
RT @kojima_sakura: 山田孝雄『年号読方考証稿』は「国立国会図書館デジタルコレクション」にも入っているのですが、閲覧は館内及び図書館送信参加館限定のようです。https://t.co/BvlmrGjmRB
RT @Gohshi77: ちなみに室町幕府奉公衆には、鎌倉府奉公衆の同族別系も多い。https://t.co/7ARV2Gz0YR
RT @kojima_sakura: 承前)「マリア十五玄義図「原田家本」(京都大学所蔵)について https://t.co/AlB2cGoMnZ 同「東家本」について https://t.co/SQRcNVjfmm
RT @kojima_sakura: 承前)「マリア十五玄義図「原田家本」(京都大学所蔵)について https://t.co/AlB2cGoMnZ 同「東家本」について https://t.co/SQRcNVjfmm
RT @washou3956: PDF公開。中嶋愛「中世後期の春日社関連の史料の調査・分析」(『年報:名古屋大学大学院人文学研究科教育研究推進室』2017年度、2018年7月)春日社未公刊史料の調査の一環として、室町後期の社家日記である「社頭諸日記」のうち明応9年(1450)6…
RT @kojima_sakura: 承前)『諸国風俗問状答』の刊本(中山太郎校注、東洋堂、1942年) → https://t.co/efuiQhqbgy(国会図書館デジタルコレクション) 「かまくら」部分を引用した論文に、倉石忠彦「都市と道祖神信仰」(『国立歴史民俗博物館研…
RT @kokutenkyou: 鎗の金属組成を調べた報告があったのでメモ。 https://t.co/RCPfcJRhiu

13 0 0 0 OA 前賢故実

RT @kojima_sakura: 承前)『前賢故実』は、日本史の人物画に実際かなり影響があったようです。国会図書館のサイトで見られます。https://t.co/ZWTPHwngi8 人物のイメージがどう作られたか、というのは、ひとつの課題でしょうね。 それにしても、讃岐朝…
RT @kojima_sakura: 承前)ちなみに私がこの追悼号に書いたのは、豊臣大名亀井家文書の紹介でしたhttps://t.co/nn0G9E1Yxj。 秀吉がまだ信長の部将だった時代、つまり亀井茲矩と同盟的関係だった時からずっと発給文書があるので、文書様式の変化を追える…
RT @kojima_sakura: 鎌倉幕府の御家人交名と言える「六条八幡宮造営注文」については、『国立歴史民俗博物館研究報告』に詳しい紹介があり、下記のリポジトリでダウンロードできます。 海老名尚・福田豊彦「[資料紹介] 『田中穣氏旧蔵典籍古文書』「六条八幡宮造営注文」に…
RT @kojima_sakura: 『国会図書館月報』の「中世の古文書を読んでみよう」、今回は武田信玄の朱印状を取り上げています。https://t.co/zOkMdzofUr 「眼病なので印判にした」という言い訳付きですし、押された位置も名前の下で、まさに花押の代わり。(続
RT @kojima_sakura: @tra_inee 承前)同書は、国会図書館デジタルコレクションで見られましたがhttps://t.co/9sjLxcnKug、たしかに「和洋菓子製法 上之部 和菓子」という部分がありますね。私が典拠にしていた『日本国語大辞典』は料理書まで…
RT @kojima_sakura: >RT 「文書の中の文書」というタイトルで、和与状を引用した関東下知状について解説しています。 『国立国会図書館月報』のページはこちらです→ https://t.co/Ml0Fr5aRuU 該当頁のPDFはこちら→ https://t.co…
RT @kojima_sakura: ザビエル像が掛軸装だった時代の写真は、濱田耕作・新村出他『吉利支丹遺物の研究』(1923年)に出ていて、マリア十五玄義図東家本についての歴博佐倉の研究報告にも引用しています。下記のリポジトリで見られます。 https://t.co/SQRc…
RT @kojima_sakura: 国会図書館所蔵「関東下知状」(北条高時・金沢貞顕 署判)の解説です。 https://t.co/Mycpevq5wr … https://t.co/TFgO7GgejE
RT @digirekiten: ( #デジ歴展 の理論的なバックボーンになっている小島論考をいくつか ) https://t.co/sirS03aiUT https://t.co/lQ2D2N2c68 https://t.co/fp71y3vAiy https://t.co/…
RT @digirekiten: ( #デジ歴展 の理論的なバックボーンになっている小島論考をいくつか ) https://t.co/sirS03aiUT https://t.co/lQ2D2N2c68 https://t.co/fp71y3vAiy https://t.co/…

45 0 0 0 OA 佐々木家文書

RT @kojima_sakura: 国会図書館所蔵の佐々木家文書は、巻物全体を同館のデジタルコレクションで閲覧できるんですね。 https://t.co/X1pT6yHl43 後家尼留阿こと「北」さんが「きた(花押)」と署名した仮名文書もあります。「北の方」の意味かな。
RT @kotosakikotoko: 白峰旬センセは『慶長庚子の大乱』『慶長庚子の大兵乱』を提案してるのね。 関ヶ原の戦いにおける石田三成方軍勢の布陣位置についての新解釈 : なぜ大谷吉継だけが戦死したのか https://t.co/aKNL5KKzXs
RT @kojima_sakura: 節分が近づいて、また「恵方巻」の宣伝が目に付く季節に。節分という家庭の行事があるからそれに合わせた食べ物がある、というのは悪いことではないと思うのですが。これも年中行事になりましたが、また沓沢博行さんの恵方巻論文を貼っておきます。 http…
RT @a4lg: 琉球における官話と漢語・朝鮮語による琉球語資料の研究 https://t.co/jzmqCdFneB

4 0 0 0 OA 小原鉄心伝

RT @3103_ky: 小原鉄心伝 https://t.co/VQEZKMTT6S 詩はここに載ってましたけど、印刷が悪いなあ > 松菊は欣然として咲を含み これを口語にすると「喜んでにこにこしていた」になるのか 地味に雪爪さんの反応がないのが気になる https://t.…
RT @akehori: CiNii 図書 - 東京都大田区環8光明寺地区遺跡調査報告書 http://t.co/eNnRLTNdss #CiNii
RT @zasetsushirazu: 明治44年6月15日、大鳥圭介が死去。伝記に、山崎有信『大鳥圭介伝』(マツノ書店、2010年復刻。初版1915年)。外交官時代を研究した論文に、大澤博明「大鳥圭介公使の朝鮮帰任(一八九四年六月)について」(『熊本法学』124)。 http…
RT @washou3956: 若林陵一 「中世後期近江国蒲生下郡・上郡・〈境界地域〉と佐々木六角氏」(『東北文化研究所紀要』45号、2015年12月)近江国の「蒲生下郡」と「蒲生上郡」の狭間に位置する佐々木荘・「佐々木」関係荘園の様相を考察。https://t.co/9XwZ…
RT @kayako_sub: 久しぶりにこっちの論文読み返してた。重代の刀があった→髭切命名の説話がついた→添えられた刀を斬った(この段階では小烏でなく舞草の行重の刀)っていう順番で話が膨らんだのかなと思うんだけど、、 https://t.co/uTov1jaM43

1795 0 0 0 OA さんたくろう

RT @hashimoto_tokyo: 明治33年に描かれた日本初のサンタクロース「さんたくろう(三太九郎)」さん。近代デジタルライブラリーで全ページ読めます。https://t.co/fXhxSzHkoG https://t.co/Tw8WD5ILLp

15 0 0 0 OA 前賢故実

RT @bot_miura9: 【近代デジタルライブラリー】菊池容斎画、山田重忠http://t.co/bgmE2CyYia オレや藤原秀康殿を差し置いて、承久の乱の宮方武将から。顔書かれてないんだけどなw
RT @zasetsushirazu: 小枝弘和「今出川キャンパス前史に関する一考察-薩摩藩二本松屋敷を中心に-」(『同志社談叢』31、2011年)は、現在では同志社大学の一部となっている薩摩藩邸跡をめぐる、新島襄や相国寺に関係する史料を紹介・分析する。 http://t.c…
RT @sakana6634: 祝御来駕記念 三日月さんの腰の飾り結びの結び方 淡路結び(あわじ、鮑、葵とも)の変形で『三輪取結び』又は『御簾飾り』『五行鮑結び』 現代の教本では『四つ手淡路結び』 ただし左右逆 (NDL)http://t.co/aVMWwDaK08 http:…

3 0 0 0 OA 岡田寒泉伝

RT @sanpai_walk: @Genji_Samurai ご先祖様が水戸にご縁があるのですが。こちらを読んで勉強させていただきます。 近代デジタルライブラリー「岡田寒泉伝」 http://t.co/5B7blMGDYD

11 0 0 0 OA 続群書類従

RT @sakana6634: 贈答品・下賜品としても、品物がなにかというより、唐物の香木であればそれだけで珍重された、とみてもよいと思います。 参考:「光源氏が愛した王朝ブランド品」(河添房江) 薫集類従(抄出):古事類苑遊戯部(NDLDA) http://t.co/3v7p…

37 0 0 0 OA 会津戊辰戦史

RT @ezoushi_ya: 尚さんが何を書いていたのか割り出しました。読んでみたい!と思われる方、思わず「会津戦記」でググってしまった方はどうぞこちら(近デジ)でお読みください ⇒ 尚さん宅の畳上に書き散らされた紙の内容 http://t.co/rgq7HXhYPn 「傷病…
@dobasidorui 小原鉄心、近代デジタルライブラリー『西濃人物誌 修身資料』に紹介ありました。因みに、次の項目が岡田の者で、思い出しました次第。 http://t.co/qynspq8ljv

お気に入り一覧(最新100件)

ああー!手元のトーハク既報となんか違うなと思ったら自分は四幅本の方(『法隆寺献納宝物特別調査慨報XXXIV』)を買ってたのか!『法隆寺献納宝物特別調査既報XXIX 聖徳太子絵伝1』とXXVIIIの方に11世紀の絵殿旧障壁絵の調査報告が載ってたのですな…!(なお売切れ) https://t.co/lkvp4xrNY9
「直務要求」のことを検索していたら、橋本朝生「百姓狂言の形成」という論文がありました。三人の百姓が都へ年貢を納めに行く途中で行き合い、領主の館で歌を詠んで褒められる、といったもので、領民が正月の公事(くじ)を納めて饗応を受けていたことを示すと考えられ、(続 https://t.co/oiyy4JuiwK
中世より19世紀に至る西洋剣術の発達(1) (1994年) https://t.co/97ajNLOtQj レイピア剣術についてはわりと詳細だけど、 >元々 、西洋剣術は両手で柄を握り、鎧もろとも打ち砕く荒々しいものであった。16世紀以降、片手操作のrapierが出現し、剣術の技術革新が始まる …と1994年当時の評価がわかる
現代の平将門伝承(=史実とは異なる)をヴァナキュラーとして分析する論文。執筆者の谷津亮太郎君は、地理学の院生(荒山正彦教授)で昨年、私の講義を受講していました。面白い研究なのでぜひ読んでみてください。 https://t.co/qrqyXfdnG8 https://t.co/FIdFfBFyx1
先ほどの小生の「描かれた うどん屋看板」の論文も、看板研究としては意味があると思いますので、ご参考にもう一度貼っておきます。うどん屋(と酒屋、味噌屋)の看板の他、質札を三段の傘状に重ねた質屋の看板なども紹介しています。看板は、史料としてとても興味深いです。 https://t.co/ADNck4GUOh
拙稿「沼沢系林崎流の成立と展開」(『山形大学歴史・地理・人類学論集』24号)が公開されました。 近年進歩してきている居合のテキスト研究を踏まえ、近世の刀剣をめぐる論点や、居合という武芸を例に技術の伝播と変容過程を論じてみました。拙い文章ですがご笑覧ください。 https://t.co/jX1w1h0xAu
「永禄六年北国下り遣足帳」という記録で、戦国時代に旅のインフラがどれだけ整備されていたかがよく分かります。ご存知でなかった方は御覧ください。「乱れた世の中を英雄たちが立て直した」というのは、まさに英雄起源説話です。 論文: https://t.co/eYeoOJAFTA 史料紹介: https://t.co/Hw7CMYeNC2
「永禄六年北国下り遣足帳」という記録で、戦国時代に旅のインフラがどれだけ整備されていたかがよく分かります。ご存知でなかった方は御覧ください。「乱れた世の中を英雄たちが立て直した」というのは、まさに英雄起源説話です。 論文: https://t.co/eYeoOJAFTA 史料紹介: https://t.co/Hw7CMYeNC2
『早稲田大学高等学院研究年誌』67に「丹波の石清水八幡宮寺領荘園 -諸国石清水領荘園概説(一)-」を執筆しました。諸国の石清水領荘園について概説する企画の第一弾です。別媒体でも同企画の論文を発表する可能性があるので、通し番号を振っておきました。 https://t.co/9ha4UKEvhX
拙稿「幕末における薩長軍事構想の再検討―「討幕」の意味に注目して―」(『法政大学大学院紀要』第89号、2022年)は法政大学学術機関リポジトリで公開されています。修士論文の第4章にあたります。良かったら御覧ください。よろしくお願い致します! https://t.co/8w9tC1VVQB
日付上押印の印判状については、こちらの論文にまとめています。冨賀寺宛ての家康朱印状についても、ご許可を得て掲載しています。 https://t.co/ykpg8CLlhk
北条氏の「虎の印判」と日付上押印の問題については、下記でまとめています。「花押の代わり」ではなく、一貫して公印(家の印)として使用したのは日本では異例で、大陸の影響を伺わせますが、その滅亡と共に、この押印方法も廃れ、明治政府がようやく取り入れます。 https://t.co/ykpg8CLlhk
#大鎧!#鎧兜!#明治時代! This book is very precious because it is a book from the Meiji era. There's a very rare HD scan of it, and it's even available for download! Please enjoy, fellow samurai fans! happy weekend ! https://t.co/vRONLHRZqH
この足利氏姫の黒印状は、「日付上押印」すなわち北条氏がおそらく「東アジア標準」に倣って広めた押印方法の例で、北条氏滅亡後の天正19年(1590)の物ですが、北条氏を母・妻とする父義氏と同じ押印方法を続けていたことになります。下記の論文で触れたことがあります。 https://t.co/ykpg8CLlhk
#鎌倉殿の13人 は「こうぎょう」のようですが、山田邦和先生ご教示の舘隆志「公暁の法名について」の読みは「こうきょう」で、「暁」を呉音:ギョウ、漢音:キョウ とする理解。ただ、手元の『新漢語林』を見ると「ギョウ」は慣用としているので、それなら良いかもしれない。 https://t.co/03z4sCPVFJ
⇨舘氏の論文は <https://t.co/4PRfkwZN3v>からダウンロード可能です。
より詳しい経緯は下水道協会誌 平成3年6月号「新マンホール蓋デザイン指名コンペの取組」で報告されています。これによると、下水道局と取引のある鉄蓋登録業者24社のうち20社がそれぞれ2点ずつ、合計40点のデザインを出し、それを10点に絞って広報に掲載したとのことです。 https://t.co/JZcRyCcZ3w
今日7月2日は「うどんの日」なんですか。香川県生麺事業協同組合1980年制定で、半夏生(はんげしょう、夏至の11日後、7/2頃)までに済ませた田植えの慰労の意味だったとか。https://t.co/X8hWMg90He 私、「うどん屋看板」について以前書いたことがあるので、貼っておきます。https://t.co/ADNck4oLA9

2 0 0 0 OA 鹿児島語法

https://t.co/MZOH76zZGe 村林孫四郎(1908)『鹿児島語法』。 「一日も早く方言を撲滅して、国語を統一せざるべからず。若し、猶ほ方言を用ひて得々たる者あらば、実に国民の団結発展を阻害し、国家の体面を損する国賊なり」
佐渡金山の世界遺産登録推薦が問題になっていて、歴史のことですから少し調べてみたのですが、佐渡鉱山における朝鮮人労働者の問題は、すでに実証的に研究されているようですから(こちらを拝見しました https://t.co/JgCjtQj5dY)、事実を書いたら良いことだと思います。 https://t.co/VhoPGDq8xk(続

6 0 0 0 OA 万葉集

大伴家持の、天平勝宝三年(751)正月、越中国府での宴については、「国会図書館デジタルコレクション」で、万葉集の写本(国学者清水浜臣による)が見られます(該当画像は49-50)。 https://t.co/BZFNJAPuid この他、下記のサイトを参照しました。 https://t.co/cQh5x7gyZ2 https://t.co/I4Ll4Y3IsN
マリア十五玄義図(京大本)については、こちらの調査報告で写真も見られます。→ https://t.co/AlB2cG7JlZ 旧大浦天主堂本については、歴博佐倉がガラス乾板を所蔵しており、聖誕の場面は欠いていますが、こちらで画像を公開しています。→ https://t.co/ycIKirN2gG
小島道裕「戦国大名の印判―公印/個人印の区別をめぐって―」は、同「戦国大名の印判状について」(小島道裕・田中大喜・荒木和憲編『古文書の様式と国際比較』勉誠出版、2020年)やリンク先の論考での議論をさらに展開されるのであろうか。 https://t.co/lgTTWqZ07L

2391 0 0 0 OA 雪華図説

❄️参考元の補足 『雪華図説』は国立国会図書館デジタルコレクションで全ページ見られますのでぜひ!86種類の雪の結晶のスケッチ…! https://t.co/6HdWdzMO1O

12 0 0 0 OA 吾妻鑑

マイマップの説明にも乗せていますが、吾妻鑑、建久三年八月小九日己酉のこれ→https://t.co/9wKplwkjur(国立国会図書館デジタルコレクション)です。

7 0 0 0 OA 法規提要

おおっと、カガミは「奉勅」だけど、アンコは「無号達」だったよ。すげー軽い扱いだな、内閣制って。 https://t.co/FcT42ZBbcq

13 0 0 0 OA 官報

官報号外(明治18年12月22日) https://t.co/lFaCDRxkNf 内閣が行政権を握る規定は、コレなんだけど、ただの勅令なんだよ。憲法にも条例にも規定してなかったハズ。

5 0 0 0 OA 正倉院御物矢

正倉院の矢については後藤守一氏の論考が既にあったのでメモ。 2枚羽と3枚羽の物が普通で4枚羽は極めて特殊とのこと。おそらく2枚羽が古式で、4枚羽は縦方向に長い羽2枚、横方向に短い羽2枚を矧いでいるので実質2枚羽の亜種っぽい。 https://t.co/tbWPHING4o
たぶん右京大夫政元さんからも解説されていたかと思いますが、左衛門佐は元々足利一門のみに許された官途だったそうで、赤松則実がその経緯と感激を書き残した史料が、こちらの藤岡琢也『「赤松家風条々事」の再検討』で紹介されていました。 https://t.co/rqgxnhxvF6

240 0 0 0 OA 軍用記 7巻

コメント多々ありがとうございます、出典つけておきますね。 伊勢貞丈『軍用記』です。こちら国会図書館のデジコレからみられます。 https://t.co/ft2WrDrn3T

33 0 0 0 OA 築城記

適当に作ってても埒があかないので「築城記」で説明が付くように作り直した。ただし、築城記が成立したのは永禄年間なので、その後の鉄砲の普及に伴う形状変更を多少加味した。とはいえ、現物が残らない以上、実態は不明というほかない。https://t.co/lE6ZcpqNBZ https://t.co/6EbK1ks0xW
「永禄六年北国下り遣足帳」についての拙稿です。 解説:https://t.co/Fvcvzg8G9y 全文と論文:https://t.co/aw8kDACXgs 論文PDF:https://t.co/YdpxXWukQq 当初の山本光正氏との史料紹介:https://t.co/wLoTJ0QRqE なお、三上喜孝さんの「落書き」の本はこちら。 https://t.co/sDN84klbfm
「永禄六年北国下り遣足帳」についての拙稿です。 解説:https://t.co/Fvcvzg8G9y 全文と論文:https://t.co/aw8kDACXgs 論文PDF:https://t.co/YdpxXWukQq 当初の山本光正氏との史料紹介:https://t.co/wLoTJ0QRqE なお、三上喜孝さんの「落書き」の本はこちら。 https://t.co/sDN84klbfm
『奥の細道』の「草の戸も住替る代ぞひなの家」、新潮日本古典集成『芭蕉文集』 校注者の富山奏氏の論考がありました。https://t.co/PMFrVndtYy 「住替る世や」という別の形もあり、想像説、実見説、両方あるのか。句の解釈としては、娘のいる人に家を譲ったことから生じた想像、なのだろうけれど、
磐座は依代であるという言説は今も通説ですが、民俗学や祭祀考古学の分野では、もうそれは過去のものとなりつつあります。 オンライン上に論文も公開されているので、今後はこの議論を通過して述べる必要があります。 時枝務氏「神道考古学における依代の問題」(2015年) https://t.co/g6xKEQv5te
@JUMANJIKYO @kanzisuki 五音篇海 (https://t.co/uTI9fKbtxV) と、それを引きつつ本文への収録は拒否した《字彙補》の例言 (https://t.co/Hn6Fa5lOkW + 添付画像) にありますね。 https://t.co/NJSXfnIsZ0

2 0 0 0 OA 字鏡集

@kanzisuki https://t.co/EXYISmmmnu https://t.co/x0MIC9forZ

65 0 0 0 OA 北斎漫画

NDL所蔵は色が無いので少しさみしいが、北斎漫画は見ているだけでも楽しい。 https://t.co/pz4ada8oMU https://t.co/Ol9JnNtfTE

71 0 0 0 OA 日本伝説叢書

「伏姫籠穴」が現在の状態に整備されたのは1995~97年ということですが、文献を遡ると大正期には「伏姫が窟」「伏姫の窟」などと呼ばれていたようで、1919年刊行の『日本伝説叢書 安房の巻』に記述があります。若き日の若山牧水が、恋人と共に訪れたという話もあるようで。 https://t.co/l7L2uXKCyW
@tonogen0805さん制作の不動丸、ご存じない方もいると思うので説明をば。 こちらの剣は江戸時代、田宮流居合で鍛錬のために使用されていたという超重量の居合刀を模して造られています。詳しくはこちらの論文を。 https://t.co/bEVQlwFpNH https://t.co/nHFZfp89Do
先ほどリンクでご紹介した、佐原真さんの石井進さんを送る言葉、PDFがうまく表示されないことがあるようで、その場合は、下記の歴博佐倉のリポジトリをご利用ください。他にも、過去の研究報告収載記事がだいたい見られます。 https://t.co/A9duuSHcPU
画像は毎度おなじみ、みんな大好き、国立国会図書館のデジタルライブラリーからお借りしています。 いつもありがとうございます。 <(_ _)> https://t.co/RewCbwyJZg

36 0 0 0 OA 嗚呼大正天皇

画像は杉謙二 編『嗚呼大正天皇』 (四海社出版部、1926)より引用。 https://t.co/uMfeS9HiBt 参考 「日本型クリスマスの歴史」(視点・論点) https://t.co/EmJQs4DWlq
正徳2年(1712年)序文の出版本「文武さざれ石」、室内で大小両刀を帯刀して正座でいる人物の絵がたくさん載ってる。出版物に描かれても不自然じゃ無い所作だったのかね?? 関口新心流柔や田宮流などに大小両刀帯刀で座っている想定の形があるけど、有り得る想定だったのかも https://t.co/QeCgTxnNvr https://t.co/tfC8hJevTS

32 0 0 0 OA 孝義録

「近世職人尽絵詞」を描かせた松平定信は、幕府老中として忠孝や貞節などの道徳を奨励。幕府はそうした事例を「官刻孝義録」(1801年 https://t.co/EHJWxjMegC)という大部の書物に記録し出版します。登場する男性には職業名がありますが、女性はほとんどが誰々の女房、妹などと記されるのみです。

16 0 0 0 OA 花容女職人鑑

「花容女職人鑑」は、もともと狂歌や詞書を添えて描かれていましたが(左:国立国会図書館蔵  https://t.co/tJ0B44jaVq)、好評で版を重ねるうちに、狂歌などを削除して巻末にまとめ、女性たちを華やかに描き、眺め鑑賞する絵本(グラビア的なもの)に変化していきました(右:国文学研究資料館蔵)。 https://t.co/mr97x4kd1j
北条氏の支城、玉縄城(現鎌倉市)についての展示ですか。 ここの城主である北条氏繁が作り、子の氏勝(後に現佐倉市の岩富城主)が識語を書いている「出陣次第」という故実書を紹介したことがあります。 https://t.co/lo7DtUFuME 戦国期の武家故実書の原本というレアな物で、内容も興味深いです。 https://t.co/ZI9D3mf1Nz
芸濃町に溜池をつくった歴史上の人物が駒越出身であったと。伊藤裕作さんからの情報。 https://t.co/0CeWWsBMIA 駒越面白い! https://t.co/gtXiKDDIBe
@kerpanen https://t.co/fyA6cOFhgl 平治物語絵巻・三条殿夜討巻だと 人差し指・中指をなめているのかどうかだが
良書見つけた。平安~元禄時代の代表的な衣服の作り方。→絵は直垂 https://t.co/8yvjbUFzLV https://t.co/5OIHLLABts

3 0 0 0 OA 貞丈雑記

伊勢貞丈、代々武家の有職故実や各種の儀式次第を司る御家柄だったのですね。どうりで各種故事に詳しいはずですわ…!江戸期に中世の故実がどの程度正確に伝わっていたのか不明なので注意は必要だけど色々参考になる。 メモ:『貞丈雑記』 巻之三 烏帽子之部 https://t.co/wMf5h4QGqm

5 0 0 0 OA 相馬しをり

②『相馬しをり』(コマ番号54~「相馬三妙見」、57~「野馬追及野馬掛」) https://t.co/qNyFymmWpf ➂『野馬追土産』 https://t.co/xWRxp9d9PR ④『相馬民謠 流れ山と麥つき唄』 https://t.co/kraOIMqaTm
②『相馬しをり』(コマ番号54~「相馬三妙見」、57~「野馬追及野馬掛」) https://t.co/qNyFymmWpf ➂『野馬追土産』 https://t.co/xWRxp9d9PR ④『相馬民謠 流れ山と麥つき唄』 https://t.co/kraOIMqaTm

7 0 0 0 OA 野馬追みやげ

②『相馬しをり』(コマ番号54~「相馬三妙見」、57~「野馬追及野馬掛」) https://t.co/qNyFymmWpf ➂『野馬追土産』 https://t.co/xWRxp9d9PR ④『相馬民謠 流れ山と麥つき唄』 https://t.co/kraOIMqaTm

21 0 0 0 OA 諸國年中行事

相馬野馬追、今年は大規模縮小しての無観客開催との事で残念ではありますが、この機会に国立国会図書館デジタルコレクションを利用して、明治~昭和初期の本に野馬追はどのように書かれているのかを知ってみませんか? ①『諸國年中行事』(コマ番号78~「相馬の野馬追」) https://t.co/2wbe7xYsbI

64 0 0 0 OA 師郷記

デジコレで原本が閲覧可能な南北朝室町期の日記としては、 師守記https://t.co/XCe1GUj998 満済准后日記(応永18~29年)https://t.co/XLKKMIfE5F 師郷記https://t.co/1dqfOYOyz1 康富記https://t.co/BJmJVosAtk あたりでしょうか。#在宅研究 #デジコレで中世史

64 0 0 0 OA [師守記] 64巻

デジコレで原本が閲覧可能な南北朝室町期の日記としては、 師守記https://t.co/XCe1GUj998 満済准后日記(応永18~29年)https://t.co/XLKKMIfE5F 師郷記https://t.co/1dqfOYOyz1 康富記https://t.co/BJmJVosAtk あたりでしょうか。#在宅研究 #デジコレで中世史

67 0 0 0 OA 康富記

デジコレで原本が閲覧可能な南北朝室町期の日記としては、 師守記https://t.co/XCe1GUj998 満済准后日記(応永18~29年)https://t.co/XLKKMIfE5F 師郷記https://t.co/1dqfOYOyz1 康富記https://t.co/BJmJVosAtk あたりでしょうか。#在宅研究 #デジコレで中世史

67 0 0 0 OA 満済准后日記

デジコレで原本が閲覧可能な南北朝室町期の日記としては、 師守記https://t.co/XCe1GUj998 満済准后日記(応永18~29年)https://t.co/XLKKMIfE5F 師郷記https://t.co/1dqfOYOyz1 康富記https://t.co/BJmJVosAtk あたりでしょうか。#在宅研究 #デジコレで中世史
戦国期土岐・後斎藤氏の美濃支配 : 用水相論を事例にThe Domination of Mino Province by the Toki Clan and the Go-Saitoh Clan in the Sengoku Period : a Case of Dispute over the Irrigation Water https://t.co/FSrjw7scCo
なんかバズっている!300いいねを超えそう!Twitter始めて以来初めて
以前、『出陣次第』という、玉縄城(現鎌倉市)の城主だった玉縄北条氏の故実書を紹介したことがあります。https://t.co/lo7DtUFuME まさにこの「出陣式」の酒肴セットが図入りで出ているので、ご参考まで。
大正4年5月11日、古荘嘉門が死去。幕末の肥後藩出身で、井上毅と同門。明治初期に河上彦斎と共に反政府の運動に関与。野口真広「台湾総督府内務部長古荘嘉門について」(『社学研論集』4)曰く、明治20年代の対外硬運動を担った国権党初代総理で、日本の台湾統治の重要人物。 https://t.co/U3mq6IrDAI
3、正則・加藤家(清正死後)の改易は、家康・秀忠による豊臣恩顧大名へのいちゃもん まあこれは論文を読んでね CiNii 論文 -  徳川幕府の大名改易政策を巡る一考察-1- https://t.co/0ch2rGtUgA #CiNii
山田孝雄『年号読方考証稿』は「国立国会図書館デジタルコレクション」にも入っているのですが、閲覧は館内及び図書館送信参加館限定のようです。https://t.co/BvlmrGjmRB
最近、室町後期と戦国時代の畿内史が自分の中でようやく繋がってきた実感がありますが、こちらの論文も面白かったです。摂津西成郡、中島城といえば典厩家ですが、嘉吉の乱で分郡守護が赤松家から没収され御料所となり、細川持賢が代官に任命されたのが始まりだったという話。 https://t.co/tjQbCbU2WM

86 0 0 0 OA 十二類巻物

国会図書館蔵「十二類絵巻」各種 https://t.co/rEDeT5OJaB
@Gonta_Lineiden @yuzukoseuG https://t.co/bLs7kWtLHC 城廓図があった。北條三郎氏の居城だって。
ちなみに室町幕府奉公衆には、鎌倉府奉公衆の同族別系も多い。https://t.co/7ARV2Gz0YR
承前)「マリア十五玄義図「原田家本」(京都大学所蔵)について https://t.co/AlB2cGoMnZ 同「東家本」について https://t.co/SQRcNVjfmm
承前)「マリア十五玄義図「原田家本」(京都大学所蔵)について https://t.co/AlB2cGoMnZ 同「東家本」について https://t.co/SQRcNVjfmm
PDF公開。中嶋愛「中世後期の春日社関連の史料の調査・分析」(『年報:名古屋大学大学院人文学研究科教育研究推進室』2017年度、2018年7月)春日社未公刊史料の調査の一環として、室町後期の社家日記である「社頭諸日記」のうち明応9年(1450)6月条の記事を翻刻・紹介。https://t.co/Lk9dCpkuGo
奥羽仕置と稗貫氏―『稗貫家譜』の分析から―(2014) https://t.co/OsbSJCyUDJ
川嶋氏所蔵文書中の九戸一揆関係文書について(2009) https://t.co/W3JkciXjx0 (自動DL注意)https://t.co/7yxje8D7uS
川嶋氏所蔵文書中の九戸一揆関係文書について(2009) https://t.co/W3JkciXjx0 (自動DL注意)https://t.co/7yxje8D7uS
三戸南部氏と糠部「郡中」(1995) https://t.co/B7DgSpSfsz https://t.co/gNUZdRA8sj
九戸一揆の一断面(2002) https://t.co/TJJfOZdZOs
清末における中国漆の日本輸出について https://t.co/dtEUmlyTXM 中国の漆産地や明治時代の漆輸入の変動、清国内での工芸振興による漆需要の増大などいろいろ興味深い
アイリーン・グレイが学んだ菅原精造の日本漆芸の背景 https://t.co/dS7gYvXDd1 高村光雲と一緒に写っている写真もある。女性頭部の彫刻の写真なども。 「菅原は、 自身を漆芸家としてだけでなく彫刻家と自任していた」ことが示されている。
適当に検索しただけだけど、鼇頭評註春秋左氏伝校本. 9,10 https://t.co/AhnxkHp4s4 コマ番号22 これけっこう似てない?これそのものじゃないけど、この本の別バージョンかも? https://t.co/lbjbtf3eRU
一九二六年米国独立百五十年記念万国博覧会出品団体代表者視察報告 https://t.co/kGpPOvE9Th 「漆器ニ就テ」 この頃は明治の頃と違い日本の輸出漆器も粗製乱造ばかりになったみたい。米国市場で競合するドイツ、米国、英国製の模造漆器についても記述あり

46 0 0 0 OA 御伽草紙

猫の草子、ここに原文があったので読みました。面白いです(^^) https://t.co/PJduXHVUrR 清田啓子さんの「ねこのきづな」(ciniiで見つかった)も面白いですよ。 泉岳寺について調べていて見つけました。 https://t.co/BUKrw2XlPu
鎗の金属組成を調べた報告があったのでメモ。 https://t.co/RCPfcJRhiu
国立国会図書館デジタルコレクションが公開中の「モージャー氏撮影写真資料」。終戦後のカラー写真とはたまげたな~。 被爆翌年の広島市役所のカラー写真は地元民なので涙物だ。 https://t.co/CRsjIz37l0 … #モージャー氏撮影写真資料 #原爆 https://t.co/HNaJqzmzQR
一時期サイト移動して、見れなくなってた 佐々木紀一「源義忠の暗殺と源義光 」https://t.co/A4xJN1OBpK が、また見れるようになってた!最近通説になりつつある、源為義は義家四男説の元の論文。
白峰旬センセは『慶長庚子の大乱』『慶長庚子の大兵乱』を提案してるのね。 関ヶ原の戦いにおける石田三成方軍勢の布陣位置についての新解釈 : なぜ大谷吉継だけが戦死したのか https://t.co/aKNL5KKzXs
これで1冊書いてる方がいるのね / “CiNii 図書 - 芥川上流域における水論の史的研究 : 三好長慶裁許書絵図、川替え、服部村・郡家村・真上村水論を中心に” https://t.co/ovu2sb5CNd
琉球における官話と漢語・朝鮮語による琉球語資料の研究 https://t.co/jzmqCdFneB
「三信遠における死霊祭儀 」 静岡県浜松市水窪町における霜月祭と念仏踊の比較研究 井上隆弘 (国立歴史民俗博物館研究報告 第142集 2008年3月) https://t.co/whtRxeCqHd
明治44年6月15日、大鳥圭介が死去。伝記に、山崎有信『大鳥圭介伝』(マツノ書店、2010年復刻。初版1915年)。外交官時代を研究した論文に、大澤博明「大鳥圭介公使の朝鮮帰任(一八九四年六月)について」(『熊本法学』124)。 https://t.co/mifbom9Pz8
若林陵一 「中世後期近江国蒲生下郡・上郡・〈境界地域〉と佐々木六角氏」(『東北文化研究所紀要』45号、2015年12月)近江国の「蒲生下郡」と「蒲生上郡」の狭間に位置する佐々木荘・「佐々木」関係荘園の様相を考察。https://t.co/9XwZPsitKi

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