40面相のくりいむ (@muhonnocream)

投稿一覧(最新100件)

RT @NDLJP: 『#外国の立法』No.293を掲載しました。 #特集 #動物保護 フランスにおける動物保護に関する法律の改正 https://t.co/ppKztg4v8l
RT @tunemage: カフカ「断食芸人」いろんな解釈があるんだな。 僕には「職業を選んだ以上はそれを全うする以外ない。そこには世間の評価も自分の意思も大して関係ない」という冷徹なリアリズムを描いてるように読めた https://t.co/GCAMqzpkBz htt…
RT @y_mat2009: 集団結婚式で韓国人と結婚した日本人妻の中には、夫が結婚目的で統一教会の信者になっただけの場合が少なくなく、夫の仕事は安定せず生活は楽でないため、統一教会の説く理想の家庭と現実のギャップが埋まらないと言う話もあるようだ。 https://t.co/f…

6 0 0 0 日土交渉史

RT @erkaniharbiye5: 慶應は日本初のイスラーム地域研究者に博士号を与えた大学である。その研究者こそ内藤智秀(1886-1984)で、彼は明治45年に東大西洋史を卒業、高校や外務省での勤務を経て、慶應の教授となってから同校に博論「日土交渉史」を提出した(昭和7年…
RT @sokosokosokosan: 入院費用と電気代の比較は、学会論文のテーマにもなるほどマジなやつで、ネタではございません。 https://t.co/FLAzsz99Wn

19 0 0 0 OA 一瓢雑話

RT @ToyosakaLabo: 福沢諭吉の義甥、今泉一瓢(今泉秀太郎)は慶應義塾在学時に田宮流を習っていたようだ。てっきり撃剣だけだと思っていたけれど、居合も教えていたのか。 https://t.co/XEpTqKaF4U

21 0 0 0 OA 関八州名墓誌

RT @kishimoto_yoshi: 有名人の墓を巡る人を掃苔家というが、昨今は墓マイラーとも言うらしい。大正時代の時山弥八もそんな趣味を持った人物。関東大震災で原稿を失う悲劇の乗り越えて大正15年『関八州名墓誌』を上梓した。来年の大河の主人公北条義時、宮本武蔵、吉田松陰、…
RT @k_hisane: 【J-STAGE Articles - 大名の乳幼児死亡率1651~1850年 : 大名系譜の分析】 https://t.co/C9Yac9Q8rA 最後の話に繋げて書くと、そもそも将軍家や大名家といった当時最上の生活環境と医療を受けられた層ですら…
RT @shinkai35: 00年代初頭くらいから、なぜか事実に反して、日本の治安はすごく悪くなったと認識する人が増えたんですよ。これを治安悪化神話といいます。それ以前は、日本は治安のいい国という認識が一般的でした。この論文が参考になります。/日本の治安悪化神話はいかに作られ…
RT @zasetsushirazu: 昭和14年9月7日、渡辺蒿蔵(天野清三郎)が死去。吉田松陰の松下村塾門下生の、最後の生き残り。幕末期には奇兵隊にも加入した。海外留学して帰国した後、造船技術者として活躍。牛見真博「近代造船の先駆者・渡辺蒿蔵(下)」(『大島商船高等専門学校…
RT @Ayukawa_Reiji: J-STAGE Articles - バーチャルYouTuber の肖像権 https://t.co/rA3CtBHtW1 原田伸一朗先生の新しい論文だ
RT @tsundokulib: 五島慶太が鉄道院の官僚のときにテイラー『科学的管理法』を訳してたのか CiNii 図書 - 工場會社學理的經營法 https://t.co/tvpbi1zKlO #CiNii
RT @k_hisane: 【大名の乳幼児死亡率1651~1850年 : 大名系譜の分析】 https://t.co/QLZ7nWjtwl 江戸時代の大名家の乳幼児死亡率について調べたら、乳児死亡率が19.3%、幼児死亡率が22.9%、合わせて42%越えててドン引きする。5人中…
RT @nekonoizumi: 第二次大戦期のイギリスの主に「中産階級のスクールガール」向けの雑誌『ガールズ・オウン・ペーパー』で1940年10月に連載が始まった、空軍の後方支援の女性部隊の隊員が主人公の冒険小説『女性空軍補助隊のウォーラルズ』についての分析・考察論文のようだ…
RT @zasetsushirazu: 明治43年6月16日、島津珍彦(島津備後)が死去。島津久光の子で、薩摩藩主・島津茂久(忠義)の弟。慶応3年には西郷隆盛や大久保利通に近い人物だった。針貝綾「鹿児島県の屋外彫刻」(『鹿児島県立短期大学地域研究所研究年報』34)は、大正期に建…
RT @shigekzishihara: @obenkyounuma あーこれ,全然意識していなかったんですが,非常におもしろいからくりですね. https://t.co/80n611XEGm 柴 由花 (2008) 環境保全と税に関する一考察─スウェーデンを参考として,日本不…
RT @monogragh: 森田吉彦「戦後日本の知識人とマスメディア──高坂正堯とNHKの場合」(2021) https://t.co/i5P5JYAgMM これはおもしろい。高坂正堯のNHK出演をとりあげたもの。画像多数。
RT @zasetsushirazu: 大正11年5月19日、江原素六が死去。幕末の幕臣で、戊辰戦争で新政府軍と戦った後、沼津兵学校設立の中心人物。麻布尋常中学校(麻布学園の前身)を創設。久木幸男「江原素六教育勅語変更演説事件」(『教育学部論集』4)は、「教育勅語を批判」した1…
RT @zasetsushirazu: 笹部昌利「幕末期土佐藩の国事運動と「政治犯」化」(『京都産業大学日本文化研究所紀要』26、2021年)は、「武市半平太ら土佐勤王党により主導された藩外交のありようを、藩当局者が如何に捉えていたのかを考察」。その際、行政を監査した小目付たち…
RT @dellganov: 松井勇起「図書館員の待遇の考察 ― 機能としての「低賃金カルテル」 ―」 図書館員の仕事は誰でもできるから低賃金と見なされているが、実際は低賃金構造を固定化する賤業バイアス(低賃金な仕事は誰でもできるだろう)などによる低賃金カルテルが原因とする論…
RT @ShinHori1: → 昭和天皇の皇女の和子さんは、摂関家の子孫の名門・鷹司家の平通氏と結婚しましたが、1966年に鷹司平通氏は銀座のバーの女性と心中事件を起こして亡くなりました。 皇族女性は、名門と結婚すれば万事安心ということでもないのです。 https://t…
RT @zasetsushirazu: 明治6年4月9日、広沢健三が死去。初期の明治政府で、木戸孝允と並ぶ長州藩出身の大物だった広沢真臣の子。米国留学中、 19歳の若さで病死した。重松優「広沢真臣の子,健三のアメリカ留学について」(『学苑』930、2018年)は、明治初年の教育…
RT @chijiwa_yasuaki: 【お知らせ】本日より拙稿「#戦争終結 の理論」『#国際政治』195号(2019年3月)(編集主任は泉川泰博先生)のPDFファイルをフリーで閲覧・ダウンロードしていただくことが可能になりました。 https://t.co/9WYHU27E…
RT @T_urade1987: 大河ドラマの影響もあってか、川村正平関係文書がデジタル公開されましたね。武田観柳斎の直筆書簡も誰でも見れるようになりました。 https://t.co/Bgt0hxnN9R
RT @nekonoizumi: 湯浅 吉美「真如(高丘親王)の薨伝について : 虎に喰われた?元皇太子」、面白かった。>RT 紀要とはこうつかうものだという一つの形でもある。 https://t.co/RVDIHIidya
RT @zasetsushirazu: 明治43年1月20日、清水卯三郎が死去。慶応3年のパリ万博に、唯一の日本人商人として出品。薩英戦争後に五代友厚と寺島宗則を匿った。白山映子「清水卯三郎の政治観」(『東京大学大学院教育学研究科紀要』49)は、「海外からの啓蒙思想を移入した人…
RT @jshiratori: 南京事件云々というツイートが流れてきたが、そんなにみんな関心があるならWEBに出ている虚実ないまぜの情報では無く原剛「いわゆる「南京事件」の不法殺害:その規模と要因」『軍事史学』第43巻第3・4号 http://t.co/hqxyTYirpO 辺…

20 0 0 0 OA 戦争地理学研究

RT @Kazuto_Takeuchi: 戦前の日本で学者が出した軍事地理学の最初の研究は、おそらく小川琢治(元京都帝国大学教授)『戦争地理学研究』(古今書院、1939年)だろうと思います。 こちらは国会図書館デジタルコレクションで読むことができるので興味があれば確認してみてく…
RT @618sp: @nkpnt571 毛沢東自身は女性史にも造詣が深いですが、この論文では大躍進期の女性モデルが花木蘭といった英雄的女性像に基づくのに対し、毛沢東の男女平等スローガンや鉄の娘は歴史的素材に依拠することなく作られた新しいヒロイン像と解釈されているのでこっちのが…
RT @nekonoizumi: PDFあり。 ⇒シナン・レヴェント 「聞き書き 福田康夫元総理「中東」関係回想録 : 認識と政策」 『立教法学』100 (2019) https://t.co/9Ax7NLqo8P
RT @zasetsushirazu: 明治15年8月9日、大島友之允が死去。幕末の対馬藩士で、木戸孝允と親しかった。沈箕載「幕末期の幕府の朝鮮政策と機構の変化」(『史林』77-2)によれば、朝鮮進出(征韓)を主張し、対馬藩への財政援助を幕府に要求する運動に積極的で、幕閣に働き…
RT @earthcolor369: 皇學館のレポジトリには新田均氏の「国家神道」論が色々上がっているのだけれど、よく見たら『近代政教関係の基礎的研究』とか『「現人神」「国家神道」という幻想』(旧版)とかまで出ていてびっくりした。 https://t.co/Ym1kbGbw7W

18 0 0 0 OA 柳田國男と仏教

RT @nekonoizumi: PDFあり。 「柳田國男が仏教を嫌っていたとするのは、単なる俗説であって真実ではない。」 ⇒高見寛孝 「柳田國男と仏教」 『二松學舍大學論集』63号(2020-3) https://t.co/uvJG7nYElk
RT @zasetsushirazu: 明治5年5月24日(1872年6月29日)、土肥大作が死去。丸亀藩出身の尊攘派志士としての活動を経て、丸亀藩権大参事に就任。中山光勝「明治4年・丸亀県土肥大作襲撃事件関係資料(1)」(『身延山大学仏教学部紀要』2)は、家禄削減をめぐる問題…
RT @frantuyozehu: ブルクハルトの三十年戦争の翻訳をネットで読めるとか激エモすぎる。 https://t.co/3gTWLE7Xf6
RT @machi82175302: 続き)近藤長次郎は坂本龍馬とこの時点では同格であり、薩長融和に果たした役割を看過すべきではない」として、近藤長次郎を高く評価している。拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」は、以下からダウンロードできます。https…
RT @zasetsushirazu: 明治20年3月7日、黒田長溥が死去。薩摩藩主・島津重豪の子で、幕末の筑前福岡藩主。蘭癖と呼ばれた大名の1人。慶応元年に加藤司書や月形洗蔵らを弾圧した「乙丑の獄」について、西尾陽太郎「黒田長溥と筑前勤王派」(『史淵』98、1967年)をネッ…
RT @washou3956: 坂口太郎『大正・昭和戦前期における徳富蘇峰と平泉澄』(第19回松本清張研究奨励事業研究報告書、北九州市立松本清張記念館、2019年)読了。官学アカデミズムと民間史学が交錯した近代史学史の一断面を、平泉と徳富に注目して描き出す。圧巻。史料編の四一号…
RT @machi82175302: 佐々木克『幕末政治と薩摩藩』を久々に拝読。薩長同盟に関しては、だいぶ私の見解と異なっている。拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として」(神田外語大学日本研究所紀要、2017年3月)を参照下さい。https://t.co/q…

8 0 0 0 OA 史籍雑纂

RT @T_urade1987: これを見れば分かるように大政奉還で会津藩は驚愕、寝耳に水と言った反応を示しています。「六ケ年来の御誠忠も、水の泡と相成候」とまで書いている訳で、会津にとって大政奉還は望ましい事態ではなかった訳ですね。それを断行した後藤、小松が敵になるのも分かり…

3548 0 0 0 OA 裸に虱なし

RT @tiyu12sai: 100年前(1920年)の本の、女性は自転車に乗るなという主張 「身体の震動が陰部に快覚を喚起して」「性欲心を増長せしめること確実」「間がな隙がな情人を漁り廻る事になる」「自転車に乗る女の素行を調べてみたまえ、淫奔の性情でない者はあるまい」http…
RT @zasetsushirazu: 水上たかね「幕府海軍における「業前」と身分」(『史学雑誌』122-11、2013年)曰く、幕末の幕府海軍では職務に必要な能力を「業前」と呼んで重視し、人材を登用した。だが、「家」の枠組は強固で、家督相続で別の役職に就いて海軍を離れる人材流…
RT @zasetsushirazu: 明治20年10月16日、真田喜平太(幸歓)が死去。幕末の仙台藩士で、真田信繁の子孫と言われる。高島流砲術を学んだ砲術家で、竹ヶ原康佑「嘉永期における仙台藩重臣・中嶋恒康の海防政策と砲術攻究」(『明治大学博物館研究報告』20)は、中嶋恒康の…
RT @zasetsushirazu: 明治39年9月28日、佐々友房が死去。幕末の熊本藩出身で、西南戦争で西郷軍に参加して投獄された。上村直己「佐々友房と独逸学」(『熊本学園大学論集 総合科学』20-2)曰く、「勤王・国権を一大主義とする紫溟会を有志と共に結成。天皇主権を主と…
RT @zasetsushirazu: 明治2年6月6日(1869年7月14日)、鵜殿鳩翁(長鋭)が死去。幕臣で、日米和親条約交渉に携わり、文久3年に浪士組取扱。永井尚志は、「人材登庸を重んし、職掌を辱めす」と評した(河内八郎「伊達宗城とその周辺(続)」『茨城大学人文学部紀要…
RT @zasetsushirazu: 大正4年5月11日、古荘嘉門が死去。幕末の肥後藩出身で、井上毅と同門。明治初期に河上彦斎と共に反政府の運動に関与。野口真広「台湾総督府内務部長古荘嘉門について」(『社学研論集』4)曰く、明治20年代の対外硬運動を担った国権党初代総理で、日…
RT @nagisanoyuki: 「今日の大久保利通の手紙を読む」講座で読んだ「維新史」に、明治になって春嶽公が岩倉卿に対し、今後は中宮ではなく皇后と称すべきと建議したことが書いてあって、またひとつ春嶽公に関する蘊蓄を入手しました。 https://t.co/JbWlkNxe…
RT @zasetsushirazu: 明治17年4月12日、関口開が死去。幕末の加賀藩出身で、西洋数学を独学で修得。明治6年に出版した『新撰数学』は、22万部のベストセラー。初期の東大の数学科卒業生には、関口の教え子が多い。高瀬正仁「関口開と石川県加賀の数学」(『数学通信』1…
RT @zasetsushirazu: 元治2年2月28日(1865年3月25日)、西川升吉が死去。幕末の赤穂藩出身で、文久2年に家老の森主税および藩儒の村上真輔を暗殺(文久事件)。土佐藩の吉田東洋暗殺を参考にしたとする説がある。福永弘之「もう一つの「忠臣蔵」(I)」(『神戸文…
RT @minzokunokai1: 科研で詳細目録作っている→歴博資料目録6『平田篤胤関係資料』「平田篤胤関係目録」。科研の報告はこちら https://t.co/ONBZxgazSe
RT @zasetsushirazu: 昭和55年11月2日、山川菊栄が死去。『覚書 幕末の水戸藩』や『武家の女性』などの著書がある。幕末の水戸藩士・青山延寿の孫。林葉子「〈生活〉と〈歴史〉を結ぶもの」(『同志社法学』50-4)は、「社会史」という観点から山川を再評価。 htt…
RT @T_urade1987: 勝海舟関係文書「伊藤甲子太郎建言書」。おや、と思う方もいるでしょう。しかし、末尾を見てください。慶応四年三月、既に新選組のその人は死んでいます。更に「臣重固」とあるのにご注目を。伊東の諱は武明ですよね。そう、伊東甲子太郎がもう一人、幕末期にはい…
RT @zasetsushirazu: 昭和60年3月7日、森銑三が死去。『森銑三著作集』が「正」と「続」の合計で30冊ある。高木浩明「資料紹介 森銑三刈谷日記・上(大正五年六月一七日~一二月三〇日)」(『書物・出版と社会変容』21、2018年)は、幕末の国学者・村上忠順の旧蔵…
RT @nekonoizumi: そういえば、さっきの大川周明左翼・中国工作員説、『日本二千六百年史』についての話ということもあって、蓑田胸喜のこれ連想した。 蓑田胸喜『大川周明氏の学的良心に愬ふ : 「日本二千六百年史」に就て』(昭和15) 国立国会図書館デジタルコレクション…
RT @zasetsushirazu: 明治33年2月26日、品川弥二郎が死去。長州藩出身で、慶応2〜3年、京都の薩摩藩邸内に長く滞在し、薩長提携の象徴のような役割を担った。齋藤伸郎「品川弥二郎 明治十四年懐中日記」(『獨協学園資料センター研究年報』8・9)曰く、明治14年の日…
RT @zasetsushirazu: 慶応3年12月26日(1868年1月20日)、上山藩士・金子与三郎が死去。薩摩藩邸焼討事件で負った傷が死因。清河八郎暗殺に関与した疑惑がある。長南伸治「近代における旧上山藩士金子清邦像形成に関する一考察」(『国士舘史学』21)は、清河八郎…
RT @arishima_takeo: 野澤秀樹「エリゼ・ルクリュの地理学とアナーキズムの思想」、『空間・社会・地理思想』、大阪市立大学大学院文学研究科地理学専修、2006。これはウェブで読めるよ。https://t.co/wGOY0UrVuv
RT @zasetsushirazu: 慶応3年12月26日(1868年1月20日)、上山藩士・金子与三郎が死去。薩摩藩邸焼討事件で負った傷が死因。清河八郎暗殺に関与した疑惑がある。長南伸治「近代における旧上山藩士金子清邦像形成に関する一考察」(『国士舘史学』21)は、清河八郎…
RT @zasetsushirazu: 慶応3年12月25日(1868年1月19日)、三田の薩摩藩邸焼き討ち事件があった。奈倉哲三「『復古記』不採録の諸記録から探る江戸情勢(三)」(『跡見学園女子大学文学部紀要』50、2015年)は、諸史料から事件の実態解明を試み、益満休之助が…
RT @zasetsushirazu: 安政6年10月6日(1859年10月31日)、三条実万(三条実美の父親)が死去。幕末の公家社会で影響力のあった人物。佐竹朋子「三条実万の思想形成について」(『京都女子大学大学院文学研究科研究紀要 史学編』4、2005年)は、実万の日記など…
RT @zasetsushirazu: 安政6年9月24日(1859年10月19日)、儒者・佐藤一斎が死去。林述斎(岩瀬忠震の祖父)の門人で、昌平黌の教授を務めた。表向きは朱子学を講じたが、実際は陽明学を奉じていた。下記PDFは、中村安宏「林述斎と佐藤一斎の皇統意識について」(…
RT @zasetsushirazu: 落合延孝「水戸浪士と上州-森村新蔵「享和以来新聞記」より-」(『群馬大学社会情報学部研究論集』11)は、元治元年に、天狗党と呼ばれる水戸浪士たちが上州で行った軍用金調達は、「諸藩の統治能力が低下してきたことを証明する」と指摘。その動向に関…
RT @zasetsushirazu: 明治32年9月26日、大木喬任が死去。幕末の佐賀藩出身で、明治期に東京府知事、文部大臣、司法大臣などを歴任。湯川文彦「明治初年の民政改革における〈教育〉の台頭」(『日本の教育史学』58)は、学制公布時の文部卿・大木の、民政経験を活かした教…
RT @konamih: ヤマカガシは非常に穏和な蛇で子どもの頃には捕まえて遊んでいた。84年の死亡例は,ニュースの記憶では少年が口に指を突っ込んで毒が入ったもの。実質的な危険はスズメバチなどよりはるかに小さく,そこらにいても放っておけばいいこと。 https://t.co/w…
RT @zasetsushirazu: 添田仁「神戸外国人居留地と福原遊女・新撰組」(『海港都市研究』5、2010年)は、神戸大学が所蔵する「神戸開港文書」の内容の一部を紹介。慶応4年の神戸外国人居留地で、元新選組隊士が雇われていたという。そのことは、兵庫県権知事だった伊藤博文…
RT @zasetsushirazu: 明治30年1月25日、松平直克が死去。松平春嶽の後、幕府の政事総裁職に就任。本拠を武蔵川越城から前橋城に移した。布施賢治『下級武士と幕末明治-川越前橋藩の武術流派と士族授産-』(岩田書院)は、直克の軍制改革にも言及。基となった博士論文を下…
RT @zasetsushirazu: 須賀忠芳「ストーリー化された歴史観光素材の功罪をめぐって-「幕末会津」をめぐる言説を中心に-」(『観光学研究』17、2018年)は、白虎隊像などの「定番化された「幕末会津」をめぐるストーリー」に関する問題点を、大河ドラマ『八重の桜』の話も…
RT @inuchochin: スポーツ史学会第29回大会特別講演 「上州の在村剣術馬庭念流と武芸のネットワーク」 https://t.co/RoftsSCVdR 国定忠治の時代の高橋先生による講演のPDF、非常に面白い。先日から話題になっている、閉鎖性の問題と関係がありそうで…
RT @kagopic: この中の「元治元年前半の薩摩藩の諸問題―小松帯刀の動向を中心に」に、西郷隆盛が沖永良部島から召還された経緯が記されています。 無料でDL・閲覧できるので、是非。 #西郷どん https://t.co/hm7apkpySE https://t.co/…
RT @zasetsushirazu: 濱口裕介「榎本武揚「共和国」言説に関する一考察」(『札幌大学女子短期大学部紀要』65、2018年)は、歴史家たちの榎本武揚政権への言動を紹介。例えば、日本とは別の「共和国」が北海道に存在していたと認めたら、北方領土問題で日本に不利になると…
RT @nekonoizumi: PDFあり。 「現代中国におけるスポーツと社会階層 : 都市の武術学校への転入学者を事例に」『フォーラム現代社会学』9, 2010 https://t.co/fUDBEER9ZR 「武術学校のエスノグラフィ:再生産戦略とアイデンティティ構築の…
RT @nekonoizumi: PDFあり。 「現代中国におけるスポーツと社会階層 : 都市の武術学校への転入学者を事例に」『フォーラム現代社会学』9, 2010 https://t.co/fUDBEER9ZR 「武術学校のエスノグラフィ:再生産戦略とアイデンティティ構築の…
RT @nekonoizumi: 池本淳一「中国における「公」と自衛--村落武術・紅槍会を事例として」『日中社会学研究』13, 2005 https://t.co/S5hcENoLAM 「現代中国における武術サブカルチャーとその担い手たち--社会学的武術研究のための一考察」『2…
RT @nekonoizumi: 池本淳一「中国における「公」と自衛--村落武術・紅槍会を事例として」『日中社会学研究』13, 2005 https://t.co/S5hcENoLAM 「現代中国における武術サブカルチャーとその担い手たち--社会学的武術研究のための一考察」『2…

12 0 0 0 OA 続再夢紀事

RT @T_urade1987: この続再夢紀事(枢密備忘からの孫引き)の記述は新選組を考える上でも重要です。守護職松平容保は当初水戸の武田耕雲斎を頭目にして浪士を統轄させ攘夷を行おうと考えていた訳ですね。 https://t.co/euQ4yUlzCm
RT @zasetsushirazu: 1883年3月9日、アーノルド・トインビーが死去。産業革命の概念を学術的に提唱した英国の経済史研究者で、主要著書は何度も邦訳されている。社会福祉の分野における運動でも知られる。藤井透「アーノルド・トインビー研究の歩み」(『佛教大学社会学部…
RT @aishokyo: 1878年に出版された川島忠之助訳「新説 八十日間世界一周」が日本におけるジュール・ヴェルヌの最初の紹介のようです。翻訳者は銀行家でした。 https://t.co/eh3BJFy9cp https://t.co/sVofFMoCzR
RT @zasetsushirazu: 明治30年1月25日、松平直克が死去。松平春嶽の後、幕府の政事総裁職に就任。本拠を武蔵川越城から前橋城に移した。布施賢治『下級武士と幕末明治-川越前橋藩の武術流派と士族授産-』(岩田書院)は、直克の軍制改革にも言及。基となった博士論文を下…
RT @zasetsushirazu: 明治24年1月22日、元田永孚が死去。元田を論じた研究書に、池田勇太『維新変革と儒教的理想主義』(山川出版社、2013年)があるが、その元論文の1つ「公議輿論と万機親裁-明治初年の立憲政体導入問題と元田永孚-」(『史学雑誌』115-6、2…
RT @NDLJP: ◆「歴史的音源」新規インターネット公開音源◆ 『精神教育資料 山本元帥の戰死を悼み日本國民各位に告ぐ(一)』 評論家の徳富蘇峰による講演です。(二)~(四)の音源もあります。#ndldigital https://t.co/tDBr4PrGsD http…
RT @zasetsushirazu: 明治39年10月27日、海江田信義が死去。大村益次郎の殺害犯処刑を直前で停止させた(粟田口止刑事件)。その理由として、笠原英彦「弾正台と行政監察」(『法学研究』72-3)は、大村との確執や守旧的思想ではなく、手続き上の齟齬だと指摘。 ht…
RT @zasetsushirazu: 高久智広「出世双六にみる幕臣の出世」(『国立歴史民俗博物館研究報告』182、2014年)は、武士の出世を題材にした双六を題材に、江戸幕府の幕臣たちの出世観などを分析。上司や同僚との間の贈答儀礼が、昇進と不可分の関係にあったと指摘。 ht…
RT @prolegomena1783: 一読に値する正鵠を射た論考。 『幸徳秋水の天皇観』(pdf) https://t.co/FxcLevsqOO
RT @zasetsushirazu: 明治20年12月6日、島津久光が死去。薩摩藩主の実父という立場で、文久2年に率兵上京を実行。町田明広「幕末中央政局における「皇政回復」」(『佛教大学大学院紀要 文学研究科篇』38)の言葉を借りれば、「その後の幕末史の方向を決定付けた最も重…
RT @machi82175302: 続き)このあたり、拙稿「第一次長州征伐における薩摩藩―西郷吉之助の動向を中心に― 」を参照ください。以下、ダウンロードも可能です。https://t.co/in1GB6YkW2
RT @hosikita: まあ、俺程度の人間でも思いつけるような問題意識なわけだから、既に取り組んでいる人がいるんだな。 「朝鮮総督府官僚のアイルランド認識」https://t.co/OI7YmZpBqP 「植民地官僚のアイルランド問題認識」https://t.co/M9Z…
RT @hosikita: まあ、俺程度の人間でも思いつけるような問題意識なわけだから、既に取り組んでいる人がいるんだな。 「朝鮮総督府官僚のアイルランド認識」https://t.co/OI7YmZpBqP 「植民地官僚のアイルランド問題認識」https://t.co/M9Z…
RT @machi82175302: 拙稿「安政東海地震とプチャーチン : ディアナ号の遭難と日露友好 (日本研究所主催講演会 要旨) 」(『平成25年度神田外語大学日本研​究所紀要』6号)は、以下からご覧いただけます。 https://t.co/4aFWiVFAYN

187 0 0 0 OA 学士の陰謀

RT @nagathuki: さっきRTした「学士の陰謀」まさかの近デジで全文掲載w!http://t.co/mzg8fFFgaQ @sktmzi せんせいに教えて貰った!ゴシップ感満載目次から気になる人は読もうw! https://t.co/wFgkUa6igS http:/…
RT @troubadour_k: 続)トマス・アラキは滞欧時から既にキリスト教布教と植民地支配の連動に気付き、信仰は持ちつつ、欧人宣教師に不信感を持っていたらしい。高瀬弘一郎「転び伴天連トマス・アラキについて」(『史学』48-4、1978年)という論文がこちらで読める。htt…
RT @hayakawa2600: 昨日教えてもらった野崎有以「「生活科学」から「家政学」へ」http://t.co/OfydkCAw はおもしろかった。大熊信行に目配りしているのも好感。大正~昭和10年代の高等女学校の家政科教科書は、体系的に戦後の「家政学」をはるかに凌 ...
RT @taoistburke: 保守と改革 : エドマンド・バークの政治思想ー(上) 岸本 広司 http://t.co/TonZgKH4

7 0 0 0 OA 蘇東坡詩集

RT @hotkm: 【20】「和子由記園中草木十一首」五首目(『頼山陽評/蘇東坡詩集』)で気楽な公開読書中。 このハッシュタグでご意見など募集中→ #kirakukanshi テキストはここ→ http://t.co/NDkdtmQo

7 0 0 0 OA 蘇東坡詩集

RT @hotkm: 【20】「和子由記園中草木十一首」五首目(『頼山陽評/蘇東坡詩集』)で気楽な公開読書中。 このハッシュタグでご意見など募集中→ #kirakukanshi テキストはここ→ http://t.co/NDkdtmQo
RT @saisenreiha: CiNii 論文 -  マグダラのマリア再考 : 原始キリスト教におけるその位置づけ http://t.co/MtXjWlFs #CiNii #rekisinews
RT @aliquisgg: クロポトキンの「相互扶助論」(大杉栄訳),国立国会図書館の近代デジタルライブラリで画像が提供されていて,全文が読めることを発見.知っている人にはいまさらかも知れないけど,この近代デジタルライブラリって結構すごい. http://t.co/25 ...
RT @kunisakamoto: ダウンロード可能です。研究会直前になってしまったけれど読む。 長沢朝代「ピエロ・デッラ・フランチェスカ作《聖十字架物語》再考 : コンスタンティヌス帝に付与された新たなイメージ」http://t.co/qmTzZ9YC

お気に入り一覧(最新100件)

ギリシャ危機についてはこちらの論文に書きました。 主権と資本:グローバル市場で国家はどこまで自律性を維持出来るのか https://t.co/DdymGu8blx https://t.co/6pvWTdJQl3
PDFあり。 ⇒小嶋 翔 「「社会主義者」としての吉野作造」 『日本史研究』687 (2019) https://t.co/RqfEAAvBr3
PDFあり。 ⇒劉 建 , 福澤 和久 「動画配信サービスにおける人気動画に関する考察―YouTubeチャンネルの大規模データ解析から―」 『日本経営診断学会論集』23 (2023) https://t.co/jbLDZRA8Lb
こういうのは本当に価値ある社会貢献 書評 飯山陽著『イスラム教の論理』 新潮社,2018 年 2 月,238 頁,定価 780 円(税別) 松山 洋平 https://t.co/G1U8GQYBPq
日本語史についての無理解から、研究者が著作で誤りを広め、強く批判されています。これに関し、以前日本語学会の学会誌に載った矢田勉氏の「日本語学会の社会的役割と『日本語学大辞典』」は多くの人にぜひ読んでほしい。誤った説を広める代表的な著作が批判されています。https://t.co/3EeyhKnDTI
日本物理学会誌は宝の山。究極の理論としての超弦理論はどれくらい確からしい? https://t.co/w8gOXGlXa5 超弦理論の解が現実世界を与える可能性はどれくらい? SU(5)統一理論を想定すると、素粒子の世代数は0を中心とする正規分布。3なら悪くない。一方、ゲージ群がない可能性はe^1000倍も!が〜ん
育児休業のすすめ:ニューヨークで専業主夫になった物理学者 https://t.co/s8uWJEOctZ
福田恒存の個人観の考察 : 政治批評としての清水幾太郎批判を中心に https://t.co/UqgY0tjNrT
なんとなくリース・ロスで検索していたら、威勢の良い書籍がヒット(報告) https://t.co/GJnqgYaC8V https://t.co/qKV54NgE38
『オルレアンの処女』と一八〇〇年前後のドイツ, 菅利恵 https://t.co/3hLbLTs7mC 自由と愛国 : 18世紀後期のドイツ語圏におけるパトリオティズムの展開, 菅利恵 https://t.co/ejlgohRJdu *リンク先のPDFファイルから紀要論文が読めます
『オルレアンの処女』と一八〇〇年前後のドイツ, 菅利恵 https://t.co/3hLbLTs7mC 自由と愛国 : 18世紀後期のドイツ語圏におけるパトリオティズムの展開, 菅利恵 https://t.co/ejlgohRJdu *リンク先のPDFファイルから紀要論文が読めます
佐藤奈月、加藤弘通「テキストマイニングを用いた高校生がインターネットで新しい知り合いをつくるきっかけについての考察 男女差に着目して」 https://t.co/a1JmxziTPk
PDFあり。 ⇒吉田 誠 「全自動車準備会の結成と運動方針の展開 : 産業復興への取り組みから「生産復興闘争」へ」 『立命館産業社会論集』58(1) (2022/6) https://t.co/YJuByfVUf0

2 0 0 0 能楽

宮沢俊義が1945年9月に「能樂護持」って文章書いてるのアイロニカルだな()https://t.co/Fbs2nR1leu
カフカ「断食芸人」いろんな解釈があるんだな。 僕には「職業を選んだ以上はそれを全うする以外ない。そこには世間の評価も自分の意思も大して関係ない」という冷徹なリアリズムを描いてるように読めた https://t.co/GCAMqzpkBz https://t.co/V0YweHcgS8

6 0 0 0 日土交渉史

慶應は日本初のイスラーム地域研究者に博士号を与えた大学である。その研究者こそ内藤智秀(1886-1984)で、彼は明治45年に東大西洋史を卒業、高校や外務省での勤務を経て、慶應の教授となってから同校に博論「日土交渉史」を提出した(昭和7年)。戦後は聖心女子大に勤めた。https://t.co/aOeFhD55Dv https://t.co/e6LeUJhVfV

6 0 0 0 OA 大衆明治史

「大衆明治史」菊池寛著(上)をYouTube の広告からポチってしまった。 550円だから良いかと思って。 今日届いたけど読む時間が無い。 で、デジタルコレクションで(下)が見られる。 https://t.co/LS2YCohQ61

43 0 0 0 OA 訓読日本書紀

黒板勝美編の『訓読日本書紀』(岩波書店)、武烈天皇紀での省略は昭和初期の言論統制に対する自主規制だといわれるけど実際には意外と武烈の暴君ぶりを語る記述は残っていて削除されているのはエロ記事だったりする。 https://t.co/3x9pzEWLVm
書評と紹介 久野雅司著(戎光祥研究叢書一六)『織田信長政権の権力構造』/ . 古文書研究 (via CiNii Articles). https://t.co/8GGyDNP8ST

19 0 0 0 OA 一瓢雑話

福沢諭吉の義甥、今泉一瓢(今泉秀太郎)は慶應義塾在学時に田宮流を習っていたようだ。てっきり撃剣だけだと思っていたけれど、居合も教えていたのか。 https://t.co/XEpTqKaF4U
日本は何故勝算のない戦争に突入するんだろうか。歴史戦でまた敗戦するのか。 佐渡鉱山と朝鮮人労働者 https://t.co/Ubb6l40134 https://t.co/c5mqP87zBK
海部総理といえば、『政治とカネ』(新潮新書)で語られている現金の入った紙袋を置き忘れた振りをする話が忘れられないですが、内容が充実しているのはGRIPSのオーラルヒストリー。上・下あり、ともに30MBのファイルなのでダウンロードは注意。 https://t.co/To0M0hhQR1
「日本語」の式次第としてはメソジストと聖公会が先駆ではないですか カトリックは第2バチカン公会議までラテン語を使っていたのだから 1892 メソヂスト監督教会礼文 https://t.co/qB1KKvIFzO 1895 日本聖公会祈祷書 https://t.co/68ye9XjNWf https://t.co/0GbTtHJM02
「日本語」の式次第としてはメソジストと聖公会が先駆ではないですか カトリックは第2バチカン公会議までラテン語を使っていたのだから 1892 メソヂスト監督教会礼文 https://t.co/qB1KKvIFzO 1895 日本聖公会祈祷書 https://t.co/68ye9XjNWf https://t.co/0GbTtHJM02
インド人とネパール人とパキスタン人の「インド料理屋」を支えているネットワークについては、すでに研究があります。互いの対立があり、同国人内でも出身地やモスク、インド人学校などを基点にして、それぞれ異なるリクルート・出店戦略があります。 https://t.co/e20mDCsxKa https://t.co/ARUQlFX94j

21 0 0 0 OA 関八州名墓誌

有名人の墓を巡る人を掃苔家というが、昨今は墓マイラーとも言うらしい。大正時代の時山弥八もそんな趣味を持った人物。関東大震災で原稿を失う悲劇の乗り越えて大正15年『関八州名墓誌』を上梓した。来年の大河の主人公北条義時、宮本武蔵、吉田松陰、近藤勇など多士済々。https://t.co/dAcbZSjlWC
平野隆「明治前期東京における財界の形成とその性格」(『近代日本研究』6)曰く、東京商法会議所は明治10年、渋沢栄一・益田孝・福地源一郎・三野村利助・大倉喜八郎・渋沢喜作・竹中邦香・米倉一平により、東京府知事・楠本正隆に願書が提出され、翌年に認可。 #青天を衝け https://t.co/00rFIwzrLB
PDFあり。 ⇒中 直一 「第一次世界大戦と日本のドイツ語学習雑誌 : 『獨逸語學雜誌』に於けるドイツ観の変遷」 『言語文化共同研究プロジェクト』(2020), (2021/5) https://t.co/qt2HbMLB6a
PDFあり。 ⇒中村 綾乃 「ドイツ革命とゾルフ : 帝国の終焉から新生共和国へ」 『言語文化共同研究プロジェクト』(2020), (2021/5) https://t.co/TjgDp9gXbw
明治31年10月29日、小野友五郎が死去。万延元年、太平洋を横断した咸臨丸に乗船。文久期の小笠原諸島の調査に咸臨丸の艦長として参加。平山洋「福沢諭吉は公金一万五千ドルを横領したか?」(『国際関係・比較文化研究』8-2)は、慶応3年の福沢との対立にまつわる疑惑の研究。 https://t.co/TirYg23gSe

30 0 0 0 OA 新文典別記

『現代文解釈の基礎』の話だが、なぜあの本ができたかを考えると、日本語研究者が、教育に深く関与していた時代の名残だったという見方もあると思う。いわゆる橋本文法も単行の研究書としては存在していない。『新文典別記 上級用』という教師用指導書が一番の原典である。https://t.co/6QHMpSKQ4p
元駐アイルランド大使で元国連局軍縮室長の数原孝憲大使の、軍縮室長時代のメモ帳をPDF化し、オーラルヒストリーの別冊としてGRIPSレポジトリで公開致しました。NPTの批准をめぐる動きを知る貴重な史料だと思いますので、是非ご活用ください。https://t.co/ZXn1gdQDas https://t.co/zYDb3hj8rw
昭和19年10月7日、中川小十郎が死去。西園寺公望の秘書を長く務めた人物で、立命館の初代総長。親族が、戊辰戦争で山陰道鎮撫総督の西園寺に仕えた縁もある。最新の研究に、長谷川澄夫「中川小十郎編の未刊維新史稿本について」(『立命館史資料センター紀要』4、2021年)。 https://t.co/ijSz520JkV
@HIRAYAMAYUUKAIN 鉄砲は撃った事が無いのでよく判らないですが、黒色火薬についての試論を見つけました。 https://t.co/nLkTXaRTZP 数式が出て来て私はついていけないですが参考になれば。 後、戦国の忍びメチャメチャ面白かったです!
00年代初頭くらいから、なぜか事実に反して、日本の治安はすごく悪くなったと認識する人が増えたんですよ。これを治安悪化神話といいます。それ以前は、日本は治安のいい国という認識が一般的でした。この論文が参考になります。/日本の治安悪化神話はいかに作られたか https://t.co/gHvNfwKrpx
このインタビューみると、首都圏の未婚女性がいかに高望みしているのかがうかがえる。 「年収一千万円超える家庭を築きたい」 「海外旅行に年1回くらい行けるとか」 「自分より収入が上ならいい」 https://t.co/6iQFuCX1vC
昭和14年9月7日、渡辺蒿蔵(天野清三郎)が死去。吉田松陰の松下村塾門下生の、最後の生き残り。幕末期には奇兵隊にも加入した。海外留学して帰国した後、造船技術者として活躍。牛見真博「近代造船の先駆者・渡辺蒿蔵(下)」(『大島商船高等専門学校紀要』51)が詳しい。 https://t.co/TZY3B5mDna
【メモ】 菊地 夏野「セックス・ワーク概念の理論的射程 : フェミニズム理論における売買春と家事労働」 https://t.co/yldieEORJS
J-STAGE Articles - 学生は理系・文系をどのように定義するか―理論的立場に基づく考察― https://t.co/dm3EYOSIVV
平成28年(2016年)7月27日、歴史家の安岡昭男が死去。講演「明治日本と万国」(『法政史学』50、1998年)で、朝鮮に使節を派遣しようとした将軍・徳川慶喜の外交について、「鎖国から開国した幕府が、今度は逆に外国のことを第三国として調停に乗り出そう」としたと評価。 https://t.co/01TqbmWgPk
「学業成績には,LINE,Twitter,YouTubeの利用が負の影響を与えていた。つまり,これらのSNSの利用時間が増えるほど学業成績が悪くなることが示唆された」→J-STAGE Articles - 日本の大学生のSNS利用と学業成績との関連性について https://t.co/jYTetGE62U
尾佐竹猛といえば『夷狄の国へ』 https://t.co/2sMksAA6DD
平沼騏一郎というと、国デジで読める1939年(昭和14年)刊の最悪のヨタ本がある。 ヒトラーと平沼はなんであんなにすごいのか、それは性的エネルギーを昇華しているからだ、という話の「近代人必讀の書」 ⇒喍木寛『ヒトラーと平沼騏一郎は何故独身か : その真相を研究す』 https://t.co/m7bFPNjuod
J-STAGE Articles - バーチャルYouTuber の肖像権 https://t.co/rA3CtBHtW1 原田伸一朗先生の新しい論文だ
慶応元年閏5月11日(1865年7月3日)、武市瑞山(武市半平太)と岡田以蔵が死去。笹部昌利「幕末期土佐藩の国事運動と「政治犯」化」(『京都産業大学日本文化研究所紀要』26、2021年)は、武市ら「土佐勤王党による藩外交主導の状況」に対する土佐藩当局の対応などを分析。 https://t.co/WvTSa3GYHr
PDFあり。ざっと読んでいるけど、とても面白い。 ⇒鯖江秀樹 「自動販売機のエレジー(上)オートメーションの技術史」 『京都精華大学紀要』54 (2021/2) https://t.co/vS0SFZNLmm
本日J-Stageでオンライン公開の「明治日本におけるフレイザー受容・南方熊楠と柳田国男」です。本シリーズは佳境に入りました。すごい勢いです。 https://t.co/e3KpQztlrG https://t.co/gJg61plfSV
臨時陸軍検疫部報告適要 https://t.co/AgEhcmUoPY 清でコレラ等蔓延の為、後藤新平らが日清戦争帰国兵士23万2千人を大規模検疫。「伝染病の危険の恐るべきこと弾丸より大」と突貫工事で瀬戸内海の似島彦島櫻島を検疫所に。潮水淡水冷水の風呂場、薬品消毒室、乾燥室を備え衣服や毛布はボイラ蒸気で消毒 https://t.co/ttrbRhbQPg
五島慶太が鉄道院の官僚のときにテイラー『科学的管理法』を訳してたのか CiNii 図書 - 工場會社學理的經營法 https://t.co/tvpbi1zKlO #CiNii
明治43年6月16日、島津珍彦(島津備後)が死去。島津久光の子で、薩摩藩主・島津茂久(忠義)の弟。慶応3年には西郷隆盛や大久保利通に近い人物だった。針貝綾「鹿児島県の屋外彫刻」(『鹿児島県立短期大学地域研究所研究年報』34)は、大正期に建立された珍彦の銅像に言及。 https://t.co/5LeweLiHtX
https://t.co/xHt0tB44mh 保科英人(2017):鳴く蟲の近代文化昆蟲學. 明治・大正・昭和戦前期のスズムシやマツムシ,カンタン,キリギリスなどの値段を調べまくった狂気の論文です.スズムシ〇銭と書かれても,ピンとこないでしょうから,年代ごとに東京朝日新聞1部の価格も掲載しました.
大正8年6月4日、徳大寺実則が死去。幕末期に国事御用掛や議奏を務めた公家で、西園寺公望の兄。8月18日政変で一時期失脚。明治天皇の侍従長を長く務め、宮内卿や内大臣なども歴任。伊藤之雄「元老制度再考」(『史林』77-1、1994年)は、徳大寺の日記を初めて本格的に活用。 https://t.co/ZM6WCaO5U9
@JaHi8SXKvGxebKx @kamiya2112 2001年の参議院選挙で、鶴見俊輔と小田実が社民党を共産党に合流させる旗振り役をした関係で、社民党職員の反対でこれが流れた後は、「思想の科学」グループが共産党に合流したのが、一つのキモではないかと。 https://t.co/8UUuwnyqOv
文政11年4月15日(1828年5月28日)、大黒屋光太夫が死去。伊勢から江戸に向かう途中で漂流した末、ロシアの首都でエカテリーナ2世に謁見した。豊川浩一「大黒屋光太夫自筆の署名文書」(『駿台史学』163)は、光太夫のロシア語による自筆と思われる署名入りの史料を紹介。 https://t.co/u1qGn0D4Uw
@obenkyounuma あーこれ,全然意識していなかったんですが,非常におもしろいからくりですね. https://t.co/80n611XEGm 柴 由花 (2008) 環境保全と税に関する一考察─スウェーデンを参考として,日本不動産学会誌,22(2)
明治15年5月25日、後藤碩田(今四郎、真守)が死去。幕末期に小河一敏、宮部鼎蔵、松村大成らと交流を持ち、後藤重巳「幕末期京都情報の流布をめぐって」(『別府大学紀要』38)曰く、「豊後における勤王運動の経済的支柱」。蒐集した史料を『碩田叢史』として編纂。 https://t.co/BOy4PMLO3C
#100文字の架空戦記 英のガリポリ上陸に伴い、日本陸軍は特別に上陸専門旅団を編成 田尻昌次大尉はその第1連隊第2大隊第2中隊長であった。 第1大隊が初期段階で損耗した結果、意見具申が認められ奇襲上陸ポイントを設定の上、第2次攻撃で絶大な成果を得ることとなった。https://t.co/6t15w0QZkM https://t.co/5LJKB3tlWx
森田吉彦「戦後日本の知識人とマスメディア──高坂正堯とNHKの場合」(2021) https://t.co/i5P5JYAgMM これはおもしろい。高坂正堯のNHK出演をとりあげたもの。画像多数。
PDFあり。 ⇒薗部寿樹 「【史料紹介】『看聞日記』現代語訳(二一)」 『山形県立米沢女子短期大学附属生活文化研究所報告』48 (2021/3) https://t.co/moJp05p78g
CiNii 論文 - 女性声優の演技音声にあらわれるジェンダーの表現 : 母音フォルマントに着目して” https://t.co/bMeDNKHe7m ※本文リンクあり
大正11年5月19日、江原素六が死去。幕末の幕臣で、戊辰戦争で新政府軍と戦った後、沼津兵学校設立の中心人物。麻布尋常中学校(麻布学園の前身)を創設。久木幸男「江原素六教育勅語変更演説事件」(『教育学部論集』4)は、「教育勅語を批判」した1人として江原を分析。 https://t.co/nQTqBCQKgE
『史学雑誌』118-3に掲載の、熊澤恵里子『幕末維新期における教育の近代化に関する研究-近代学校教育の生成過程-』(風間書房)の書評。評者は、『沼津兵学校の研究』(吉川弘文館)などの著書がある樋口雄彦氏。沼津兵学校に関係する部分の事実誤認を中心に論評。 https://t.co/LQggmhLRBX
嵯峨隆「劉師復とアナキズム : 辛亥から五四への架僑」 https://t.co/xYviDUQ6mp 「無政府主義者としての劉師培」 https://t.co/aJX27J86hy 「民国初年におけるアナキズム」 https://t.co/vAtMvIOUY9 慶應大「嵯峨隆君学位請求論文審査報告」 https://t.co/Qyxu2o1WYL
嵯峨隆「劉師復とアナキズム : 辛亥から五四への架僑」 https://t.co/xYviDUQ6mp 「無政府主義者としての劉師培」 https://t.co/aJX27J86hy 「民国初年におけるアナキズム」 https://t.co/vAtMvIOUY9 慶應大「嵯峨隆君学位請求論文審査報告」 https://t.co/Qyxu2o1WYL
昭和54年(1979年)5月17日、平尾道雄が死去。幕末維新の土佐藩や坂本龍馬などの研究で知られ、その一連の研究は良くも悪くも、「今日まで土佐藩研究の礎と評される」(笹部昌利「幕末期土佐藩の国事運動と「政治犯」化」『京都産業大学日本文化研究所紀要』26、2021年)。 https://t.co/WvTSa3GYHr
正確には松村十助のようです。松田重助の書き間違いとも思えますが。 https://t.co/CBV4OlhY7P
明治40年5月13日、金井之恭が死去。幕末期に、新田義貞の後裔・新田満次郎(岩松俊純)を擁して挙兵を企図した。明治7年、台湾出兵の問題解決などのため清国に赴いた大久保利通に随従(後藤新「台湾出兵の終幕」『武蔵野法学』7)。高山彦九郎の伝記『高山操志』を編纂。 https://t.co/93dSWCWGQR
明治44年5月13日、谷干城が死去。幕末の土佐藩出身で、坂本龍馬とも交流があった。中野目徹氏は、小林和幸『谷干城』(中公新書、2011年)の書評(『史学雑誌』122-8に掲載)で、西南戦争での活躍や貴族院の重鎮としての立場など重要人物でありながら、研究が少ないと指摘。 https://t.co/VRwmDsOHrf
笹部昌利「幕末期土佐藩の国事運動と「政治犯」化」(『京都産業大学日本文化研究所紀要』26、2021年)は、「武市半平太ら土佐勤王党により主導された藩外交のありようを、藩当局者が如何に捉えていたのかを考察」。その際、行政を監査した小目付たちの政治見解を重視。 https://t.co/WvTSa3GYHr
檜皮瑞樹「一九世紀樺太をめぐる「国境」の発見-久春内幕吏捕囚事件と小出秀実の検討から-」(『早稲田大学大学院文学研究科紀 第4分冊』54)は、檜皮氏の著書『仁政イデオロギーとアイヌ統治』(有志舎)第6章の元論文。幕末の北蝦夷地をめぐるロシアとの緊張関係を分析。 https://t.co/ByrXKBKeCN
松井勇起「図書館員の待遇の考察 ― 機能としての「低賃金カルテル」 ―」 図書館員の仕事は誰でもできるから低賃金と見なされているが、実際は低賃金構造を固定化する賤業バイアス(低賃金な仕事は誰でもできるだろう)などによる低賃金カルテルが原因とする論文。 https://t.co/E9ACJtYBTL
明治42年4月28日、由利公正が死去。幕末の福井藩出身で、五箇条の御誓文の作成に関与。東京府知事などを歴任。三浦直人「由利公正の名に〈唯一の〉〈正しい〉読みはあるか-きみまさ・きんまさ・コウセイ-」(『明治大学大学院文学研究論集』48)は、人名史の視点で分析。 https://t.co/8GFPj5sqV8
明治41年4月24日、津田仙が死去(死去日に異説あり)。ペリー来航時、佐倉藩の一員として江戸湾警備に参加。慶応3年には通訳として、福沢諭吉らと共に渡米。津田梅子の父親で、嶋田順好「津田仙の信仰と生涯」(『キリスト教と文化』24)曰く、草創期のキリスト教界の指導者。 https://t.co/BiBbisqVl9
大賀郁夫「幕末期譜代延岡藩の風聞探索活動」(『宮崎公立大学人文学部紀要』28-1、2021年)は、文久2年の延岡藩の探索活動を分析。重視された藩は島津久光の率兵上京があった薩摩藩、熊本藩、小河一敏が注目された岡藩。また、唐津藩世子の小笠原長行への評価が高いという。 https://t.co/hJiJDASYtl
犬養毅と犬養道子氏は、同じ4月20日に誕生したという。新旧暦の違いはあるが...。どこかに書いてあったはずと考えたら、時任英人「犬養道子との関係に見る晩年の犬養木堂」(『倉敷芸術科学大学紀要』20、2015)の最初に書いてありました。 https://t.co/c7yNnYsJn6
PDFあり。まず、第一声が「本稿は、大蔵省と土建国家について考えたい。」で強い。 ⇒北山俊哉 「「ポリティクス・イン・タイム」から見た大蔵省と土建国家―市民を建設作業員として雇った国家」 『政策科学』28巻3号 (2021/3) https://t.co/0AUn39lf0A
→ 昭和天皇の皇女の和子さんは、摂関家の子孫の名門・鷹司家の平通氏と結婚しましたが、1966年に鷹司平通氏は銀座のバーの女性と心中事件を起こして亡くなりました。 皇族女性は、名門と結婚すれば万事安心ということでもないのです。 https://t.co/G4hNkUwNr6
明治6年4月9日、広沢健三が死去。初期の明治政府で、木戸孝允と並ぶ長州藩出身の大物だった広沢真臣の子。米国留学中、 19歳の若さで病死した。重松優「広沢真臣の子,健三のアメリカ留学について」(『学苑』930、2018年)は、明治初年の教育や国際交流の事例として分析。 https://t.co/FSVytV8mS2
明治16年3月30日、幕末の山陵奉行だった戸田忠至が死去。外池昇「神武天皇陵御修復と戸田忠至「中元御祝義金三百疋」」(『成城大学共通教育論集』7、2014年)は、文久の修陵をめぐる戸田の悪評や、宇都宮藩家老の家督の身分から異例の大出世を遂げたことなどに言及。 https://t.co/2mmDsYjLT5

9 0 0 0 OA 月照物語

西郷隆盛が博多の福萬醤油に来た虚説ですが、「体が大きい人」が来たとの白木家の伝承が唯一の根拠です。体の大きい人がイコールで西郷になのか?答は自明の理ですね。この虚説流行してるので、西郷が月照と別行動であった史料的典拠を2冊紹介します https://t.co/H4zuHW2s7r https://t.co/ehO0S5RFW6
西郷隆盛が博多の福萬醤油に来た虚説ですが、「体が大きい人」が来たとの白木家の伝承が唯一の根拠です。体の大きい人がイコールで西郷になのか?答は自明の理ですね。この虚説流行してるので、西郷が月照と別行動であった史料的典拠を2冊紹介します https://t.co/H4zuHW2s7r https://t.co/ehO0S5RFW6
箱館を榎本軍に占拠されたことは、諸外国に通知している。 https://t.co/gBs4cSpTRi
この書簡で武田観柳斎は桂川で魚釣りしたと書いており、つまりそれだけ非番の日が多かったということなんでしょうね。しかし武田と釣りで絡めたフィクションは意外に少なそうです。 https://t.co/Bgt0hxnN9R
湯浅 吉美「真如(高丘親王)の薨伝について : 虎に喰われた?元皇太子」、面白かった。>RT 紀要とはこうつかうものだという一つの形でもある。 https://t.co/RVDIHIidya
黒田長溥公は西洋軍法の導入など海外情勢に通じた部分がありました。軍備の調えなど斉昭公に通じる所があるなと感じました。上記は梶原良則先生の「安政期福岡藩における西洋軍法の導入と抵抗」に詳しいです #青天を衝け https://t.co/Gnur7HDpqD
「大正時代だから(当たり前)」というリプが結構あるけど、江戸時代の日本の庶民には、鉄拳制裁の習慣はあまりなかったような話もある。下記の論文でも、割と体罰に否定的で、やる場合でも尻を叩いたりとかで、顔面を殴りつける習慣は一般的ではないようにも見える。 https://t.co/UWBXOtm48l

1 0 0 0 OA 巣内信善遺稿

古高俊太郎らですが、六角獄で斬り殺された可能性はあるでしょう。少し後になりますが刑死とされる村井政礼は出獄させると言われ、外に出されたところを斬られたと同獄にいた巣内式部が書いています。奉行所が私的なかたちで斬ったものを処刑と述べていたことになりますね。 https://t.co/d5b4l94xid
慶応2年1月8日(1866年2月22日)、木戸孝允が上京。薩長同盟に繋がるが、手引きした薩摩藩士・黒田清隆の行動は、独断によるものだった可能性が高い。町田明広「慶応期政局における薩摩藩の動向」(『神田外語大学日本研究所紀要』9)、同『薩長同盟論』(人文書院)参照。 https://t.co/Vz75SjD6eh
昭和6年2月20日、鮫島武之助が死去。薩摩藩出身で、鮫島尚信の弟。許海華「長崎唐通事何礼之の英語習得」(『関西大学東西学術研究所紀要』44)などによれば、幕末期に前田正名らと共に、何礼之の私塾に入った。明治期に、第三次・第四次伊藤博文内閣の書記官長などを務めた。 https://t.co/zWHyRibxFM
大正11年2月1日、山県有朋が死去。長州藩出身で、幕末期に奇兵隊の幹部。内閣総理大臣に2度就任。伊藤博文と並ぶ元老の最有力者で、政治・軍事の両面で大きな影響力を有した。佐藤信「山県有朋とその館」(『日本研究』51)は、「空間に興味を持った人物」として分析。 https://t.co/bpc1fSErMm
明治27年1月8日、月形潔が死去。幕末の志士として知られる月形洗蔵の従兄弟で、北海道樺戸郡月形町の町名の由来。樺戸集治監の初代典獄時代、看守の剣術指南役として永倉新八を採用(吉田悦志「作家・子母澤寛誕生の風土-幕府軍敗残兵3人と厚田村-」『創価教育』11)。 https://t.co/47PEBTQpmD
明治25年12月20日、幕末の宇和島藩主だった伊達宗城が死去。明治期にも日清修好条規を調印するなど活躍したが、三好昌文「幕末期宇和島藩の動向(13)」(『松山大学論集』12-6)曰く、宗城の解任で宇和島出身の政府官僚の多くが帰郷し、藩閥は形成されなかった。 https://t.co/ErSjmJSIEO

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