- 著者
-
平田 将士
宮川 崇
- 出版者
- 日本鱗翅学会
- 雑誌
- 蝶と蛾 (ISSN:00240974)
- 巻号頁・発行日
- vol.57, no.3, pp.187-201, 2006-06-30
- 参考文献数
- 10
Atrophaneura nox (Swaison, 1823)は,インドネシアのジャワ島から原名亜種が記載された.マレー半島からボルネオ,スマトラ,ジャワとそれらの島々の近辺の島嶼に至る広範な分方域を持ち,地理的変異が著しいことから,現在11亜種に分類されている.筆者らはそれらの亜種の再検討を行い,更にバニャック諸島とシンケップ島の2地域に産する個体群を新たに2つの亜種として記載する.また,既に記載されている11の亜種について,下記3点の変更を提案する.1点目として,海南島から記載されたA. nox hainaneusis Gu, 1997は記載図から判断する限り,A. varuna astrorion (Westwood, 1842)のシノニムである.2点目として,中部スマトラから新種として記載されたA. tungensis Zin et Leow, 1982は,♂の形状がA. noxの北部スマトラ亜種A. nox henricus (Fruhstorfer, 1898),同南部スマトラ亜種A. nox solokanus (Fruhstorfer, 1902)と殆ど差がないこと,この両亜種と分方域が重ならないことから,独立種ではなく,A. noxの一亜種と思慮する(A. nox tungensis Zin et Leow, 1982, stat. nov.).3点目としては,北ボルネオに産する個体群を西部ボルネオ産,南部ボルネオ産と区別して,新たな亜種とすることを提唱する.「ザイツ」の中でJordan (1910)は北部ボルネオの中に2つの型が存在することを記しており,1つはA. nox noctis (Hewitson, 1859)であり,もう1つは♂をf. noctula (Westwood, 1872),♀をf. strix (Westwood, 1872)としている.筆者らが実見している標本では,西部ボルネオからもたらされるものがJordanの示しているnoctisに合致するものであり,北部ボルネオ産♂がf. nocturに,♀がf. strixに該当する.また,亜種のnoctisの正確な原記載産地が筆者らにとっては「ボルネオ」以上に詳細には判らないことから,当報文では西部ボルネオ産にnoctisを充てる.更にWestwood (1872)によって同時に提唱された2つの名称については,地理的な相異に言及していないものの,既にFruhstorfer (1898)がnoctulaを種名として使用しているため,筆者らは北部ボルネオ産にnoctulaを充てることを提唱する.これらの所見をふまえ,筆者らはA. noxをnoxグループ,smedleysグループ,erebusグループ,noctisグループの4グループに大別し,各々のグループの特徴を考察した.なお,新たな2亜種の特徴は後述の翅りである. Atrophaneura nox hirokoae Hirata et Miyagawa, ssp. nov. (Figs 19-22) バニャック諸島に産する.バニャック諸島は,北部スマトラ島の西側に位置し,北をシムルエ島,南をニアス島に扶まれた,小さな島嶼群である.今回記載する新亜種は,このバニャック諸島中のTuangku島より得られたもので,筆者の所有する5♂5♀に基づいたものである.♂♀ともに近接する北部スマトラ産,ニアス産の亜種よりも,マレー半島産のものに近似した特徴を持つ.すなわち,スマトラ産,ニアス産と比べ,♂では翅表により強い金属光沢を持つこと,♀では翅表により強い金属光沢を持ち,前翅翅脈に沿った白化が前翅端部にとどまること,また,後翅の白化は外緑部のみで翅脈に沿って全体的に白化しないことで容易に区別される.マレー半島座と比較すると,♂♀ともに翅表により強い金属光沢を持ち,色調が強く青緑色を帯びる.♀では,特に後翅の光沢部がより広く発達し,翅脈に沿った部分にとどまらず,後翅全体に拡がる.また,前翅裏面の翅脈に沿った白化が全体的に拡がらないことで区別される.バニャック諸島は,マレー半島からはスマトラ島を隔てているにも拘わらず,こうした特徴を持つことはとても興味深い.なお,この亜種名hirokoaeインドネシアと日本との友好関係の樹立に尽力された,トヨタ自動車(株)取締役名誉会長豊田章一郎氏の令夫人である豊田博子氏に献名されたものである. Atrophaneura nox miekoae Hirata et Miyagawa, ssp. nov. (Figs 49-52) シンケップ島に産する.シンケップ島は,中部スマトラ島の東,リンガ島のすぐ南に位置する.地理的な位置はボルネオ島よりスマトラ島に近いが,今回記載した亜種はスマトラに産するものよりも寧ろ♂ではマレー産に,♀では南部ボルネオ産に近い特徴を持つ.すなわち,♂においてはマレー半島のように金属光沢を持ち,♀においてはスマトラ産と比べると金属光沢は弱く,後翅翅脈に沿った白化傾向が無いことから容易に区別される.南部ボルネオ産との比較においては,♀の前翅端部の翅脈に沿った白化によって形成される白斑が小さいこと(当亜種は前翅端にとどまるが,南部ボルネオ産は前翅表半分程度拡大する),後翅外緑部に顕著な白化部分があることで区別される.なお,この亜種名miekoaeは,筆者の1人,平田の妻実江子に献名されたものである.本報文をまとめるにあたり,貴重な標本の写真撮影を許可して下さった塚田悦三氏,平岡正之氏,内容についてのひとかたならぬご指導をいただいた吉本浩氏,種々ご教示いただいた矢後勝也氏,上田恭一郎氏,勝山礼一郎氏,報文作成にご協力いただいた,佐藤葉子氏,中野規子氏に心からお礼申し上げます.また,標本人手にご尽力いただいた,故大谷卓也氏に心より感謝するとともにご冥福をお祈り致します.